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オレンジ宇宙制作室(創作文章ブログ)

金の葉の魔女 - 奥付

目次(表紙)


※2014年・2015年11月〜2016年1月くらいに書いたものですが、長いので、一番最後にくるように、投稿日を1996年にしています。

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第23回電撃大賞に投稿して一次選考で落選した作品です。

「1.透明な森」は、闇擽さんの同人誌「シンクロニクル弐號 白雪に灯す、夢の断章」(2012年)で発表した「透明な森」を改稿したものです。
https://store.retro-biz.com/i7421.html



この記事の、(投稿順で)一つ前の記事はエピローグです。
目次(表紙)からどうぞ。



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余談ですが、作中のアマネというキャラは、以下の作品集の「アマネ」に登場するキャラと同じです。ただ、双方に関連性はないので、読んでも読まなくても問題はありません。
「目覚めの音」(絵:ryuca、文:あきよ)
https://store.retro-biz.com/i741.html
内容は別にリンクしないのだけど、無関係な話がどこかでちょっと繋がってるみたいなのが昔好きだったなーって思い出しながら書いたのでした。
そういうのが嫌いな方は、この余談は見なかったことにしてください。
1996.08.07 20:16(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - エピローグ

 ――大陸暦一六四八年 第八月

 リーンは露台に出て、集まった国民に手を振った。城下にいたときは煉瓦色に染めていた髪は黒に戻した。その髪を結い上げ、頭には小さなティアラが載っている。白いドレスの上に夏の日差しが躍る。
 隣には結婚式を済ませたばかりの夫、シイナ。反対側には王の正装で手を振る弟のカール。彼の前髪は今はもう短い。露台の端には、再びリーンの護衛に戻ったラルゴと、王の補佐に就いたシャルトムール公爵サクシマ、宰相のドーアンが控えていた。
 こんな日を迎えられるとは夢にも思っていなかった。
 魔女エヌの友人だった魔女と一緒に暮らすことにしたと言うニナを、王城に引き止め続けて、なんとか結婚式にも出席してもらった。ちなみに、シイナは大陸の北端にある島国出身の貴族、ニナはその妹という設定になっている。ニナのことは、後々を考えてリーンが根回しした。宰相はリーンの思惑を察して痩せた頬をひきつらせたものの、最終的には応じてくれた。
「あなたのお父様もご招待できたら良かったのですけれど」
 リーンが小声でそう言うと、シイナは微笑んで、空に目をやる。
「白い翼の大きな鳥が飛んでいましたよ」
「本当ですか?」
 リーンも空を探すけれど、もう雲一つなかった。
「ニナとは仲良くなれましたの?」
 腹違いの妹の存在をリーンがシイナから聞いたのは、駆け落ちするよりもずっと前だ。魔女エヌに魔法の依頼に行ったシイナが「初めて妹に会いましたよ」と話してくれたのを見て、リーンはこっそりモニエビッケ村からラルゴに手紙を出した。シイナとニナの繋がりが途切れないように。
「うーん、どうでしょう? お互いに緊張してしまって、なかなか簡単にはいかないですね」
 シイナは苦笑した。
 その夜は、国賓を招いての舞踏会だった。先王の喪が明けたこともあり、リーンの結婚とカールの即位の披露を兼ねている。国内の貴族はもちろん、近隣諸国の王族も出席していた。
 叔父のスグラスも、栗色の髪の若い女性を同伴して出席していた。サクシマが「本当に人が変わったようで……」と言っていた通り、朗らかに談笑している。ずっと昔に亡くなった叔母には申し訳ないけれど、運命の人に出会ってわかることもあるのだ、とリーンは思った。
 しかし、リーンとカールの母である王太后とはうまくいかないままで、彼女はもうずっと離宮に引っ込んでおり、今日も出席していない。どうにもならないこともある、とカールは諦めた顔で言ったけれど、リーンはいつか三人で穏やかにお茶を飲める日が来ることを願わずにはいられなかった。
 一通りの挨拶を終え、広間を見渡すとニナを見付けた。舞踏会の始めに少し話してそれきりだった。
 この日のために仕立てた萌黄色のドレスに、少女らしく肩にかかるように結った淡い金の巻き毛が揺れている。今夜はサクシマがエスコートしているはずなのに、ニナは一人で、彼女より何歳も年上の貴族の若者数人に囲まれていた。何か話かけられていたが、ニナは固い表情で何度かうなずくだけだ。教師について習った貴族らしい口調にどうしても慣れない、と話していたのを思い出す。
 リーンの視線の先に気付いたシイナが、リーンを促してニナに近付く。
「お話し中、失礼します。妹を少しお借りしても?」
 シイナを認め、ニナがほっとしたのがわかった。
「それでは、ごきげんよう」
 ぎこちなく笑って、ニナはするりと輪から抜け出す。魔女の性質なのだろうか、元々姿勢がよく堂々とした態度のニナは、立ち居振る舞いに関しては教師のお墨付きで、ドレスも難なく着こなしていた。
 ニナは最初、貴族の作法を習うのを面倒くさがったけれど、シイナのためにと言うと二つ返事で承諾してくれた。ニナとシイナはすぐに仲良くなれる、とリーンは思っている。
 そのまま連れ立って庭に出て、広間から目が届かないところまで歩くと、ラルゴがすかさず近くに立った。
 ニナは周りに知っている人だけになったのを確かめてから、
「ありがとうございます。わけのわからない話ばかりするし、どいてくださいって言っても聞いてくれないし、蹴り飛ばしそうになって困ってたんです」
「まあ、ふふふ。どんな話を?」
「うーん、春の花がどうとか、秋の月がどうとか。今は夏なのに、おかしいですよね?」
「あら、それはたぶんニナのことですわ。あなたの可憐さを喩えたかったのでしょうね」
「あ! あー、そうか。召喚魔法みたいなものか。遠回しすぎてよくわからなかったけど、ああいう言い方もあるんだ」
 褒められたことより魔法の話になっているニナに、シイナが笑顔を向ける。
「何かされそうになったら、遠慮なく蹴り飛ばしていいよ」
「えっ、いいの?」
「じゃなかったら、僕がそうしてる」
 ニナとシイナが話すのをリーンは微笑んで見ていたところ、カールがやってきた。
「ニナ、ここにいたのか」
「そうだ、えっと……。本日はお招きいただきありがとうございます。ご即位のお祝いを申し上げます」
 ニナは優雅に礼をして、「どう? うまくできてる?」と試験の採点を待つような緊張した表情で聞いた。
「ああ、よく似合っている」
 カールはとても真面目な顔で、少し的外れな答えを返した。
 リーンはシイナの腕をそっと引いて、数歩後ろに下がった。そこにサクシマが近付いてきて、
「少し離れた隙にニナ嬢がいなくなってしまったので、陛下に言われて探していたんですよ」
 そして、声を潜めて続ける。
「陛下、ときどき『あの子は妹だ』ってぶつぶつおっしゃってるんですが」
「俺も聞いたことがありますな」
「やっぱりそうなのか。いやーさすが先王陛下は違うね。あの伝説の美人、魔女エヌを射止めたなんて」
 サクシマとラルゴがうなずき合う。リーンが見上げると、シイナは肩をすくめた。訂正するつもりはないらしい。
「いやいや、そうじゃなくてですね。妹ならまずいですよね」
 サクシマに言われて、カールとニナに視線を戻す。
 カールがニナの髪に手を伸ばして、慌ててひっこめ、ニナが怪訝な表情をした。そのとき、宙に突然男が現れた。鮮やかな朱色の髪の美男子で、異国風の衣装を着ている。彼を見るなり、ニナが飛び付いた。
「アケミ!」
 魔女エヌの眷属の魔物らしい、とラルゴが教えてくれた。魔物を初めて見たリーンは、人間と変わらない姿に驚く。
「ニナ、抱き付いたね」
「あれは仕方ないだろう。親代わりだったらしいぞ」
 滅多に見られないニナの満面の笑みを、シイナとラルゴが複雑な顔で見ている。
 アケミはニナを抱き上げると、浮いたまま一度くるりと回ってから、ニナを下ろす。甘えるように彼の服を掴むニナが珍しく年相応に見え、リーンは微笑ましく思った。
「ニナ、久しぶりだな!」
「うん!」
「お、綺麗にしてもらって良かったな。よく似合ってるぞ」
「本当? わぁありがとう!」
「しかし、こんなに早くお前のところに出て来れるようになるとは思ってなかった」
「そうだ、あと何年かかかるって言ってたのに。どうして?」
 聞かれたアケミは、カールに向き直る。
「よお、少年。ニナに触るのは許さんが、お前には感謝しよう」
 軽い口調でそう言って、カールの顔を覗き込む。
「俺が自由に出て来れるようになったのは、お前がニナに恋してくれたおかげだ」
「ばっ! 何を言う!」
 カールが飛び退く。ニナが照れるでもなく、不審な目でカールを見ているのが、わが弟ながらとてもかわいそうだ。
「は? 恋?」
「いや、違う! 恋じゃない! 好きだが、恋じゃないんだ」
 カールは国内で大災害が起こってもこんなに慌てないんじゃないだろうか、とリーンは思った。サクシマが呆れたように「今、好きっておっしゃいましたね……」とつぶやく。
「あなたは僕の妹だろう?」
「妹? 何言ってんの? 全然違う」
 外野では「ついに言ってしまったか」という意味のため息が全員から漏れたが、そのタイミングは二種類だった。
 リーンはくすくすと笑って、空を見上げる。隣のシイナがリーンの腰を抱き寄せた。
 今夜は月がない。しかし、かすかに届く広間の灯りを押しのけるほどの、満天の星が輝いていた。


終わり
1996.08.07 20:00(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 8.星のある夜(6)

 時の魔女は部屋に香を焚いて、シンゲツを迎えた。カールたち三人はとっくに帰っていたが、スグラスだけは変わらずソファで寝ている。
「この煙、どうにかなんないの?」
 姿を現したシンゲツは、わざと咳き込んで文句を言う。
 時の魔女は、ソファを囲むように大きく描いた魔法陣の中に立っていた。シンゲツは中に入れない仕様だ。
「あなたが不用意に私の名前を呼んだりしなければ、結界なんていらないのよ」
「あはは、僕のせい? 自業自得って言いたいの?」
 シンゲツは黒髪の五十代くらいの男の姿をしている。子供じみた笑い方が似合わないこと甚だしいが、時の魔女の前に現れるときはいつもこの初代サントランド国王の姿だった。
「君の名前を呼べるのはもう僕くらいでしょ? ゲートリデートバトリー」
 シンゲツが名前を呼んだ途端、家具が音を立てて揺れ、窓ガラスにひびが入った。時の魔女は踵を鳴らし、一瞬で場を収めると、
「さあ、どうかしらね」
 同じ称号を持つ魔女が複数いたうちは良かったのだが、一人になったら誰からも名前を呼ばれなくなった。名前を呼んではいけない魔女の名前は、ほとんど誰も知らない。
 時の魔女は思わせぶりに笑ってから、「私の話はいいのよ」と首を振る。
「それで、どうだった? ニナに名前を呼んでもらえたのかしら?」
「ああ! それ! 呼んでもらったよ。魔女ニナはいいね。気に入った! 思いがけずいいものをくれたからね、契約したんだ。勝手に連れ出さない、触らない、閉じ込めない。そんな約束をさせられたよ。おかしいだろ? 僕が! 闇の王たる僕がだよ!」
 芝居がかった動作で、実に楽しそうに嘆いてみせる。時の魔女はニナに大いに同情した。ニナを守護したエヌの、彼を厄災だと判断した気持ちもわからないこともない。
「いいものって?」
「それは秘密」
 自分の狙った以上にうまくいったのだろう。
「それじゃあ、交換条件ね」
「ああ、約束だったね。さて、僕は何をすればいいんだい?」
 シンゲツはニナとの接触を望んだ。時の魔女が望むのは、
「この人から種を出してあげてちょうだい」
 ソファの上のスグラスを示すと、シンゲツは眉を寄せた。
「種って、あの闇の種? それよりもこいつはあのときの黒幕じゃないのか? 王家の血に連なるから何もできなかったが」
「種のせいよ。あなたどうして気付かなかったの?」
「あんな建国前の呪いなんて、もうなくなったと思ってたよ。力も弱いし、小さすぎてわかりにくい。……ふん、なるほどね」
 シンゲツは、スグラスを顎で指し、「手を」と短く言う。時の魔女は一歩横にずれ、魔法陣を自分に合わせて動かした後、スグラスの右手を取り上げ陣の外に出した。その人差し指を抜くように引っ張ると、シンゲツの手の中には小さな黒い塊が残った。木の実の燃えかすにしか見えない。
「こんなものに出し抜かれたのか」
 シンゲツが親指と人差し指で押しつぶすと、さあっと霧散した。
「カールが生まれる前だったわね」
 時の魔女が過去に思いを馳せると、シンゲツも遠くを見る目をした。
「君はこの男から『兄の子を害する魔法』を依頼された」
「ええ。どうせ魔法の攻撃ならあなたが守るでしょう? 私はあなたに知らせた上で、彼の依頼に応じた」
 時の魔女の魔法具はリーンを相手に使われ――スグラスはもちろん人を雇って襲わせた――、その請負人はシンゲツが跳ね返した魔法をまともに受けて右目に怪我をした。それで終わるはずだった。
「まさか、もう一人『兄の子』がいたなんてね」
 時の魔女もシンゲツも、そしておそらくスグラスも、カールが王妃の腹の中に宿っていたことを知らなかった。
「胎児の存在は不安定だった。僕の守護からは外れていたのに……」
「私の魔法の対象には入ってしまっていた」
 シンゲツは寸前で守り、最悪の事態は避けたものの、カールの顔には傷ができた。
 そんなわけで、時の魔女とシンゲツはカールに負い目があるのだ。
 ため息をつく時の魔女を見遣り、シンゲツは聞く。
「今さらだけど、君の魔法の対象にカールが含まれたのは、どうしてだったんだろうね? 最初は君に騙されたのかと思ったよ」
「わからないわ。ただ、私はずっと昔に子どもを産んだことがある。思いつくのは、そのくらいね」
「ふうん、子どもね。……人間のことは、結局僕には謎だらけだよ」
 君だってそうだ、とシンゲツは続ける。
「君なら、僕に頼んで種を取り出すなんてまどろこしいことせずに、えいっとやってしまえたんじゃないの?」
 シンゲツはニヤニヤ笑って、短剣で刺す仕草をした。物理的な攻撃ならシンゲツも跳ね返せない。
 時の魔女も何度そう思ったかわからない。
「私の落ち度でもあったから、というのは言い訳ね。一番効果的に打ちのめすにはどうすればいいかタイミングを計ってるうちに、情が湧いたのよ」
 昔から優秀な兄と比べられて、何をやっても空回りしているスグラス。呪いの影響を受けていたせいもあるだろうけれど、大小様々な騒動を引き起こして、結果肉親からも疎まれている。――見ているうちにかわいそうになってきたのだ。
「君の男の趣味は、相変わらずだなぁ。時の魔女が聞いて呆れるよ」
「放っておいて」
「まぁいいよ。どうでもね。……それじゃあ、機会があればまた会おう」
 シンゲツは、軽く手を振って、
「金の薔薇によろしくね」
 黒い霧になって、香の煙に混ざって消えた。
 時の魔女は魔法陣を片付けると、窓を開け煙を逃がした。果実酒と焼き菓子を用意してから、シンゲツを呼んだときに比べるとずいぶんと小さい新しい魔法陣を描く。今度は自身が中に入る必要はない。
「エヌ、いらっしゃい」
 それだけの一言で、時の魔女はエヌを召喚した。
「簡単に呼びつけないでくれる?」
 エヌは不機嫌に髪をかき上げ、時の魔女が用意した椅子に座った。自分の想像が的を得ていたことに、時の魔女は軽く目を瞠る。
「本当に? そうなの?」
 魔法陣に描いた母を意味する模様。それに、時の魔女はエヌの育ての母だった。子どもを産んだこともある。朱い海の影響を受けたとも聞いたから、試してみたのだが、こんなにうまくいくとは思っていなかった。
 エヌは時の魔女を睨んだ。
「あの闇の魔物、ニナを気に入ったみたいね。守護って言っても、ニナの意に沿わないことはできないんだから、馬鹿みたいに見ているだけ。私がどれだけイライラしたか! どうしてくれるのよ?」
 久しぶりに会った上に、エヌは魔物になっている。それなのに、お互いに挨拶すらしない。二人はいつもそんな感じだった。
「あなただって、王家の依頼を残していったくせに」
「あれは、ニナから先に辿り着けたら、逆に魔物を制することができるかもって思ったのよ。実際そうでしょう?」
 口を尖らせるエヌに、時の魔女は苦笑する。
「当代唯一の名前を呼んではいけない魔女の名前を知っている魔女、それがニナよ」
 それを聞いたエヌは息を飲んだ。
「まさかニナが? 私も知らないのに」
「ええ。私は教えていないわ。どうして知っているかはわからない」
 エヌは椅子にふんぞり返って、足を高く組む。果実酒のグラスを一つ手に取った。
「ああ、全く! 金の薔薇と白磁の葉を飾って、時の魔女の秘密を握り、闇の王を虜にして……」
「人の王も、時間の問題でしょうね」
 エヌのセリフを時の魔女は引き継ぐ。エヌは舌打ちで答えた。
 時の魔女もグラスを手に取って、エヌのそれに軽く合わせた。高い音が響いて、夜を震わす。
「なんでお菓子しかないのよ」
「魔物のくせに、つまみに文句を言うつもり?」
 昔と変わらない応酬に、母娘は顔を見合わせて笑った。

1996.08.07 19:59(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 8.星のある夜(5)

 夢だろうか。
 ニナは真っ暗な中にいた。シンゲツの闇。
「あれ? 明るい」
 ニナは辺りを見回す。過去二回はどこまでも真っ暗だったのに、今は点々と小さな光が散らばっている。数えられそうなくらいのわずかな数しかないけれど、星のようだった。
「やあ、金の葉の君」
 気配でわかっていたから驚かなかったけれど、隣から突然シンゲツが声をかけてきた。またカールの姿だった。隣と言っても、手を伸ばしても届かないくらいの距離がある。
「あの光は全部君だよ」
「私?」
 小さな光は淡い金色に瞬いている。確かに、ニナが魔法を使ったときの光に似ていた。
「何かしたの?」
 眉をひそめて聞くと、シンゲツは大げさに仰け反る。
「ひどいなぁ、ニナ。僕じゃないよ。僕だったらこんなかけらじゃなくて、君そのものを閉じ込める……そうだ! そうしよう! もう返さないって言ったらどうする?」
「大嫌いになる」
 ニナは大きく一歩離れる。
 ニナの胸元に、薔薇色の光の玉が現れ、シンゲツとの間を遮った。
「冗談だって」
 ニナは無言で睨む。
「ねぇ、金の薔薇は呼んでないんだけど。さっさと帰ってくれない? ちょっとニナに触ろうとするとすぐ出てくるんだ」
「触ろうとするな」
 ニナが抗議すると、薔薇色の光が強くなる。
「わかったよ。触らないし、閉じ込めない。かわいいニナの頼みだもの。嫌われたくないしね」
「……エヌ、大丈夫」
 ニナはため息をつく。薔薇色の光は小さくなって、ニナの両手に収まった。包み込んで光を隠すと、またさっきと同じように星が浮かんでくる。
「それで、この星が私ってどういうこと?」
「これは、カールが集めて大事にしている綺麗なもの。カールとは近しいって言っただろう? だからときどき影響を受けるときがあるのさ」
「カールが? なんで私なの?」
 ニナは首を傾げる。
「知りたい?」
 シンゲツはニナを真似て首を傾げると、ニヤニヤ笑いで続ける。
「ニナがお願いするなら、教えてあげてもいいよ」
「またそれ? カールに聞くからいらない」
「いいね、いいねぇ。なんてかわいそうな、カール。僕なら恥ずかしくて三百年は寝込むね。あはは。ぜひとも聞いてみてよ。なんで私が綺麗で大事なの? さて、カールは答えてくれるかな?」
 大笑いするシンゲツに、ニナはうんざりする。よくわからないけれど、カールに聞くのはやめたほうが良さそうだ。
「もういいよ。カールにも聞かない」
「あれ? いいの? 嫌じゃないの?」
「別に」
 ただ闇の空間が広がっていた今までより、この方がよほどいい。
「綺麗」
 自然と笑みがこぼれる。
「そう。ニナに見せてあげたかったんだ」
 打って変わって落ち着いた声音で、シンゲツが言う。ニナは振り返った。ちょうどカールが微笑んだときのような、穏やかな顔でシンゲツはこちらを見ていた。
「だからって、勝手に連れて来ないでほしい」
「その頼みはきけないな。僕は君が気に入ったんだよ。わかるだろう?」
 シンゲツは途端に元のニヤニヤ笑いに戻ってしまう。
 わかんない、と投げ打ちたいのを堪えて、ニナは考える。
「じゃあ、たまに私があなたを呼ぶから」
 光の玉の姿だとしても、ニナがエヌに接触できるのはシンゲツの場の中だけなのだ。彼を呼ぶのはニナにとってメリットがないとも言い切れない。
「どうやって? 魔法陣で? 僕はそう簡単には出てこないよ。君の魔力だけじゃ、どうかなぁ」
 ニナは素直に自分の力不足を認める。ニナの魔力は、シンゲツを呼び出すには全く見合わない。ニナの方が弱いからこそ、簡単にシンゲツに連れこまれてしまうのだけれど。
 モノに宿った魔力や魔法具で補うのも難しいだろう。それよりも、彼が気に入るような提案をするほうが効果的だ。
 ニナは辺りを見回す。それから、そんなニナをおもしろそうに観察しているシンゲツを見る。
「特別な、私だけの名前で呼んであげる」
 最初に『新月』と呼んだとき、ニナに名前を呼ばれるのは格別だ、と彼は言った。
「どんな?」
 シンゲツは片方の眉を上げ、ニナを促す。
「天河」
 カールが集めたニナのかけら。シンゲツの闇がいつもこうだったらいいのに。
「新月の夜は、星が綺麗に見えるものだよ。だから、天の河。テンガ」
 ニナは周りの星をぐるっと手で示して、どうだ、と聞くようにシンゲツを見た。
 シンゲツは目を瞠った。それに呼応するように、数えるほどしかなかった星が、一気に何倍にも増える。
「ほら、この方が綺麗」
「……ああ、忘れてた。僕も星を持ってたんだな」
 シンゲツが嘆息する。
「気に入った?」
「気に入った」
 シンゲツの黒い双眸がニナを見つめる。その顔に笑みはない。集まった魔力に黒髪が浮いた。ニナの腕に鳥肌が立つ。シンゲツに出会って初めて恐怖を感じた。両手の隙間から薔薇色の光が強く溢れる。シンゲツはニナに手を伸ばし、一歩近づいた。
「金の葉の君、魔女ニナ」
 低く重い声がニナにのしかかる。ニナは両足を踏ん張って、シンゲツを睨み返した。ここで下がっては負けだ。そうしたらきっともう人の世界には戻れない。
 ニナはお腹の底から声を出す。
「だめ。許さない」
 シンゲツは、ニナの言葉を鼻で嗤った。冷たい視線でニナを見下ろす。でも、あと一歩の距離を詰めることはしなかった。
「約束したよね」
「したね」
「閉じ込めたら大嫌いになる」
「それは嫌だ」
「名前、呼んでほしいでしょ?」
「その通りだ」
「どうするの?」
 ニナが重ねて聞くと、シンゲツは目を閉じた。闇の視線から解放されて、ニナは密かに胸を撫で下ろす。そして、それを表には出さないよう努力した。
「新月?」
「ああ。うん。……だめだ。それじゃない。その名前でも、もうだめなんだ。だから、特別な名前で呼んでよ」
 シンゲツは、ニナに伸ばしていた手を下ろし、一歩下がる。
「あなたは私に触らない。私を勝手に連れて来ない。私を閉じ込めない」
「わかった。いいよ。約束しよう」
「私はあなたをたまに呼び出す。特別な名前で呼ぶ」
「たまに?」
 シンゲツの乞うような表情に、ニナは少し笑った。
「新月の夜に」
 ニナがそう言うと、シンゲツは大きく両腕を広げた。
「いいよ。契約成立だね」
 シンゲツは、ふわりと空気を集めるように腕を動かし、両手のひらを合わせた。パンッと軽い音がした。それから、何かをニナに向かって放り投げる。ニナは迷わず、光の玉から両手を放すと、シンゲツが投げたものを受け止めた。光の玉はニナの頭上まで浮き上がり、手元を照らしてくれる。
 それは、細い指輪だった。金属製で、ひんやりとした光沢を放つ。黒い鍍金は初めて見るものだった。魔法の産物なのかもしれない。蔓を編みこんで作った冠を模していて、真ん中に小さいダイヤモンドが一つ光っていた。
「わかるかい?」
 シンゲツがニヤニヤ笑いで聞く。
「星だ」
 少し考えてから、ニナはその指輪を左手の人差し指に嵌める。血のしるしがある指だ。指輪は誂えたようにぴったりだった。
 それを見たシンゲツは満足そうにうなずく。ニナはシンゲツの期待を裏切らずにすんだことにほっとした。
「気に入った?」
「うん」
 先ほど自分も同じことを聞き、白磁の葉にオレンジの星を刻んだアマネも同じことを聞いた。それを思い出して、ニナは笑う。
「ありがとう、天河」
「あはは、気持ちいいね。特別な名前! ニナだけだ! 金の葉の君、少しだけサービスをしてあげよう」
 シンゲツは、上機嫌にそう言うと、突然ばっと霧状に拡散して、ふわりと消えた。
「また次の新月の晩に。楽しみにしているよ」
 声も消え、シンゲツの気配がしなくなる。それなのに、辺りは星空のままだった。
 首を傾げたニナに、懐かしい声が降る。
「あいつ、何なのよ。偉っそうに!」
「え? エヌ?」
 頭上から光の玉が降りて来て、ニナの目の前でエヌの姿に変わった。赤みがかった金色の長い巻髪。ニナと同じ灰色の瞳がこちらを見ている。髪をかき上げ、手で肩の埃を払うような仕草をして、顔をしかめた。
「さっきのあいつが小細工していったのよ。あんたと私が話せるように」
 ニナはエヌに駆け寄る。手を伸ばしかけて、躊躇した。触っても大丈夫だろうか。
「ニナ」
 エヌは動けないニナを抱きしめる。ニナもぎゅっと抱きしめ返した。香水なんてつけていないのに不思議にいつも甘かった、エヌの匂いが変わっていない。
「私、絶対にエヌを呼び出せるような魔女になるから」
「ええ。待ってるわ」
「できると思う?」
「当たり前じゃない。あんた、自分が誰の娘だと思ってるの? それに、さっきのあいつみたいな大きな魔物と契約することができたんだもの。絶対にできるわ」
「うん。がんばる」
 闇が薄まる。それと同時にエヌの感触も曖昧になってきた。
「エヌ! 行かないで」
 ニナはエヌの顔が見たくて、体を離した。ニナの願いもむなしく、薄明るい視界の中でエヌの姿は消えかけている。
 エヌは昂然と笑う。
「召喚するときは、私のことはママって呼びなさい」
「は? ママ?」
 ニナは状況も忘れ、ぽかんと口を開けた。
 記憶している限り、生まれてから一度もそんな呼び方をしたことはない。ニナの母は、ずっと『魔女エヌ』だった。
「魔物の私は母性に由来するの」
 それだけ言うと、エヌは別れの言葉もなくすうっと消えてしまった。
 ――そして、ニナは目を覚ました。
 誰かの後頭部が目の前にあり、ニナはぎょっとして身を起こした。リーンだとわかってほっとしたものの、どうして同じベッドで寝ているのかわからない。あまり動いてリーンを起こしてしまっては悪いと思い、ニナはもう一度そっと横になった。
 シンゲツとのやりとりは、夢の中だけど現実で、ひどく疲れた。左手の人差し指には契約の指輪がしっかりと嵌っている。
 ニナは考えるのも面倒になって目を閉じる。
 隣に誰かが寝ているのなんてとても久しぶりだ。ニナの添い寝の相手はほとんどアケミだったから、人の温かさが胸を打つ。その心地よさに、隣が王女なのも忘れてニナはそのまま寝てしまった。
 夢だったのか、ずっと遠い昔の記憶だったのか、エヌの声で紡がれるたどたどしい子守唄が聞こえた気がした。
1996.08.07 19:58(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 8.星のある夜(4)

 目が覚めたカールは、枕元に置いた椅子でニナが居眠りしているのを見ていた。穏やかな呼吸に合わせて上体が揺れている。彼女には何度睨まれたかわからない。初対面のときから強烈な印象を与えてくれたニナも、そうしていると普通の少女だった。
 灯りのない部屋は薄暗く、夢の中と同じに、ニナの金髪が仄明るく浮かび上がって見える。暖かで、心地よい。この空気を壊したくなくて、瞬きすらためらうほどだった。
 しかし、あっさりとそれは破られる。
 そっと開いたドアからラルゴが顔を覗かせた。カールは目で彼を呼ぶ。
「彼女をどこかで寝かせてやってくれ」
 小声で言うと、ラルゴはうなずいた。ニナを見て苦笑する。軽い荷物でも持つように簡単に抱え上げると、ラルゴは出て行った。
 カールはそれを見送って、ベッドから出る。シイナのだろう、大きすぎる寝間着を脱ぐと、自分の服に着替えた。そして、ドアを開くとラルゴがいた。
「な、なぜだ。戻ってくるのが早すぎないか?」
「ニナはシイナに託しましたからね」
 隣のドアが開き、リーンが借りている部屋からシイナが出てきた。彼に会うのも久しぶりだ。
「どこに行くつもりですか?」
 仁王立ちで見下ろすラルゴに、カールは持っていたカードを差し出す。
「時の魔女からだ」
 枕の下に挟まっていた。今夜サクシマと会う約束があるから来たいなら来い、と書かれている。カールにはわからない魔女の紋章と枠模様が空押しされた上等な紙に、装飾文字を使った綺麗な筆跡で、舞踏会の招待状かと見紛うような体裁だ。
 ラルゴはカードを読んで苦い顔をした。何も言わないラルゴに代わって、シイナが、
「まさか今夜の襲撃もサクシマ様が?」
 カールは右のこめかみに手を当てた。ニナの前では傷を見せられるようになったけれど、それだけではだめなのだ。ゆっくりと前髪を左右に分けると、視界が開けた。
「いや、それはない」
 シイナの疑問をカールは強く否定した。彼の薄青色の瞳を見上げ、
「シイナは念のためここに残って、二人を頼む」
「御意」
 シイナに軽く手を上げ、カールはラルゴの背中を叩いて促した。
「ラルゴ、お前は私について来い」
 カールが父王を越えられないことに焦っているのとは逆に、サクシマは自分の父親に常に足をひっぱられていたと思う。サクシマの父――前シャルトムール公爵スグラスは、リーンが城下に避難することになった事件の罪を問われ失脚する前から、軽率な言動が目立ち、父王も扱いに困っていた節がある。サクシマがスグラスの後始末に奔走させられることも何度かあった。
 時の魔女が指定したのは、カールと泊まっていた宿だ。カウシ亭から遠くはない。カールの怪我は、多少痛みが残っている程度で、特に問題なかった。ラルゴを従えて、夜道を歩く。ニナが星の話をしていたのを思い出し空を見上げる。月がないのか、星がやけに明るい。
「スグラス叔父上を誘導して、リーンに薬を盛ったりレフトレア宮を襲わせたりしたのはサクシマだろう? あれは、画策したドーアンがやるべきだった」
「ドーアン宰相もそう申し上げたのですが、サクシマ様が自分がやりたい、と。その方がスグラス様も警戒しないだろうとおっしゃって、宰相も納得されました」
「お前は、リーンにシイナを同行させるのを条件に、計画に乗ったのだな」
「はい。申し訳ありません」
「いや、責めているわけではない。謝るのはこちらだな。本当なら、私が叔父上を抑えるだけの力を持っていさえすれば、良かったのだ」
「これから、そうなられます」
 ラルゴの言葉にカールはかすかに笑った。今までなら頑なに否定したか、無視しただろうに、今は素直に励ましと受け止められる。
 カールは力を持っているとニナが言ったから。
 時の魔女の采配か、深夜にも関わらず、宿の出入りは自由だった。昼間にも訪ねた時の魔女の部屋のドアを叩く。返事を待って開けると、サクシマがいた。彼はカールとラルゴの登場に驚いているようだった。ソファにスグラスが寝ている。
「時の魔女殿、これはどういうことです?」
「サクシマ様のやることを陛下も知りたいだろうと思ったので」
 サクシマの抗議を軽く流し、時の魔女はカールたちを招く。
「叔父上はどうされたのだ?」
「酒に酔って、寝ているだけです。最近はもうずっとこんな感じで……」
 サクシマが首を振った。父が隠居して爵位を譲られてからも、彼の苦労は絶えなかったようだ。
「私が魔女エヌを探したいと言ったら、時の魔女を連れてきたのはあなただったな」
「ええ。僕は、父を何とかしてほしいと時の魔女に依頼しました。彼女は、陛下と行動を共にできる機会を要求した」
「何とかしてほしい、とは?」
「どうとでも」
 優雅な態度を崩さない彼にしては珍しく、サクシマは投げやりに言った。
「どこかに閉じ込めるでも、殺すでも」
「サクシマ! あなたの父親だろうが」
「父親だからですよ! 息子は自分の所有物だとでも思っているのか、好きなように引っ張り回し、面倒なことは押し付けて。こちらの話は聞かず、仕舞にはお前も敵だと言い出す。……あんなのが父親だと、血が繋がっていると思うと悲しくなりますよ」
 一息に言ったサクシマに、言葉を失うカール。そこに思いがけず優しく、時の魔女が声をかけた。
「失望して裏切られたと思うのは、愛しているからでしょう」
 サクシマは、泣きそうな顔で笑った。肯定も否定もしない。
 自分はどうだろう。母はカールを無視し続けていた。まともに話したこともなければ、滅多に顔を見ることもない。けれど、彼女に対して憎しみはない。そして、確かに愛情もないのだ。それはもしかしたら寂しいことなのかもしれない。
 物思いに沈むカールを、時の魔女の言葉が現実に引き戻した。
「サクシマ様のご依頼通り、スグラス様は私が引き受けましょう」
「どうするつもりだ?」
「そうですねぇ……」
 時の魔女は、笑みを描く唇に長い爪を当てて、スグラスを見下ろす。
「スグラス様は長年、魔物に憑かれてらっしゃいました。それを取り除きますので、人が変わったようになるでしょうね」
「父上が魔物に?」
「心当たりがおありでは?」
 サクシマは首を振った。
「時の魔女殿になぐさめられるなんて、光栄ですね」
 いつもの口調で笑うと、「お任せしますよ」とサクシマは言った。
「人が変わったスグラス様は、南の領地で穏やかな余生を過ごされるでしょう」
「そうか……」
「噂に聞くより、時の魔女殿はお優しいらしい」
「そうそう。国の公式行事には、若い後妻を連れて出席されます」
 時の魔女はにやりと笑った。カールは目を瞬かせる。同じように言葉に詰まったサクシマが、それでもすぐに調子を取り戻して肩をすくめてみせる。
「白い髪で緑の瞳の、ですか?」
「あら、それでは目立ちすぎますから、髪の色は適当に変えますわ」
「お好きなように」
 サクシマは言って、話は終わったとばかりに、一歩下がるとカールを見た。彼はカールの前髪に今気付いたのか、驚いた顔をした。
 ――ニナの言葉に相応しい自分でありたい。
 まずは前髪を切ろう。傷のことで何か言われることがあっても、きっと大丈夫だ。
 カールはサクシマに軽くうなずき返し、時の魔女に向き直る。白い髪と緑の瞳の大魔女。前髪の壁なしで対するのは初めてだった。カールの決意が筒抜けなのか、時の魔女はおかしそうに目を細めた。
「魔女エヌのことは聞いた。私の依頼は終了だな?」
「ええ。そうですね。ご請求は後程。怪我の治療費を上乗せしても?」
 カールは後頭部に貼られた湿布薬に手を当てる。ラルゴがすぐに助けに来れたのは、時の魔女の援護があったからだと聞いた。
「怪我の治療もだが、助けに来てくれたことも、礼を言う」
 カールの言葉に、時の魔女は慇懃に礼をした。それは今までとは違い、きちんと敬意を持った行動に思えた。
「陛下、様子が違うよね? 何かあった?」
「それはわかりませんが。確かに変わられましたな」
 後ろでひそひそ言い合うサクシマとラルゴは無視した。
1996.08.07 19:57(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 8.星のある夜(3)

 夢を見ていた。
 カールは歩いていた。円形の塔に沿って緩いらせんを描く階段は、窓も灯りもなく真っ暗だ。冷たい湿った壁に片手をつき、ひたすら上っていたが、ずっとどこにも辿り着かない気がしていた。でも、戻ったり立ち止まったりするのは怖かった。
 ふと、後ろから足音が聞こえることに気付いた。ずるずると重いものを引きずって歩くような音だ。振り返っても階段がカーブしているため、見通せない。逃げなくてはと思った。慌てて速度を上げるけれど、ここまでずっと上り続けていたせいで疲れた足には力が入らない。
 もういいのではないか。
 逃げる必要があるのか。
 この先に進む必要があるのだろうか。
「カール!」
 カールの手を握る手があった。数段上からこちらを見下ろしている灰色の瞳の少女。淡い金髪が星のように清かな光を放っているのが、長い前髪越しでもわかる。
「何やってんの? 早く、走って!」
 ニナは不機嫌に睨んで、カールの手を引いて階段を駆け上がる。カールは必死に走りながら、手を離さないように力を込めて握り返した。
「その傷は力を持ってる。稲妻のしるし」
 ニナの声が塔に反響する。
「完璧なものだけが美しいとは限らない」
 彼女が言葉を紡ぐたびに、カールの足が軽くなるようだった。
「あんたは力を持ってる」
 ニナに言われると本当にそんな気がしてくる。これが魔法なのか。
「カールはすごいと思う。羨ましい」
 出口なんてないと思っていたのに、不意に行く手に空が見えた。真っ黒な雲が一面を覆っている。風がカールの前髪を巻き上げた。
 最後の一段を上ると、ニナはカールを振り向く。そっと傷に触れた。
「私はこの傷好きだよ」
 にっこり笑ってそう言ってから、くるりと身をひるがえす。
 今度は逆にカールがニナの手を引き、抱えるようにして、横に跳んだ。階段の出口から離れる。屋上に姿を現した人とも獣ともつかない黒い大きな影に、向き直る。
「離して、大丈夫」
 ニナが木片を取り出すのを制して、カールは彼女を背にかばった。
 使い慣れた剣が、今はある。すっと抜くと、遠くで雷鳴が響いた。
 ニナを守りたい、笑顔を見たい。彼女の言葉が自身を射抜く理由をカールは考えた。
 父王メラエール一世が魔女エヌをサロンに誘って断られたのは王城では有名な話だが、密かに関係があったとしたら?
 毎年の占いは、エヌと娘の近況を知りたいための口実だったとしたら?
 父親とは会ったことがない、名前は言えない、簡単に会える人じゃないというニナの話とも繋がる。
「ニナ、あなたを守るのは僕の役目だ」
 ――だって、あなたは僕の妹だろう?
1996.08.07 19:56(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 8.星のある夜(2)

 時の魔女は「まだ仕事が残ってる」と言って帰っていった。ニナは一人でカールを診ていた。ベッドの横に椅子を置いて、彼の手を握ってみる。シンゲツの影響なら、ニナの魔力で回復が早まったりしないかと思ったのだ。
 貴族の――ましてや王様の手なんて、傷一つない綺麗なものなんだろうと思っていたのに、カールの手は剣を使う人の手だった。手のひらは固く、マメができていて、爪は磨かれてはいたものの短く整えられていた。指にはペンだこもある。
 ニナが「すごい」の一言でまとめてしまった裏には、きっと途方もない努力があるのだろう。それなのに彼の自己評価は「大したことない」なのだ。
「う……」
 カールがうめいたから、ニナは顔を覗き込む。端正な顔が苦しそうに歪んでいる。
「カール? 大丈夫?」
 手を放そうとしたら逆に強く握られた。カールからの返事はなく、目が覚めたわけではなかったらしい。ニナは空いている手で、落ちかけた手巾をカールの額に乗せ直す。そのまま手を当てていると、眉間の皺が消え、表情が落ち着いたので、ニナはほっと息を吐いた。
 カールの顔の傷が目に入った。ニナはそっとそれに触れる。魔力が宿っている気配はない。普通の古傷だ。
 皮膚が盛り上がってうっすら赤みが差しているけれど、あんなに必死に隠すほどの傷とは思えない。ラルゴの方が痛々しいし、迫力があり、相手に与える影響は大きい。それに比べたら、カールの傷は小さいほうだ。
 ドアが開く音がして、ニナは傷に触れていた指を離す。振り返るとリーンだった。簡素な庶民のドレスなのに、姿勢の良い足音のしない歩き方には気品がある。黒い色の大きな瞳が印象的な小柄な女性だ。後ろで一つに束ねた髪は煉瓦色だけれど、女将が染めていると言っていたから、きっと元々はカールと同じ黒なのだろう。
「どうでしょうか?」
「まだ寝てます」
 立ち上がって場所を開けようとしたら――カールに握られた手が離れなくて立ち上がれなかったのだけど――、リーンはニナを手で留め、自ら椅子を隣に持ってきて座った。
 自己紹介だけしたものの、リーンときちんと話すのはこれが初めてだった。王女に対する口調や振る舞いなんて全くわからない。もっとも、王であるカールに対してずいぶんぞんざいな口をきいてしまっているので、今さらかもしれない。
「カールを守ってくださって、どうもありがとうございます」
 リーンは丁寧な言葉で、ニナに頭を下げた。ニナは慌てる。
「全然、そんなことない、です。守ってもらったのは私の方で、怪我させてしまって……」
 ニナがカールを見ると、リーンもそれを追った。ニナの手の上から、リーンはカールの手を握る。そのせいでニナは手を放すタイミングをますます失ってしまった。
「カールのことを、わたくしも守ってあげたいといつも思っているのですが、力不足で、だめですね。自分の身もろくに守れず、逆に守ってもらってばかりですわ」
 何て言ったらいいのかわからず、ニナはどうにでもなれと気になっていたことを聞く。
「カールの傷、そんなにひどくないと思うのに、どうして隠してるんですか?」
 気を悪くするかと心配したけれどそんなことはなく、
「王位に就いても変わっていないのですね……」
 そうつぶやくと、リーンは深いため息をついた。
「カールの右目の傷は生まれたときからなのです」
「生まれたときから?」
「ええ。そのせいで、お母様はカールを遠ざけてしまいました」
「え? こんな傷一つで?」
 リーンは静かにうなずく。
「王城にはレフトレア宮という建物があります。以前は『王のサロン』と呼ばれていました」
 突然変わった話題に、ニナは黙って耳を傾けた。
「美しいものには力がある――魔女の世界では常識ですわね?」
「はい」
「王家でもそうなのです。美しいものを集めることで、王の力を誇示していました。サロンには、外国の珍しい動物や綺麗な花が集められ、人も集められていました。見た目が美しい人、美しい音楽を奏でる人、美しい絵を描く人……。芸術家は王がパトロンになってサロンから作品を発表しました。見目麗しい女性なら王の愛妾に、男性なら侍従になったりもしました。無理やり閉じ込めて出歩くことを禁止するような、不健全なものではなかったのですが、……見せびらかすのが目的ではありましたし、時代によっては、その……人と思わないような扱いがされることもあったようです」
「今はないんですか?」
「ええ。先王が廃止しました。今でも残っているのは、タウダーラーの里からの人質をサロンに住まわせるという掟だけです。それがシイナです」
 リーンの瞳が揺れた。悲しげに少し微笑む。その掟がなかったら、きっとリーンとシイナは出会わなかった。
「タウダーラーの存在は秘されていて、人質を取る決まりはサロンとは別の背景があったため、シイナは今でもレフトレア宮から出ることができません。あなたが彼の翼を消してくれて、やっと出ることができるのです。……そのことも、感謝させてください。どうもありがとうございます」
「いえ、それはエヌが」
「ふふっ。魔女エヌは偉大ですわ」
 恐縮して首を振るニナに、リーンは片目をつぶる。
「お父様が王子だったころ、まだサロンはありました。エヌの美貌を聞きつけ、自分のサロンに迎えたいとエヌのところに行ったそうなのですが、こっぴどく断られたらしく……何を言われたのかわかりませんが、サロンを廃止することに決めたのはその後です」
「そんなことが……」
 先王崩御の知らせを聞いてエヌが痛ましげにしていたのは、知り合いだったからなのか。
「もうサロンはないのですが、美しさへの信仰は根強くあって、自分の産んだ子どもに傷があることが、王家の傍流から嫁いできた母には耐えられなかったようです」
「そんなのカールのせいじゃないのに」
 ニナは改めてカールの傷を見る。
 ただの傷だけれど、ニナは魅力を感じ、名前をつけた。
 ――稲妻のしるし。
「美しいものには力がある」
 ニナは言葉に力を込める。
「でも、完璧なものだけが美しいとは限らない。不完全なものに宿る美しさもある。私は、カールの傷は綺麗だと思う。この傷には力がある」
 魔物が現れるわけでも、魔法が発動するわけでもない。リーンが何も言わなかったから、わずかに沈黙が流れた。
 ニナは少し気まずくなって、取り繕うように言い足す。
「私はこの傷好きです」
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」
 リーンの笑顔に、ニナもほっとして微笑んだ。
 そのとき、カールが身じろぎした。はっとして目をやると、カールの瞼がうっすら開いた。
「……ん……」
「カール! 起きたの?」
「ニナ?」
 ニナと目が合うと、カールは身を起こそうとして、うめいた。
「ううっ……。ああ、殴られたのか……」
「大丈夫?」
「大したことはない。それより、あなたは無事か?」
「うん、私は大丈夫」
「そうか、良かった……」
 ニナがうなずくと、カールは微笑んだ。そうすると、確かにリーンと姉弟なのだとわかる。
「ここはどこだ?」
「カール、久しぶりですね」
「リーン? なぜ?」
 リーンが立ち上がり、前に出る。ニナは下がりたかったのだけど動けず、
「カール、手放して」
「え? あ。ああ、すまない」
 カールが手を放してくれたから、ニナはリーンに場所を譲る。リーンがカールに状況を説明している間に、ニナは時の魔女が置いていった薬湯を用意した。
 今さら態度を改めるのもおかしく、カールが国王とわかった今もニナは前と同じように話した。
「飲んで」
 リーン経由で受け取った器に口を付け、カールは顔をしかめた。見た目と匂いがちっともおいしそうではないから、だいたい想像がつく。
「それ、時の魔女の薬だから、すごく効くと思う」
「時の魔女が?」
 後で高額な代金を請求されなきゃいいが、とカールが言うのに、ニナは否定できなかった。
「あの、カール。怪我させてごめん」
 ニナはそう言ってから、そうじゃないと思い至る。魔物相手なら簡単に言えるのに、人相手だとなぜかうまくいかない。
「守ってくれて、どうもありがとう」
 ニナがそう言って笑うと、カールは目を見開いて固まった。それから、リーンの手に器を押し付けると、顔をそむけて、
「いや……それより、僕の方が先にやられてしまってふがいない。あなたが怪我しなくて良かった」
 それだけ言って、また横になる。感謝の気持ちが伝わったのならいいや、とニナはリーンから器を受け取って片付ける。
 後ろでリーンの笑い声が聞こえた。
「あら、まぁ……うふふ……」
「リーン! 笑わないでくれないか」
「ふふ、ごめんなさい」
「僕はもう少し寝る」
 姉弟の仲は良さそうで、ニナは安心した。
 そう思うと、自分はシイナとほとんど話していないことに気付き、どうしたらいいのかと悩むのだった。
1996.08.07 19:55(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 8.星のある夜(1)

 カウシ亭の三階。シイナが借りている部屋にカールは寝かされた。
 医者によると、頭の怪我は少し打っただけで大したことはないそうだ。目が覚めないのは寝不足か疲労だろうと医者は言ったけれど、シンゲツのせいなんじゃないかとニナは思った。
 襲ってきた二人組は、エヌの話をしていたからニナを狙ったと話した。ずっと昔に王都ではエヌの情報に賞金がかけられたことがあり、それはとっくに取り下げられているのだけれど、もしかしたら金になるかも、と思ったらしい。王家絡みの裏がないか確かめると言って、ラルゴとシイナが別室でさらに詳しく話を聞いている。
 あのとき、リーンとシイナとの話が終わったラルゴが、女将からニナの伝言を聞いて心配して外に出たところで時の魔女に会ったらしい。時の魔女は、シンゲツから場所と状況を聞いて駆け付けたところだった。
 時の魔女は医者が来る前にカールを診て、一度出て行き、戻って来たときには薬草と調薬の道具一式を持っていた。入れ違いで帰った医者がカールの頭に貼った薬を剥がし、自ら調合した薬を塗って、薬湯まで作ってくれた。
 ニナは、カールの治療が終わった時の魔女に、エヌの話をした。寝ているカール以外は誰もいなかったけれど、時の魔女はきちんとした魔法陣を描いて結界を張った。魔法陣の中に並べた椅子に座って、時の魔女とニナは向かい合った。
 エヌの死、ティサトの見解、アケミの言葉。時の魔女はニナの自由に話させた。
 ニナの父親の件とアマネの守護を得たことは言わないでおいた。とっくに気付かれているかもしれないけれど。
「エヌは魔法界に上がったときアケミの影響を受けた、とアケミが言ったのね?」
「はい」
「ふうん、そう……なるほどね」
 時の魔女は、考えるようにつぶやき、一度頭を振った。魔法陣の中で光を纏っていた白い髪が揺れる。
「エヌのことはだいたいわかったわ。全く、あの子はいつでも自分勝手ね」
 見た目の年齢ではエヌの方が年上だけれど、時の魔女はエヌの育ての親だった。ニナやティサトほどエヌの死を悲しんでいないように見えるけれど、時の魔女が簡単に本心を見せるとも思えなかった。
「先生はエヌを呼び出せますか?」
「できるんじゃないかしら」
「それじゃ……」
 勢い込んで言いかけた言葉を、時の魔女は遮る。
「だーめ。自分で呼び出せるまで我慢しなさい」
「どうして?」
「その方がいいのよ。そのころにはエヌの気持ちがわかるようになっているかもしれないから」
「え? どういうこと? 先生、何か知ってるの?」
「想像よ、想像」
 先生の意地悪だとか、ケチだとか、ぶつぶつ文句を言うニナに、時の魔女はにんまりと笑った。
「それでシンゲツには会った?」
 ニナは身を乗り出す。
「先生が企んでたのってそれですか? 私とカールを会わせようとしてたのは、シンゲツと会わせたかったから?」
「シンゲツとは別に、カールにも会わせたかったのよ」
「カールにも? なんで?」
 時の魔女は珍しく目を伏せた。
「借りがあるの」
「借り?」
 それがどうしてニナに繋がるのかわからない。ニナは説明を待ったけれど、時の魔女は話すつもりはないようだった。切り替えるように顔を上げ、白い髪を後ろに払いのけると、立ち上がった。ニナは慌てて言い募る。
「待って、先生。エヌが言っていた厄災がシンゲツですか?」
「そうね、エヌはそう思ったのかも」
「え、本当は違うの?」
「ニナはどう思ったの?」
 逆に尋ねられて、ニナは考えながら答える。なんとなく視線がカールの寝るベッドに向いた。
「怖くはなかったです。話してるとイライラするし、面倒くさいとは思ったけど」
「面倒くさい? あははは。確かに」
 時の魔女は声を上げて笑う。けっこう親しいのかもしれない。
「シンゲツが厄災じゃなかったら、エヌの守護は無駄になるんじゃないの?」
 時の魔女は指でニナの額を押して、ニナの顔を上げさせた。緑の瞳がニナを見据える。
「そういうことじゃないわ。――エヌは、たぶん不安になったのよ。シンゲツじゃなくても、厄災はいっぱいあって、エヌの目が届かないところでニナが危険な目に遭うのが怖くなった。ニナを閉じ込めるわけにもいかない。アケミをつけようとしても、アケミはニナよりもエヌが第一だから無理。それなら、どうするか」
 時の魔女は、ニナの頭の上の宙を見た。
「馬鹿ねぇ。笑っちゃうわ」
「先生……」
「これも私の想像」
 時の魔女はニナを見下ろす。
「話は終わり?」
 ニナがうなずくと、時の魔女は靴の踵を床に打ちつける。コツンと高い音がすると、木炭で描かれた魔法陣の線がするすると彼女の足元に引き込まれ、影に溶けて消えた。
1996.08.07 19:54(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 7.月のない夜(3)

 二人で外に出る。カールが先に立って歩いた。
 ワカバ通りは夜でも人通りがあった。食材の店は閉まっていたが、カウシ亭のような食堂がいくつかあり、灯りが漏れている。おいしそうな匂いが外にも漂っていた。
 王都まで旅する間に月も変わり、もう春も近い。それでもまだ冷たい空気を吸い込んで、ニナは空を見上げた。建物の屋根で縁取られた空には、ニナも知っている星座が見える。ニナにとっては長い旅だったけれど、星座が変わるほどの距離ではないのだ。なんだかおかしくなって、ニナはくすりと笑った。
 その笑い声が聞こえたのか、カールが肩越しに振り返る。
「今、笑ったのか?」
 何でもないと言いかけたけれど、カールの顔が真剣だったから、ニナはきちんと答えることにした。
「何日も旅して、遠くへ来たと思ってたけど、空から見たら大した距離でもないんだなと思って」
 そういえば、アマネはオークルウダルー村と王都を一瞬で行き来していた。魔物にとっても大した距離じゃないらしい。
「僕は王都から出たことがない」
 話をするならと、ニナはカールの横に並ぶ。
「私も初めて旅をしたんだけど、知らない場所に行くのは楽しいよ」
「そうか」
 カールは気のない返事をしたかと思うと、不意にニナの手を引いて、横道に入った。
「走れるか? つけられている」
 ニナはうなずくまでもなく、カールに連れられて走った。昼間に迷い込んだ路地よりも広く、物が置かれてもいないから、走るのに問題はなかった。後ろから追ってくる足音がする。
 全力で走ったけれど、あっという間に追いつかれた。ニナに手が伸びる寸前に、カールが引き寄せてくれた。
 対峙した相手は、中年の男だ。普通の市民のように見えた。剣も下げていない。ニナは、またリーンとシイナの追手だと勘違いされたのではないかと一瞬思ってしまった。
 カールは腰に手をやり、小さく悪態をついた。剣を抜こうとして持っていないことに気付いたのだろう。
 ニナを抱き寄せたまま、男に問いかける。
「何の用だ?」
「魔女エヌのことだ」
 カウシ亭でカールが言ったセリフだった。目くらましの魔法をかける前に聞かれていたらしい。
「離して。魔法具があるから」
 ニナが囁くと、カールは腕を緩めた。ニナは男に気付かれないようにポケットを探る。
「うっ!」
 カールのうめき声がして、ニナに彼の体重がのしかかる。支えきれず、二人でその場に座り込んだ。
「カール!」
 後ろにも男が立っていて、木の棒を持っていた。それでカールは殴られたのだ。
「おい、やりすぎだ」
「エヌの情報を持っているのは娘の方だろ。野郎は邪魔だ」
「子どもだろうが」
 男たちは話しながら、ニナの腕を引っ張った。釣り上げられるようにされ、ポケットから出た左手には魔法具が握られていた。ニナは人差し指でそれを擦る。視線はカールに向けられていた。ぐったりと倒れた彼の髪は乱れ、傷がむき出しになっている。こめかみから目の下にかけて走る稲妻のしるし。
 ニナは男の脛を力いっぱい蹴ると、掴まれた腕を振り払い、一歩下がった。カールを背に、男たちに向き直る。魔女の血をつけた魔法具を彼らの足元に投げつけた。
 瞬間、闇が落ちた。
 魔法具から大きな空気の塊が発射されて、男たちが飛ばされる。視界から消えた。
 これは厄災の闇だ。
 ニナも反動でふらついたが、踏みとどまる。
 ニナの胸の前に拳大の薔薇色の光の玉が浮いて現れ、少し明るくなると、襲ってきた男たちが倒れているのが見えた。彼らは倒れたまま動かない。
 あの魔法具にここまでの威力はないはずだ。風を起こす魔法陣が刻まれていたけれど、せいぜいでも相手を数歩下がらせる程度の風で、吹き飛ばすなんて無理だ。でも、ニナは魔法を放つとき、制御をしなかった。強くとも思わなかったけれど、加減しようとも思わなかった。そんな中、無意識に、カールの傷――稲妻の力をイメージしなかっただろうか。
 ニナはゆっくりと男たちに近付く。
「こいつらを生き返らせてほしいと思わない?」
 籠った低い声が聞こえ、ニナは立ち止まる。男たちの上に厄災の魔物が浮かんでいた。周囲の暗さよりも暗い、闇の玉。
「死んじゃったの? 私が殺した?」
 ニナの声は知らずに震えた。
 人を攻撃するために魔法を使ったのは初めてだった。効果はきちんと理解していたのに、それを向けられた人がどうなるのかはあまり考えていなかった。こんなはずじゃなかったのに、という言い訳はできない。
「死んでないものは、生き返らせるとは言わないね」
 魔物はからかうように、男たちの上をぐるりと旋回する。
 辺りが一瞬で眩しくなり、薔薇色の光の玉が膨らみ、ニナを包み込んだ。このままではこの場から引き戻されてしまうと思い、ニナは叫ぶ。
「エヌ、待って! お願い!」
 すると、徐々に光が弱まり、元の大きさの玉に戻った。ニナは押しつぶさないように注意して、そっと両手で引き寄せる。
 魔物は、ニナが抱えた光の玉には目もくれず繰り返す。
「どうする? 生き返らせてあげようか?」
 ニナは両足に力を込め、顔を上げる。ゆっくりと首を振った。
「いらない。私の魔法の責任は私が取らなきゃ」
「生き返ったら、魔法はなかったことになるんだから、責任なんて取る必要はない」
「なかったことにはならない。私は忘れない」
 ニナは魔物を見つめる。
「忘れさせてやると言ったら?」
「だめ。忘れない。それに、人を生き返らせるなんて魔法は、世界に影響する。良くない」
 魔物は黙った。闇の玉は、黒い霧か煙を集めたような感じで、風の魔法で薙ぎ払ったら消し飛ばせそうだった。けれど、そんなことをしようとしたら、魔法が発動する前にニナが消されるだけだろう。
 三度呼吸を数えたころ、魔物がふるふると震えた。笑っているようだった。
「うん、うん。かわいいね。気に入ったよ」
 魔物がそう言うと、男たちが低くうめいた。
「生き返らせたの? だめって言ったのに!」
「僕は、こいつらが死んだとは一度も言ってない」
「え?」
「君の魔法に上乗せした僕の魔力を引いてあげたよ。君の魔法だけなら、擦り傷程度だ。良かったね、殺してなくて。目が覚めたらうるさいだろうから、もうしばらく寝ていてもらうつもりだけど、それは構わない?」
 ニナは無言で首を縦に振る。なんだか面倒な魔物だ。こんなのに気に入られたのなら、それは確かに厄災かもしれない。
 男たちはいいとして、ニナは今度はカールが気になった。魔物から目を逸らさずに後ずさると、カールのところまで戻った。
「カールも無事だよ。ちょっと寝てるだけ」
 魔物が言った通り、しゃがんでそっと頬に触れると、温かい。息があるのを確認して、ニナはほっとした。
「君をずっと探してたんだ」
 魔物が近付いてきたため、ニナはカールを庇うように前に出た。少し距離を置いて止まった魔物の黒い霧が大きく広がり、形を変え、すうっと収縮すると、そこにいたのはカールだった。ただし、その顔に傷はない。前髪も短かった。しかしそれは些末な差で、力の抜けた立ち方やニヤニヤ笑う様子がカールとは全く違っていた。
 本物のカールはニナの後ろで倒れている。
「やあ、金の葉の君」
 カールの姿をした魔物は、楽しげに両手を広げる。魔物の声はカールとは違って、大人の男の声だった。
「はじめまして。僕はシンゲツ。意味がわかるかい?」
 辺りは真っ暗だ。わからないわけがない。
「新月」
「そうだ。ふふふ。いいね。君に呼んでもらうと格別だ!」
 一人で笑うシンゲツをニナは見遣る。いちいち言動が不愉快だけれど、怖くはない。
「金の葉の君。僕は名乗ったよ?」
「私は魔女ニナ。魔女エヌの娘」
「ああ、それで」
 シンゲツはニナの抱える光の玉を一瞥した。
「直接会ってやっと気付いたんだけれど、君は白い翼の姫でもあるね?」
「姫ではないけど、タウダーラーの娘って意味なら、そう」
 シンゲツはまた、くすくすと笑った。
「納得だよ。魔女エヌは、メラエールとスグラスが揃って手に入れたがった宝石。タウダーラーは、サントランド王家が苦労して手に入れた秘蔵の芸術品。君はその二つの系譜に連なっているんだ。僕が気になるのも当然だ」
 エヌやタウダーラーをモノ扱いされ、ニナは顔をしかめる。それをどう思ったのか、シンゲツは、
「ああ、言ってなかったね。僕は王家の守護をしているんだ。もちろん、したくてやっているんじゃない。不本意だけど、僕の由来が王家の闇なんだから、仕方ない。豪華なお城に暮らして皆にかしずかれているけど、闇を飼ってるだなんて、笑えるだろう? あはは」
 ニナは彼の笑い声を遮った。
「どうしてその姿なの?」
「今はカールと一番近しいからさ。別の姿も取れるけど……えっと、これは先代メラエール。それで、これがそのまた先代のニール。あとは……」
 シンゲツは何度か姿を変えてみせる。年齢はバラバラだったけれど、全員どことなく似た黒髪の男だった。
「どう? ニナの好みはいた?」
「そんなことより、カールも王族なの?」
「へー、意外だな! カールが好み? 年が近いから?」
 ニナが無言で睨むと、カールの姿に戻ったシンゲツは肩をすくめた。
「カールは今の国王だよ。メラエール二世だ」
「えっ! 王様?」
 リーンの弟で、ラルゴが護衛していて、大したことはやっていないとカール自身が酷評した現国王――それがカール?
 ニナは慌てた。カールの隣に戻ったもののどうしていいかわからず、胸に抱いていた光の玉をカールの背中に押し付けてみた。
 そんなニナをシンゲツはニヤニヤと笑って見ている。
「守護してる人が怪我してるのに、よく平気でいられるね」
「心配ないってわかっているからさ。それに、魔物の守護は魔法を使わない攻撃には無力だ」
 シンゲツはカールの顔を見て、初めて笑みを消す。黒い双眸が闇に光った。
「魔法の攻撃を防げなかったのなら、僕だって気にするよ」
 傷のことだろうかと思って目をやると、それに気付いたシンゲツはニナの顔を覗き込んだ。
「ニナの頼みなら教えてあげないこともないけど。どう? 教えてほしい?」
「いらない。知りたくなったらカールに聞く」
「言っておくけど、カールは知らないよ」
「それでもいいよ」
 聞ける機会がこれから先にあるとも思えなかったけれど、それも含めて、ニナは返事をした。
「そろそろ、この場を元に戻して」
 ニナは背筋を伸ばして、シンゲツを見上げた。シンゲツは背後の男たちをちらっと振り返る。
「いいの?」
 ニナはポケットを探り、持っているだけの魔法具を取り出す。あと三枚だ。
 たぶん、どうにかなる。
「大丈夫」
「やっぱり、かわいくないか。いや、そんなところも魅力なのかな」
「わけわからないこと言ってないで、さっさと戻して」
「いいよ。こっちの仕込みも良さそうだ」
「仕込み? 何か企んでるの?」
「ひどいなぁ。ニナ、君のためを思って、時の魔女に使いを出してあげたのに」
「え、本当? それは助かる。ありがとう、シンゲツ」
 ニナが笑ってお礼を言うと、シンゲツは目を丸くした。それから、困ったように笑う。今までのニヤニヤ笑いとは違って、不愉快なものではない。
「ニナ、また会おう」
 そう聞こえたかと思うと、すとんと一気に闇が消えた。
 ニナは襲われたときと同じ場所に戻っていた。シンゲツの闇に慣れた目では、夜道ですら明るい。
 カールは倒れたままだった。本当に無事なのだろうか。薔薇色の光の玉も、闇と一緒に消えていた。
 一方で、襲ってきた男たちは意識を取り戻していた。シンゲツが言ったように擦り傷程度らしく、痛がりながらも起き上がる。
「この娘、何をしたんだ?」
「今のは魔法か?」
 ニナはカールの横に片膝をついて座り、魔法具を構える。直接攻撃するより、派手な魔法を見せつけた方が効果的かもしれない。それとも、時間稼ぎで防御に徹するべきか。できるだけ怪我をさせたくないし、周りを壊したくもない。でも、カールを守らなくてはならないし、自分が怪我するのも避けたい。
 今思えば、カウシ亭でシイナに魔法を止められたのはとても幸運だった。あそこで中途半端な気持ちのまま人を攻撃していたら大変なことになっていた。
 ニナが迷っているうちに男たちは体勢を整えていた。それぞれ木の棒を手に持っている。
 覚悟を決めなくては。
 震える指先に力を込めようとするニナの耳に、足音が聞こえた。
 助けかと安心する暇も、襲撃者の仲間かとおびえる隙もなく、あっという間に目の前の男たちは倒れていた。
「大丈夫か?」
 一瞬で二人を伸したのはラルゴだった。
「ラルゴ、助けて! カールが!」
1996.08.07 19:53(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 7.月のない夜(2)

 カウシ亭のカウンターで、ニナは一人で食事をしていた。再会したラルゴとリーンとシイナは、三人で話をしている。リーンとシイナはここの上階に部屋を借りていて、シイナはサンサヴァリー港の倉庫街で働き、リーンはこの店を手伝っているらしい。
「まぁ、リーンちゃんは給仕としてはあんまり役には立ってないんだけどね」
 最初に応対した大柄な女――カウシ亭の女将だ――が、ニナに話してくれた。
 久しぶりに友人が訪ねてきたと言ったリーンに、女将が快く休みを出した理由がわかった。
「リーンちゃんはおっとりしてるっていうか世間知らずっていうかだし、二人とも美男美女だし、どこかの国から逃げて来た王女様と王子様だって、皆が勝手に想像しててさ。追手が来たら撃退してやろうってことになってたんだよ」
「私たちのこと、追手だと思ったんだ?」
 撃退しかけられたニナは苦笑する。
「悪かったね」
「ううん。二人を探していたのは本当だから」
 女将はニナに顔を寄せ、小声で囁いた。
「王都にいて王女様の絵姿を見たことがない人間はあんまりいないよ。髪の色を変えててもわかる。まぁ誰も言わないけどね」
「そういえば、偽名も使ってないんだ……」
 女将は答える代わりに、ばちんと片目をつぶって、給仕に戻っていった。
 駆け落ち中の二人が、周りの人に守られて穏やかに暮らしていたようで、ニナはほっとした。
 それから食事に専念することにしたニナは、隣に人が座って初めて顔を上げた。
「また、あんた?」
 カールだった。裏通りで会ったときと同じ格好をしている。
「何?」
 つっけんどんに聞くと、彼は少し怯んだように言いよどんだ。
「……あ、あの……いや、何度もすまない。さっきの話の続きを聞かせてくれ」
「さっき?」
「魔女エヌのことだ」
「あーそっか」
 いろいろありすぎて忘れていた。
 ニナはどうしても気になって、彼の前髪を指差す。
「前髪、分けてくれたら話す」
 目は隠れて見えなかったけれど、睨まれていると思った。しかし、ニナは気にせずに睨み返して辛抱強く待つ。根負けしたのはカールの方で、大きくため息をついて、前髪を分けた。露わになった黒い目は、彷徨った末に手元に落とされる。
「いらっしゃい。何にする?」
 女将がやってきて、カールに水を出す。彼は、びくりと肩を震わせ、顔をうつむかせる。
「下町の人間はそんな傷気にも留めないって」
 ニナはカールに囁く。その言葉の通り、女将はカールの傷に特に反応は示さなかった。ニナの囁きが聞こえていて気を使ってくれた可能性もあるけれど。
 カールは、ニナの食べている皿を指し「同じものを」と注文した。
「ニナちゃんの友だち?」
「う……うーん……、知り合いの知り合い?」
「何だい、それ。あはは」
 ニナの答えに女将は笑って、カールに目配せする。
「まあがんばりなよ。ニナちゃんは王都初めてだって言うから案内してやったらいいじゃない」
 女将が去った後、カールはあからさまにほっとした顔をした。
「あの女性は何か勘違いしているようだな」
「勘違い? どういうこと?」
「いや、わからないならいいんだ。……それより、王都は初めてなのか?」
 首を傾げるニナに、カールは話題を変える。
「うん。王都はすごいね。人がいっぱいで」
 建物の規模も形も違う。モノの多さにも圧倒された。生まれ育ったモニエビッケ村とは、何もかもが比較にならない。
「王都が栄えているのは、王様のおかげなんでしょ?」
 昔エヌが言っていた気がする。良い治世が続けば、王都の富は順に国の隅々まで行き渡っていく。北の辺境にあるモニエビッケ村も、日々の生活に困るようなことはなく、十分に豊かだった。
「すごいね」
「全然すごくない」
 思いがけず硬い声に、ニナは隣に顔を向ける。カールは真っ直ぐにこちらを見ていた。彼はなぜだか否定的なことを言うときほど、視線の力が強い気がする。
「先王メラエール一世はともかく、現王メラエール二世は大したことはやっていない。先王の事業をそのまま続けているだけだ」
「へー。すごいね。同じように続けるのって難しいのに」
 ニナは、エヌが受けていた依頼を全て引き継げと言われてもできない。
「先王の側近が残ってくれたから続けられたんだ」
「わー、いいな。後継者だって認められたんだ」
「認められた?」
「じゃなきゃ、普通は従わない」
 アケミを呼び出すことができないニナは、「いいなぁ」と繰り返す。
「王個人じゃなくて、王家の血統に忠誠を誓っているんだろう」
「血縁があっても、力が足りないからだめだって、私はアケミに言われたけど?」
 いちいち水を差されたニナは、思わず喧嘩腰になる。
「アケミ? 何の話だ?」
「そっちこそ、何なの?」
「……ああ、いや……」
 先に引いたのはカールだった。ニナは譲らない。
「私は、王様はすごいと思う。羨ましい」
「……羨ましい?」
「あんたの意見はどうでもいいよ。だから私の意見にも口出ししないで」
 ニナが睨むと、カールは目を逸らした。うつむいた頬にわずかに赤みが差している。泣いてしまうのではないかと思った。彼の様子にニナは後悔する。言い争うつもりなんてなかったのに、どうしてこんなことになったのか。
 何か言わなきゃと思ったときに、女将がカールの前に皿を置いた。
「お待ちどう。温かいうちにね」
 そう言って、去り際にニナの腕を叩く。口喧嘩を聞かれていたようだ。促されて、ニナは言葉を探した。
「……えっと、エヌのことだよね」
「あ、ああ。そうだ。エヌの話を聞きに来たんだ」
「とりあえず、食べなよ」
 ニナは足元に置いていた鞄から魔法具を取り出す。周りの人間から注意を向けられなくなる目くらましの魔法陣が彫ってある木片だ。エヌの話はあまり他人に聞かれたくない。
 ニナは魔法具をカールとの間に置く。食事を始めていたカールは、魔法具を見て、無言でニナに説明を求める視線を送った。
「魔法を使うけれど、普通にしていて」
 カールがうなずいたのを確認して、ニナは魔法具の上に人差し指をかざし、血を一滴落とした。魔法具が薄い金色の光を帯び、すっと魔法が二人を包む。周囲の喧騒がほんの少し遠ざかった。
「人から目につかないようにしたんだけど、見えなくなったわけじゃないし、声も全く聞こえないわけじゃないから小声で話して」
「わかった」
「食べながら話すから、そのまま普通に食べてて……驚かないで聞いて」
 ニナもまだ食事が途中だった。スプーンを手に取ったものの、それ以上は動かせなかった。何度話しても慣れない。
「――魔女エヌはもうこの世にはいない。去年亡くなった」
「そうか」
「私は、魔女エヌの娘」
 カールの手が一瞬止まる。
「でも、エヌほどの力はないんだ。得意な魔法の傾向も違う。エヌに縁の魔物だって、私では呼び出せない。……エヌに依頼があって探してるんだったら、悪いけど、他の魔女をあたって。それこそ時の魔女に依頼した方がいい」
「ああ」
 カールが小さく納得したのが、ニナには痛かった。ラルゴはそれでもニナに任せてくれたけれど、彼は違うのだ。
 自分で断っておきながら傷つくなんて、勝手だ。
 自嘲するニナは、カールが続けた言葉で、自分の勘違いを知った。
「なるほど。さっき、王が羨ましいと言ったのはそういうことか」
「うん。ほとんど八つ当たりだ。ごめん」
「こちらこそ悪かった」
 謝られるとは思っておらず、ニナはカールにちらりと目を向けた。カールは変わらず食事を続けている。
「王様を見習って、私もがんばろう。自分に合った魔法を研究して、力をつけて、早くアケミやエヌを自分で呼び出せるようにならなきゃ」
 手元に視線を落としていたニナは、カールがこちらを見たことに気付いていなかった。
 しばらく二人は無言で食べた。
 先に食べ終わったニナは、カールを横目で見る。彼が食べていると、かぼちゃのグラタンも高級料理に見えてくるから不思議だ。
 すると、カールが居心地悪そうに身じろぎして、
「何だ?」
「え?」
「見ているから」
「うん、姿勢いいなぁって思ってただけ」
 そう答えると、睨むように一瞥された。じっと見てるなんて失礼だったかとニナは反省する。
「父が毎年エヌに占いを依頼していた。直接出向かなくても、新年に結果を届けてくれる契約だ」
 突然話し始めたカールに、ニナは首を傾げる。エヌがそんな仕事を受けていたなんて知らなかった。エヌにしては珍しい形態の契約だ。
「一昨年、父が亡くなったが、去年は占い結果が届いた。それなのに、今年は届かなかった。エヌは依頼を選ぶと聞いたから、僕では値しないと判断したのかと思って、エヌに直接話を聞きたかったのだ」
「それで探してたんだ?」
 カールはうなずく。彼もニナと同じなのか。
「亡くなったから、今年の占いはなかったんだな……」
「私、エヌの依頼を把握できてなくて……自分のことばっかりで、エヌのことを誰にも連絡してなかったんだ」
 他にもカールのような依頼人がいるのかもしれない。
 しかし、突然この世を去ったわけではないのに、依頼人に根回ししていなかったなんて、エヌらしくない。他に文句を言ってきた依頼人もいないし、もしかしたら、カールの家だけ放置していたのだろうか。
 黙ってしまったニナに、カールは、
「父親は頼りにならないのか?」
「……父親は……いるけど……会ったことがない」
 ニナは、いないと言ってしまえなかった自分に戸惑った。
「それは……。誰だか知っているのか?」
「一応」
「誰だ?」
「言えない」
 なぜ父親のことをこんなに聞かれるのか。ニナは警戒してカールを探るように見る。カールは片手を上げて、首を振ると、
「あなたの父親は、僕の知っている人じゃないかと思ったんだが」
「それはないと思う。簡単に会える人じゃないから」
 そう言ってしまってから、ニナは口を押えた。ひっかけられたと思って、カールを強く睨んだけれど、彼は深刻な表情でこちらを見ていた。
 ニナは不安になる。カールは時の魔女に依頼できる伝手がある。もしかして本当に父と知り合いなんだろうか。
 数秒、そのままだった。はっと我に返ったカールが、睨んだままのニナに、ごまかすように言う。
「僕はもう戻る。エヌの話を聞かせてくれて感謝する」
 父親についてさらに聞かれなかったことに、ニナは心の中で息をついた。
「時の魔女への依頼はどうするの?」
「取り下げで納得してくれるとは思えないから、完了という扱いになるか」
「もしかして今近くにいるの? だったら、会いたいんだけど」
 ニナが頼むと、カールは少し考えた末に了承してくれた。
「上の話が終わったらでいいんで、私ちょっと先生に会いに行ってくるって伝えてください」
 目くらましの魔法を解いて、女将にそう伝言を頼んで、ニナはカールとカウシ亭を出た。
 ちなみに、カールは財布を持っていなかった。王都までの道中で薬草を売って稼いだ金で、ニナが彼の分も払ったのだ。カールは今までで一番険しい表情で――貴族が庶民に金を借りるなんて屈辱だと思っていたのかもしれない――、後で必ず返すと何度も誓った。
1996.08.07 19:52(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |
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