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オレンジ宇宙制作室

リクエスト

 通学路は両側をビニールハウスに囲まれた街灯もまばらな道だった。
 その日は夜遅くなってしまって、私は自転車を飛ばしていた。歩道がないから車道の端を走る。後ろから車が来るたびにひやりとした。本当はこんな道通りたくないけれど、他の道はもっと暗いからしかたない。
 ビニールハウスが並ぶ先には貯水タンクがあった。ツツジの植え込みと高いフェンスで囲まれた中に、小豆色でちょうど三階建てくらいの高さの円柱形のタンクが建っている。その先は墓地で、向かいには石材所とお寺が並んでいた。石材所の駐車場の自動販売機がこの道で一番明るい光を放っていた。
 私は以前からこの貯水タンクの前を通るのが嫌だった。墓地の前よりも怖かった。誰も見当たらないのに、ツツジの枝がガサガサと揺れたり、フェンスがガシャンと音を立てることがあったのだ。誰か人間が隠れているのだとしても怖いし、誰もいないのだとしても怖い。だから貯水タンクの前だけは、大きく車道にはみ出て通ることにしていた。
 その日もいつものように、後ろから車が来てないことを確認して車道に出た。ここを超えれば民家のある明るい道に出られる。もう一息と自分を励まし、貯水タンクの前を全速力で通り抜けようとしたときだった。
「もっと短いスカート穿け」
 左の耳元すぐ近くで誰かが囁いた。男の声だったけれど、人の気配はない。振り返らなくても誰もいないのはわかる。私は立ち上がって必死で自転車を漕いだ。スカートがめくれるのも構わず急いだため、結局その声に従う形になってしまったのがとても悔しかった。
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黒い靴下

 彼女はいつも靴下を片方しか履いていない。かわいそうだと思う自分に吐き気がする。
 地下鉄のホームの先頭は少し狭くなっていて、そこに二人でしゃがみこんだ。生温かい金属の柵に寄りかかって線路と平行に二人で並ぶと、ホームドアと壁の間にぴったりと収まる。
 彼女はキラキラしたプラスチックがいっぱいついたピンクのサンダルを蹴飛ばして、足を伸ばす。私はゴキブリみたいにてかてか光るこげ茶色のローファーを揃えて、膝を抱えた。
「笑わないの?」
 彼女はそう聞くけれど、笑えないの。言えないけれど。
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あさつき

 切り口からこぼれた甘露は冷たい冬の匂い。

豆本「余白集」収録。

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 桃の木は低い位置で枝別れしていて、登りやすい。畑の桃の木だから枝が高くならないように剪定されてるのかもしれないけれど、野生の桃の木ってのを見たことがないからわからない。太い枝は角度がそれほど急ではないから、場所によっては腰掛けることができる。
 果樹園が広がる山。さほど高くはないけれど名前には「山」という称号がついていた。うちの畑はその山のかなり上の方にあった。でも子どもの足でもふもとから三十分くらいだ。
 桃の枝に座って見下ろすと、盆地の反対側の山裾まで見通せる。ここから向こうまで車で四十分くらい。世界はずいぶん狭い。その真ん中を電車が通るのが見え、橋を渡る音も微かに聞こえる。
 おやつに持たされた傷モノの桃の皮に爪を立てる。産毛は水で洗って落としてきた。つまんでひっぱるとずるりと剥けた。桃が柔らかいのだ。ダメになる手前。噛み付いたら果汁が手首から肘までしたたり落ちた。生あたたかくて嫌になるほど甘い。こんな桃はカブトムシのえさだ。一口だけ食べて投げ捨てた。力いっぱい投げたのに畑の敷地から出ることもなく、隣りの桃の木の根元まで転がって止まった。
 世界の果ては見えているのに、越える力は持ってなかった。
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今月の予定

 月が変わったからカレンダーをめくったら、第三木曜日が升目に沿ってきっちり黒く塗りつぶされていた。
| 単品 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) | 拍手を送る

可憐な罠

 河原で散歩中、スミレを見つけた。遊歩道の両側はあまり手入れされていないのか、芝生を押しのけて雑草が生い茂っていた。そんな中にスミレが咲いていた。珍しかったから、僕は思わず摘んでしまった。
 突然風が吹いて、タンポポの綿毛が一斉に飛ぶ。こちらに向かって飛んできたから驚いて、よろけた拍子に草地の方に転んでしまった。体を起こすと、カラスノエンドウが足首に絡まりついていることに気付いた。外そうとしたら手首にも絡まった。ロープで縛られているようにきつく締まり外せない。
「あのう、大丈夫ですか?」
 転がってもがいていると声をかけられた。首をひねって見上げると、ジョギング中の女性だった。
「草が取れなくて」
「え? 草が?」
 彼女は驚いて、僕の手足を見る。
「大変!」
 慌てた様子で僕の横にしゃがんだ。彼女が引きちぎるとカラスノエンドウはあっさり外れた。
 そのことが縁で僕らは付き合いはじめ、来月結婚する。出会ったときの話をするたび、彼女が申し訳なさそうな顔をするのが少し気がかりではある。

五十嵐さんのところから。
瓢箪堂のお題倉庫
http://hyotan50.blog.shinobi.jp/Entry/2067/

| 単品 | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 拍手を送る

さむい

 寒い。
 そう思ったのは新宿の画材屋のエスカレーターを二階から一階に降りているときだった。
 寒い。寒い。さむい。さむい。さむい。さむい。
 上から読んでも下から読んでも「さむい」だな、と思った。全然違うのに。
 一階の床を踏んだ瞬間にそのことを忘れた。
 思えば、あのときに春が来たのではないだろうか。今になって思い出したのは冬が来たからではないだろうか。
 明日、新宿まで「さむい」を拾いに行かなくてはならない。
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