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オレンジ宇宙制作室(創作文章ブログ)

彼女は鳥かごの中 - 奥付

目次(表紙)



※2016年1月〜3月に書いたものですが、長いので、一番最後にくるように、投稿日を1996年にしています。

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第8回 野性時代フロンティア文学賞に投稿して一次選考で落選した作品です。



この記事の、(投稿順で)一つ前の記事は最終章です。
目次(表紙)からどうぞ。


通販はこちら。
「彼女は鳥かごの中」

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余談ですが、
この話は、架空ストア発行の『架空非行』第6号「人工衛星の街角」(2015年1月)に掲載の「結婚の資格」が原案です。
http://store.retro-biz.com/i10328.html
ところどころで似ている要素があるのですが、登場人物も状況設定も全く別の話です。
1996.12.13 22:20(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 4.新しい鳥かご(3)

 久しぶりに面会に来たユートに連れられて、マリエは保護施設の敷地の奥の方に向かっていた。今日は日曜でパンづくりは休みだ。落葉樹の林を眺めながら、遊歩道を歩く。鳥かごはもうかなり後ろだった。ドームの天井に設置されたライトで、足元にぼんやりとした影ができている。
 四月になって、ドームの気温も春になった。薄手の上着を羽織っただけですごせる。
 ユートと出会った事件が一年前の三月。父と二人で暮らした八年に比べて、ずいぶんいろいろなことがあった一年だった。
 今日のユートはなぜかトラディショナル・スタイルの一式で固めていて、マリエはますます一年前を思い出した。彼の腕に手を載せてエスコートされて歩いている自分が全くの普段着なので、なかなかシュールな光景だろう。マリエは少しおかしくなって、密かに唇だけで笑った。
「どこまで行くんですか?」
「もう着く」
 言われて前方を見遣ると、ドームの壁に大きな扉があった。ドームを複数繋ぐときに使われるものだ。
「あれ、この先にもドームがあるんですか?」
 マリエはこちらまで来たことがなく、知らなかったのだ。
「作ったんだよ」
「え?」
 マリエは思わず「また?」と聞きそうになった。
 ユートはマリエを促して、開いている扉をくぐる。開口部は五メートル四方はあった。頭上を旋回するポチがぶつかることもない。
 接合部の短い通路を通って、繋がった先のドームに出る。広い敷地に建物は何もなく、工事用の機械や資材があちこちに置かれていた。
「できあがっているのは、ドームと空港だけなんだ」
「空港?」
 大きな星だと都市ごとに空港や宇宙港があるそうだけれど、ディーランサにあるのはセントラルの宇宙港だけだった。
「セントラルの宇宙港から空を飛んで一時間だ。パールハールとセントラルはハイウェイで三時間だから、パールハールからここまで四時間ちょっとだな。今まで一日がかりだったから相当短縮できただろう。隠れ里なんだから一日二日かけて行くのもありかと思ったんだが、社内でかなり反対されたよ。まあ俺の移動を考えたら空港は必須だったんだが」
 満足げにユートが言っていることがよく理解できない。
「隠れ里?」
「そう。このドームを宿泊施設にするんだ。新しいホテルだ。森深くの集落というイメージで、木を植える」
 ユートは話しながら、ドームの中に歩き出した。マリエは黙って彼について行く。
「母屋を一軒と、客が泊まるための離れを一軒。客は一日一組だけ。空港のゲートで電子機器を預かり、中には持ち込めないようにする。畑を作って、農作業を体験してもらう。生け簀で釣りもできる。ちょっとした家畜も飼おうと思っている」
 農作業体験の話は、鳥かごの野菜を売りたいと言ったときにユートが提案したことだった。
 大きな自然岩まで歩いてきて、ユートはマリエを岩に座らせた。自分も隣に腰かけ、帽子を取ってステッキと一緒に脇に置くと、ユートは両手を広げてドームの天井を示す。
「鳥かごの大きなものを作ろうと思う。ほとんどドームと同じ大きさで、センサーを設置した枠を立てる。睡眠ガス発射装置を備えた下天井は、目立たないようにミラー素材を使う。森の設定だからそれほど開けた空間はないし、木の枝でうまくごまかせると思うんだ。母屋は平屋にしてその天井に発射装置を仕込む」
「えっと、それは……SOFをこのホテルで雇ってくれるってことですか?」
「ああ、それも考えている。『M&Sクラフツ』の工場と迷ったんだが、SOF保護施設の人たちは外の人間と関わりを持ちたいだろうと考えて、宿泊施設にしたんだ」
「ありがとうございます。皆喜ぶと思います!」
「いや、皆じゃなくてだな……。宿泊施設はついでだ。そういうことにでもしないと、俺がこっちに住む許可を『ミツバ・グループ』が出してくれなかったんだ」
「ユートさんが住む……?」
 ユートは眉間に皺を寄せて、マリエを見下ろした。
「わからないか? 前に言っただろう? 恋人らしくすごせる方法を考えるって。母屋は俺たちの家になる――君がこの話を受け入れてくれるなら、だが」
「え……」
「空港の方に俺の仕事場を作って、パールハールに出向かなくてはできないこと以外はここで行う。まあパールハールに行ったって四時間で帰って来れるからな。きちんと毎日帰宅できる。パールハールにも空港を作る計画だから、いずれはもっと短縮できる。君だってパンを作っている間は俺と一緒にはいられないんだから、これくらいは許容範囲だろう?」
 目を見開いたまま反応できずにいるマリエに、業を煮やしたようにユートが言った。
「まさか本当に忘れたんじゃないだろうな? 俺は、ずっと一緒にいられる方法を考えると約束したはずだ」
 それはそうだった。
「でも、忘れろって……」
「それは、待つのは嫌だと君が言ったからだ」
 ユートは憮然として言ったあと、マリエの顔を覗き込んで心配そうに聞いた。
「……それで、忘れたのか?」
「忘れてません!」
 マリエは大きな声を出してしまい、ここが鳥かごの中ではないことを思い出して、深呼吸をする。心を落ち着けてから、言い直す。その間ユートは黙って待ってくれていた。
「忘れようとしたけれど無理でした。でも、ユートさんがあまりにも変わらないから、あなたは忘れちゃったんだと思ってたんです」
 披露会でカザマから聞いたカオリとの婚約が間違いだったとわかっても、自分に望みがないのは否定しようがなかった。
 それでいて、ユートへの恋心は消せなかった。諦めて、開き直って、この気持ちと一生付き合っていこうと思っていたところだった。ユートのことを考えて胸が痛んでも、それが当たり前だと平静に受け止められるように、マリエは密かに訓練していた。
「俺が忘れるわけないだろう」
 ユートは短く息を吐いた。
「君は俺の真剣さを全く理解していないようだな……。俺は本気なんだ。軽い気持ちで言ってるんじゃない。いくらミツバでも、そう簡単に新しいホテルを作ったりしない」
 マリエの前で地面に片膝をつくと、小さな箱を掲げた。蓋を開いた中に指輪がある。小指の爪くらいの大きさのダイヤモンドが燦然と輝いていた。
「君が好きだ。一生かけて君を愛す。ずっと一緒にいる」
 真っ直ぐに見つめる切れ長の目が、マリエの心を攫う。
「結婚してほしい」
「……私でいいんですか?」
 衝動のまま受け入れてしまいたいのを振り切って、震える声でマリエは聞いた。悪あがきにしか見えないだろうと自分でも思った。
「君がいいんだ。他はいらない」
 ユートは落ち着いた表情で繰り返した。しかし、声には熱意が籠っていた。
「結婚してくれるか?」
「はい……喜んで」
 いろんな感情が渦巻いて、慌てて気持ちを抑えた。鳥かごで言ってくれたら良かったのにと恨まずにはいられない。
「ありがとう」
 ユートは何か堪えるように目を閉じて、そっとマリエの左手を取って薬指に指輪を嵌めた。どうやって調べたのかサイズがぴったりなのが、いかにもユートらしくてマリエは微かに頬を緩めた。
 彼はそのままマリエの指先に口付けた。敬虔な祈りのようで、でも、肌に触れる吐息は熱かった。
 一瞬で唇を離したユートは、マリエを上目使いで見て、照れたように笑った。今まで見たことがない表情に、マリエの胸がきゅっと縮む。
「断られなくて、良かった……」
 ほっとしたように言うユートに、マリエは見惚れていたのをごまかすために、少し睨むようにする。頬が上気していてちっともごまかせていないことを、マリエは気づいていない。
「私も好きだって言ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」
「まさか! しっかり覚えている。何度も何度も思い出した」
 茶化すでもなく真摯に答えるユートに、マリエは言葉を失う。
「もう一度言ってくれるか?」
 ユートはマリエの手を引いて立たせた。マリエは彼の端正な顔を見上げる。ユートがセンサーの範囲に入ったため、ポチがばさりと羽音を立てた。
「好きです。ユートさんが好き」
 マリエは微笑んだ。今の状況でできる精一杯の気持ちを込めた。頬が染まって、少しだけ涙が滲んだ。
 ユートはマリエの手を強く握った。眉を寄せて難しい顔をする。
「君を抱きしめたいんだが」
「だめです」
「キスしたい」
「無理です」
「鳥かごに戻ったら?」
「今は考えられません」
 ユートは一度マリエの手を離して、ステッキと帽子を手に取る。
「それじゃあ、まず戻ろう」
 手袋を外すと、改めてマリエの左手を取って指を絡めて繋ぐ。施設のドームに向かって歩を進めた。ユートの大きな温かい手。そのしなやかな指に直接ぎゅっと心臓を掴まれているようで、ドキドキしすぎてマリエは心配になる。でも、できるなら手はこのまま繋いでいたい。空いている右手で胸を抑えて深呼吸した。
 そんなマリエを知ってか知らずか、ユートは肩まで触れるほど近くを歩く。
「甘い匂いがする」
「たぶんパンの匂いです」
 そう答えると、ユートは繋いだまま手を持ち上げ、マリエの手首に顔を寄せ鼻を鳴らす。
「おいしそうだな。あとで食べさせてくれ」
「パンを、ですよね?」
 そこでしゃべらないでほしいと思いながら、マリエが聞くと、ユートは血管をなぞるように手首に唇を滑らせた。心臓が止まりそうになって、息を飲む。案の定、SOFで停止したポチが降ってきて、マリエの視界は暗転した。
 あとから聞いた話では、ユートも睡眠ガスに巻き込まれたらしく、駆け付けたヨシカワに蹴られたらしい。
 結婚披露宴のスピーチでも言われて、長く笑いの種にされることを、このときはまだ二人とも知らなかった。
1996.12.13 22:19(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 4.新しい鳥かご(2)

 カザマとのやりとりが撮影された動画が記事になったことは、ヨシカワが教えてくれた。印刷してもらった記事を読んで、マリエはもやもやとした気持ちを抱えた。結局、SOFを前面に出して同情を誘って、パンを売ることになってしまった。
 それをなぐさめたのはルウコだった。
「きっかけなんて何でもいいのよ。最初は同情だって、おいしくなかったら一度で終わりでしょ。また買ってもらえるかどうかはマリエ次第じゃないの?」
「そうね。がんばらないとだめだよね」
「そうよ! 何年も経ったら、マリエがSOFだなんて誰も気にしなくなるわよ!」
 記事がきっかけでマリエのパンを食べに来た客にも好評だとカオリから聞いていた。いつか「SOFが作ったパン」じゃなくて「ドン・ラ・カージュのパン」で選んでもらえるようになりたい。フジモトから資料を送ってもらって自家製酵母の勉強も始めよう。今はまだ『ミネヤマ』の従業員扱いだけれど、独立できるようになりたい。
 決意を口にすると、ミドーも「がんばりましょう」と言ってくれた。彼は引き続きマリエの助手についてくれている。
 ルウコのことでは、びっくりするようなことが起こった。
 披露会から十日後、マリエに面会に来たエリーが、鳥かごでルウコに会ったときだった。
「お姉様!」
 ルウコがエリーに言ったのだ。マリエが驚いていると、エリーはルウコを抱きしめた。「ごめんなさい」と泣きながら何度も謝る。その場にいたSOFのいつものメンバーは知らなかったけれど、施設職員のトウドウとヨシカワは知っていたようだった。
「ディーランサに旅行に来ていたときに、ルウコのSOFが発露して、父は妹をパールハールの保護施設に預けてしまったのです。眠らせればガーベルンドラーまで連れて帰れるのに」
 再会の動揺が去って落ち着きを取り戻したエリーが説明するのに、ルウコも俯いて言う。
「ハカマダってお母様の旧姓なの。保護されて、気が付いたらもう一人ぼっちで……」
 マリエは彼女の頭を撫でて、
「ルウコがガーベルンドラーの知事の娘だって広まったら、SOF保護運動のダニー・ウィングみたいに目立ってしまうって心配したんじゃない?」
「え……」
 ルウコは顔を上げて、目を瞬いてマリエを見る。考えてもいなかったようだ。
「そうなのかな……」
「きっと、そうよ」
 エリーもうなずいて、ベンチに座るルウコの前に膝をついた。両手を包み込んで握る。
「わたくし、ディーランサのSOF保護センターでお仕事をすることにしたのよ」
「え? お姉様が仕事なんて……お父様は反対なさらなかったの?」
「喧嘩してしまったわ」
 上品に微笑むエリーに、ルウコは吹き出した。
「これからはいつでも会いに来れるわ」
「本当? それじゃあ、あたしが作ったイチゴが収穫できたら食べてくれる?」
「ええ、もちろんよ」
 そう言って、年の離れた姉妹は再び抱き合っていた。
1996.12.13 22:18(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 4.新しい鳥かご(1)

 披露会の翌々日。その動画を見つけたのはカオリだった。世界的にメジャーなパーソナル・ブロードキャスティング・サービスに投稿されたものだった。
 偶然映っていたのを編集したのだと思う。手前の人物はトリミングされているが、その肩越しにマリエとカザマが話していた。拡大したせいか少し画質が荒い。マリエのドレス姿をろくに褒められないままだったことを今さら思い出す。
 ガーディアンで撮影された映像と違って、カザマの正面からだったため、彼の口元はしっかり映っていた。音声は入っていなかったが、読唇術の心得のある誰かが、カザマのセリフを文字に起こしてコメント欄に書き込んでいた。おおよそヨシカワが推測した通りだった。
 カザマの発言に対して非難する書き込みが並ぶ。
 SOFに詳しい誰かが、倒れる前にマリエが数歩下がったことを「ガーディアンの睡眠ガスがかからないように離れたんだろう」と指摘すると、「ひどいことを言った相手すら気遣うとはまさに聖女」という流れができていた。映っているのが、以前大衆誌に書かれたユート・ミツバを助けた『SOFの聖女』だとばれているらしい。
 マリエの名前は出ていなかったけれど、カザマはかなり詳細に個人が特定されていた。彼は名前と顔を変えるでもしなければ、今後商売ができないのではないだろうか。もしかしたら、エリー・トワダの父親が娘を守るために手を回したのかもしれなかった。
 プライバシー侵害を盾に動画の削除を申請すべきかユートが迷っていた数時間の間に、またもや大衆誌に取り上げられてしまった。
 それはシライ博士が連絡してくれた。『M&Sクラフツ』の商品にも、マリエのパンにも言及されていて、披露会に来ていたのだとわかる。ユートは会わなかったが、博士は記者に挨拶されたそうだ。カザマとの動画を紹介して、「あのような暴言を浴びせられなければ彼女が倒れることはなかっただろう」と書いている。前の記事ほど同情を煽るものでもなく、かなり好意的な内容だった。
 そのおかげか、翌日には、『ミネヤマ』にマリエのパンについて問い合わせが殺到している、とカオリが教えてくれた。
 シライ博士とカオリ、ヨシカワとも相談して、動画も記事も黙認することに決めた。
 マリエが保護施設に無事帰りついたことは、ヨシカワが知らせてくれていた。もう落ち着いていて、以前と変わらずすごしているそうだ。それどころか、さっそくパンづくりで忙しくなっているらしい。
 披露会から二週間後、エリーに『M&Sクラフツ』の商品を説明する機会があった。そのときに、彼女からマリエに面会に行ったことを聞いた。
「すっかりお元気そうでしたわ。わたくし、ガーディアンの下でしかお話していなかったから、あんなに思いきりよく笑う方だって知らなくて、少し驚いてしまいました」
「そうですね、彼女の笑顔はいい」
 ユートがそう言って笑みを浮かべると、エリーは「まあ」と驚きをあらわにした。それから上品に微笑む。今にも「応援していますわ」と言いそうな顔だった。
 マリエに会いたいと思った。
 ずっと一緒にいてくれない人は恋人にはできないと彼女は言った。
 たとえずっと一緒にいることができなくても、ユートはマリエ以外を恋人にするつもりはない。そもそも前提が違うのだ。マリエが恋人になってくれるなら、どんな条件だってクリアしてみせる。
 彼女が絞り出すように言った「好き」という言葉を心に掲げて、ユートは半年以上かけて準備していた。それがもうすぐマリエに話せる段階を迎える。

1996.12.13 22:17(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 3.鳥かごの外で(14)

 そのとき、ユートはマリエの状態をそれほど深刻には考えていなかった。ヨシカワもそうだったのか、気を回す余裕がなかったのかはわからないが、全員でマリエの部屋に移動するのを彼は止めなかった。
 部屋に入ると、先に入ったヨシカワがベッドの脇の椅子に座ってマリエに話かけていた。
「気分は?」
「……はい……」
 いいとも悪いとも言わず、マリエは天井を見ていた。力ない声と精気のない視線が、初めて施設を訪ねたときを思い出させて、ユートは背筋が冷えた。
「マリエ」
 ヨシカワの隣に立ち、そっと呼びかける。マリエはびくりと震えた。きつく目を閉じると、目尻から涙が一筋落ちた。
「大丈夫か?」
 ユートの問いかけに、マリエは両手で顔を覆った。
「先生……」
「ん? 何?」
「施設に帰りたい」
「ああ、そうだね。準備しよう。もう眠っておく?」
「はい……」
 マリエに無視されたユートは途方に暮れた。もう一度声をかけようにも言葉が出ない。
 立ち尽くすユートにヨシカワが無言で首を振る。それから、彼は振り返って、カオリを見た。
「そういえば、カオリさん、ご婚約されたんですか?」
「え? え、ええ。はい」
 突然の話題にカオリは戸惑いながら、答えた。ヨシカワは構わずに、問いを重ねる。
「それはおめでとうございます。で、お相手は?」
 マリエが短く息を吸ったのが聞こえた。ヨシカワは彼女の腕に手を添える。
「うちのシェフのフジモトですわ」
 フジモトはコンクールで準優勝の好成績を修め、先日カオリの父親に結婚の挨拶をしたらしい。ユートが予想した通りオオヤマ氏は反対することなく、二人の結婚はあっさり認められたそうだ。ユートがカオリのエスコート役に駆り出されることももうない。婚約披露パーティは来月の予定で、ユートも招待されている。
「え……え、と……? え?」
 マリエが驚いた様子で、顔を見せる。さっきの怯えた表情はもうなかった。
「だってさ」
 ヨシカワが笑う。
「どうする? もう帰る?」
「……はい。帰りたいです」
 幾分落ちついた声で、マリエは言った。胸の上でぎゅっと手を握りしめて、ユートを見る。その顔はまた強張っていた。
「ユートさん、倒れてしまって、ごめんなさい」
「いや。気にしないでいい。パンの評判は落ちてないから、安心してくれ」
「……良かった」
 濡れた瞳で見上げて、マリエは少し頬を緩めた。その血の気が引いた白い肌を温めてあげたくて、手が伸びる。察したヨシカワが立ち上がって、ユートを遮った。
「大丈夫そうなら、先に何か食べておいて。その間に、帰る準備をしておくから」
 マリエがうなずくのを見て、ヨシカワはユートの肩を押して部屋を出る。カオリとエリーも続いた。
 マリエと話すタイミングがなかったエリーが、閉まったドアを振り返った。カオリが彼女の肩を抱く。
「私から伝えておくわ。気になるようなら、保護施設に面会に行けばいいし」
「それがいいと思いますよ。うちの施設は、他と違って、面会申請した相手以外にも会えますから」
 ヨシカワがそう言うと、エリーは驚いたように顔を上げた。
「ご存じなんですか?」
「当然です」
 二人の話についていけず、ユートは口を挟む。
「何のことだ?」
「トワダ嬢は、SOF保護活動に興味があるそうなんですよ。うちの施設に問い合わせいただいたって聞いてます」
 エリーの代わりにヨシカワが答えた。ユートは納得する。
「そういえば、うちの商品も個人的に興味があるとおっしゃってましたね」
 慈善事業としてSOF保護活動を支援する人はたくさんいる。マリエのことを知らない人からは、ユートの行動もそういう風に捉えられていた。
「ええ、そうなんです。今日はあまり見れなかったんで、また改めて拝見させてください」
「もちろんです。それなら、ぜひパールハールの保護施設も見学された方がいいですよ」
 エリーは「そうさせていただきます」と微笑み、挨拶してからカオリと部屋に戻って行った。念のため、警備員に付いて行かせる。
 ユートはヨシカワに目をやった。彼は予想していたのか、ユートが口を開くより前に肩をすくめた。
「なぜカオリの婚約のことを聞いたんだ?」
「あの映像から読めた言葉が他にもありましてね。カオリさんの方を見たあとで、『婚約』と言った。それから『知らなかった』。『愛人』がどうとか……」
 ユートは顔をしかめる。ヨシカワは軽い口調で、
「大方、カオリさんとユートさんが婚約するって聞かされたんじゃないですかね? それで、『お前なんか』せいぜい『愛人』どまりだ、みたいなことを言われたんじゃないですか。そういうこと言いそうな感じでしょ、あの人」
「それをマリエは信じたのか?」
 ユートは少なからず傷ついた。ユートはマリエに好きだと告げたのに。忘れてくれとは言ったが、本当に忘れてしまったのか。そもそも自分の気持ちを信じてくれたのかどうか、ユートはずっと疑問に思っていた。
「ユートさん、そこじゃなくてですね。……カザマの誤情報で、マリエは倒れるほどショックを受けたんですよ? 意味わかります?」
「俺に他の女と結婚してほしくないってことか!」
「前向きに解釈すれば、そうなりますかね」
 ヨシカワはユートの肩を軽く叩いた。
「良かったじゃないですか。あんなの作っちゃってふられたら目も当てられないですからね」
「まあな」
 今回の件で、ヨシカワとはSOF保護センターに一緒に出向くことが何度もあり、ユートが進めている新事業の計画も話していた。
「どこまでできてるんですか?」
「もうすぐドームが完成する。そうしたらマリエに話す予定だ」
「応援してますよ」
 ユートは今日の披露会で、同じ言葉を何度か言われた。どうやら、ユートがマリエを想っていることが皆に筒抜けになっているようだ。これでふられたら本当に目も当てられないだろうな、とユートはため息をついた。
 そのことで、ずいぶん前にカオリにぼやいたことがある。保護施設で食事会をしたあとだ。ハマモトやトウドウもユートの気持ちを察しているのが不思議だった。
「なんで、皆、俺の気持ちに気づくんだ?」
「だって、あんた、マリエの前ではかっこつけてて、それなのにすごく気を使ってて。笑っちゃうくらい、他の女の前と全然違うじゃない」
 呆れた顔で指摘するカオリに、ユートは憮然とした。
「それじゃあ、なんでマリエには伝わらないんだ?」
 好きだと言ったら、嘘だと言われた。ものすごく真剣なのに、気まぐれだと思われている気がしてしかたなかった。
「女に囲まれて不機嫌に追い払ってる普段のあんたを知らないからでしょ?」
「普段の様子を見せたら、マリエにもわかってもらえるだろうか」
 ユートが腕を組むと、カオリは馬鹿にしたように言ったのだ。
「嫌われるだけだと思うわよ」
1996.12.13 22:16(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 3.鳥かごの外で(13)

 ユートがヨシカワに話を聞けたのは、披露会が終わったあとだった。
 シライ博士、マリエの叔母のカナコ・ハマモト、カオリとエリーも一緒だ。部屋で寝ているマリエには、ハマモトが連れてきた美容師の女性がついていた。
 マリエの客室の隣を、保護施設関係者の控室にしていた。ガーディアンの映像を受け取る機器を入れ、何かあったときのための医療機器も揃えた。
 ヨシカワは、タッチパネルを操作し、マリエが倒れる前の映像をディスプレイに流す。やはり、マリエはカザマと話していたようだった。音声がないから何を話しているのかはわからない。マリエを斜め上から三六〇度ぐるぐると映している中に、カザマが一定間隔で登場する。その方向からでも、彼がマリエに敬意を持って接していないのはわかった。
「この男は?」
「ガーベルンドラーで貿易会社を経営している、カザマというそうです」
 シライ博士に答えてから、エリーに聞く。
「エリーさん、彼ともめていた理由をうかがってもよろしいでしょうか」
 ディスプレイを蒼白になって見ていたエリーは、映像が暗転して終わると顔を覆った。その直前、一瞬だけ、涙がたまった目でこちらを見上げるマリエが映ったときには、ユートも拳を握りしめた。先にエリーとカザマのことを聞いていたら。あのときマリエを一人にしなければ。後悔し始めるときりがなかった。
 ユートは披露会が終わる前に、カザマを同伴してきたというバナールルーウォン社のナナオに、カザマが泊まっているホテルを聞き出し、人をやって彼が戻っていることを確かめていた。ナナオは、頼まれたから連れてきただけでカザマのしたことは自分とは無関係だ、こちらも迷惑している、と言い訳しながら、ユートに謝罪した。
「カザマさんは、わたくしの元婚約者です」
 エリーが口を開き、ユートは我に返った。自分が質問したことすら忘れかけていた。
「半年ほど前に婚約を解消していただいたんですが、少し行き違いがあるようで……。今日は、ガーベルンドラーから私を追いかけて来たそうです」
「付き纏われているんですか? 警察には?」
「大げさにするほどではないんです。ガーベルンドラーに戻ったらお父様も一緒にお話しするつもりなので、それで解決すると思いますわ」
 カザマは権力には弱そうだったから、知事から言われたら大人しく引き下がるだろうとユートも思った。そもそもエリーが彼と婚約していたのが不思議でならないけれど、男女のことはわからないから、ユートは黙っておいた。
「ご迷惑おかけして申し訳ありません。マリエさんにもあとで謝らせてください」
「どうか顔を上げてください。あなたが悪いわけじゃない」
 シライ博士がエリーに声をかける。
「そうですわ。悪いのはあの男でしょう? 婚約解消して正解でしたわね。あなた、なんであんな男とお付き合いしてらしたの?」
「そうよ。私も聞きたかったの。だって、年もだいぶ違うんじゃない?」
 ユートがあえて尋ねなかったことを、ハマモトとカオリはずばり聞いてしまう。年の差に関してはカオリが言えることじゃないだろう。呆気に取られるユートをよそに、エリーは気を悪くした様子もなく、
「お友だちの紹介だったんですが、婚約するまではすごく優しい人でしたの。婚約して父に紹介してから、なんだか変わってしまって……」
「なるほどね。でも、婚約した時点で馬脚を現すなんて、ちょっと間抜けよね」
「確かにそうですけど、結婚する前で良かったですわよ」
 ユートには好き勝手言っているようにしか思えないのだが、エリーは慰めと受け取ったらしく礼を言った。
「ミツバのホテルで問題を起こして、パールハールで仕事ができるなんて彼も思っていないだろう」
 ユートが言うと、カオリも不敵に笑った。
「彼は、うちの系列レストランには出入り禁止ね。もちろん、ディーランサ全土でよ」
「今回の行程は全て報告することになっていたので、遅かれ早かれですが、保護センターにはもう連絡しておきました。彼が面会を申し込んでもセンターが許可しません。マリエがカザマに会うことは二度とないので、安心してください」
 最後に、ヨシカワが断言した。そう言われたシライ博士とハマモトは、ほっとしたように息をついた。
「どうもありがとう。マリエの味方は実に頼もしいな」
 博士が頭を下げた。ハマモトも感激した様子で博士に倣う。
 ユートはヨシカワを振り返った。
「カザマのことはいいとして、マリエが何を言われたかはわからないのか?」
「音声は入らないんですよ」
 ヨシカワが首を振ると、エリーが彼を怪訝そうに見た。それでユートは思い当たる。
「唇が読めるのか?」
「ああ、トワダ嬢にはマリエが話してましたね……」
「わかるなら教えてくれ」
 ヨシカワは難しい顔で、
「『SOFのくせに』とか、『お前なんか』とか、そのくらいしか読めませんよ」
「一度会場内に目を移したのはなんだろうか」
「さあ、視線の先までは映っていませんから」
 お手上げとばかりに両手を広げるヨシカワに、カオリが声を上げた。
「そういえば、私の方を見ていたような気がするわ。私がマリエが倒れたのに気づけたのは、先にそちらからの視線を感じたからよ」
「へぇ……カオリさんを……」
 ヨシカワはそう呟き考え込むように黙った。ユートはカオリに、
「カザマと面識があるのか?」
「まさか。今、映像を見て顔を知ったくらいよ。まあ、向こうは私のことを知っているでしょうけど」
「もしかしてパンの話なんじゃないかしら。レストランのことでカオリさんを見た、とか?」
 ハマモトが言う。ユートもカオリも「ああ」と声を上げる。
「それはありそうですね」
「パンのことを言われたらショックだろう」
「好評だったと聞いたが……」
 シライ博士が心配そうにカオリに聞く。
「ええ、その通りです。睡眠ガスの件も気にする人はいませんでしたわ。『ミネヤマ』で扱うことを告げたら皆さん喜んでくださいました」
「倒れてしまったことで影響はないだろうか」
「気づいていない人の方が多かったですし、きっと大丈夫だと思います」
 カオリはマリエが倒れてからエリーの元に行き会場には戻っていない。視線で尋ねられ、ユートもうなずいた。
「俺が見聞きした範囲では、睡眠ガスのパンへの影響を心配する声はなかったな」
 そこで、内線電話が鳴った。ヨシカワが取る。
「マリエが目を覚ましたそうです」
1996.12.13 22:15(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 3.鳥かごの外で(12)

 何かが落ちる音が聞こえて振り返ると、マリエが倒れていた。ユートは慌てて駆け寄る。
「マリエ!」
 マリエの横にガーディアンのシロフクロウが落ちていたから、SOFがセンサーの範囲を超えて眠らされたことはわかった。しかし、原因はなんだ。
 入り口から出て行くカザマが目に留まる。非常口の電子キーの復旧を待つ間に話をしていたが、余計な世辞などを省けば、ただ単に彼は自分の会社を売り込もうとしていただけだった。媚を売ってすり寄ってくる人間は昔から多くいたため、ユートはあまり気にしていなかった。エリーと何があってマリエが関わることになったのか、それはまだ聞いていなかった。披露会の会場でマリエとカザマが話す機会はないだろうと高をくくっていたのだが、その結果がこれだろうか。
 カザマを追う視線を遮って、ヨシカワが駆け込んで来た。彼がこれほど慌てているのは初めて見る。
「間に合わなかったか……」
 マリエが倒れる前に控室を出ていたのだろう。彼はそう言って、マリエの横に膝をついて脈をとる。
「何があったかわかるか?」
 ユートは小声でヨシカワに聞いた。ヨシカワはユートを見もせずに「あとで来てください」と言った。
「頭を打っていないだろうか」
「いえ、そういうことはないように効き目が調整されているんで。それに、マリエは範囲が超えるのを自覚していましたから」
 ヨシカワはそう答えて、マリエを抱き上げようとした。ユートは彼を押しとどめ、
「俺がやる」
 そう言ったユートに、ヨシカワはきつい視線を向けた。
「あなたにはあなたの役割があるでしょう」
 有無を言わさずマリエを抱え上げると、ヨシカワは会場から出て行った。ユートはそのまま動けない。シライ博士がユートの前に落ちていたマリエのガーディアンを拾う。立ち上がりざまにユートの肩を軽く叩いた。
「娘がお騒がせして申し訳ありません。どうぞご歓談を続けてください」
 シライ博士はガーディアンの足の辺りを探って、再起動させた。シロフクロウは大きな羽を広げ、博士の手から飛び立つ。一瞬も迷うことなく、入り口から出て行った。真っ直ぐにマリエを追いかけていけるのを、相手はロボットだというのに、うらやましく感じる。
「SOF向けの機器は、停止したあとの復帰が早いのが特徴なんですよ」
「本物そっくりだが、今のはロボットですよね?」
「ええ、実は、あのロボットの表情を作る機構には私の研究が使われていまして」
 ガーディアンに興味を持った様子の客に、博士は話を振る。
 この騒ぎに気づいたのは近くにいた客だけで、幸運なことにそれほど多くはなかった。ここまでのマリエの努力が無に帰さなければいいと心底願う。
 ユートは軽く髪をかき上げる。カオリに目配せすると、彼女はすぐにこちらに来てくれた。二人で廊下に出る。
「マリエが倒れたんだが、その場にカザマがいたようなんだ」
「カザマ? エリーさんを連れ出そうとしてたっていう男?」
 マリエのことは気づいていたらしくカオリは聞かなかった。
「連れ出そうとしていたのか! 俺は何があったのか知らないんだ。お前、聞いたんだろう?」
「マリエが知っている範囲でだけれど」
 そう断ってカオリは、カザマが無理やりエリーを外に連れ出そうとしていたところに行き合ったマリエが、非常階段の電子キーを停止させて阻止したらしい、と話した。
「エリーさんはこのホテルに泊まっているんだ。念のため、様子を見てきてくれないか?」
「カザマは?」
「会場から出て行ったのは見た。ホテルから出たかどうか確認させる」
 ユートは電話で支配人を呼び出し、カオリを案内するように指示した。安全のため、警備員も同行させる。マリエの部屋の前にも警備員を配備した。
「マリエのことも話して、カザマとの諍いの原因を聞いてくるわ」
 カオリはそう請け負って、ユートの腕をばんっと叩いた。いつもなら顔をしかめる遠慮ない力加減が、今はありがたかった。
1996.12.13 22:14(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 3.鳥かごの外で(11)

 カオリに連れられて大広間に入り、次々に人を紹介された。SOF範囲を広げないようにするため、話はほとんどできないと予めカオリが断ってくれた。だからマリエは微笑みを貼り付けてうなずくだけで良かった。幸い、皆SOFに理解がある人ばかりだった。『M&Sクラフツ』がSOF向けの商品を扱う会社だということと、カオリがそういう人を選んで紹介してくれたのもあるだろう。マリエが会った中で、カザマだけが例外だった。
 パンの評価は上々だった。カオリが『ミネヤマ』の限定メニューで出す予定だと教えると、客は「楽しみだ」「食べに行く」と言ってくれた。
 エリーにも話をしても平気なのかと聞かれたけれど、大部分の人が、SOFはガーディアンの範囲内では何もできないと思っていたようだった。まず、パンを作ったことに驚かれた。それから、マリエが目の前で話を聞いていることにも驚かれた。中には、マリエがSOFかどうか疑い、時計に触ってみてくれと言い出す人もいた。――触るまでもなく手を翳すだけで時計の電源は落ちてしまったので、それにも驚かれた。実際にSOFに会って、その力を見る機会がある人はやはり限られているのだ。
 手品か何かのように感心されるのは複雑だった。それでも、深刻な病気に罹っている患者に向けるような痛ましげな顔で見られるよりはましだった。そんなときは、心の平穏のためにそっと目を逸らした。
 ユートが合流すると、自然と、彼と出会ったときの話が出るようになった。今さら隠しても無駄で、マリエがユートを助けたのは伝わってしまっていた。
「勇敢なお嬢さんだ」
「身を挺して人を助けるなんて、普通じゃできませんわ」
 マリエはひたすら微笑みを貼り付けて黙っていたから、余計に『聖女』のイメージがついたようだった。『悪女』に変わらなかったのが幸いと喜ぶべきか。
 さすがに疲れてきたところで、隣にいたユートが小声で聞いた。
「大丈夫か?」
 マリエは軽く首を振る。
「もう戻ってもいいですか?」
「ああ、構わない。送ろう」
「いえ、一人で戻れますから」
「だめだ。何かあったらどうする。さっきだって」
 言いかけてユートは口をつぐんだ。その場にいた客たちが温かいまなざしでこちらを見ているのに気づく。
「マリエさん、ユートさんに紳士の仕事を全うさせてあげなさいな」
 話の主導権を握っていた年配の男性客が言うのに、周りも賛同して、マリエは従うしかなかった。付け焼刃でカオリに習った淑女らしい礼をする。
「それでは、失礼いたします。今日はどうもありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかった。また『ミネヤマ』に食べに行かせてもらうよ」
「はい。ぜひ」
 しばらく固まったままだった表情を解いて素の笑顔を浮かべると、男性客は目を細めた。それからユートの肩を叩く。
「応援しているよ」
「新会社を、よろしくお願いします」
 にこりともせずにそう返したユートは、マリエを促して大広間の入り口に向かう。彼が腕を差し出すのを、マリエは断った。
「通信端末が止まったら困るんじゃないですか?」
「そうだな……。エスコートできなくて、すまない」
「私、一人で歩けますよ」
「そういうことじゃない」
 ユートが苦い声を出すのに、マリエは謝る。
「すみません、難しい話は今はちょっと……」
「ああ、わかっている。聞き流してくれ。……ところで、エリーさんは?」
 ユートに聞かれて彼女のことを思い出す。今まで機会がなかったのだ。
「カザマさんが戻ってくる前にって、帰りました。ユートさんにお礼を言ってました。いきさつは話してもらえなかったんですが、カオリさんが改めてあとで聞いてみるそうです」
「そうか」
 入り口の手前で声をかけたのはマリエの父だった。
「ユート君、ちょっといいか」
「今、マリエを送って行くところなんです」
「すぐだ。彼がもう帰るそうなんで、紹介だけさせてくれ」
 父は隣の男性客を示す。マリエはユートを見上げ、
「大丈夫ですから」
「いいか。ここにいてくれ。絶対に一人で戻らないように。いいね?」
「わかりました」
 子どもに言い聞かせるようなユートにマリエは少し苦笑する。彼が父の元に行き、客と三人で話すのを、マリエはぼーっと見ていた。すると、突然、ばさりとポチの羽音が大きく聞こえた。マリエがはっとして視線を上げるのと、目の前に人が現れるのは同時だった。カザマだ。粘っこい笑顔でマリエを見ている。
「先ほどはどうも」
「はい……」
 マリエは何を言われるのかと身構える。
「ユート・ミツバと話す機会を与えてくれてありがとう。さすがSOFの聖女様だ。パールハールの公爵令息と知り合う機会なんて滅多にないからな」
 嫌味たらしい表現に、マリエは思わず眉をひそめる。カザマはますます楽しそうに、身ぶりを大げさにした。
「君だってそうだろう? ミツバの御曹司だから助けた。違うか?」
「違います」
「いろいろ恩恵に預かったんだろ。SOFのくせに、外にまで出してもらってさ」
 カザマは一度言葉を切ると、会場の奥に向かって顎をしゃくった。その先を見るとカオリがいる。
「カオリ・オオヤマは近々婚約発表するらしい。相手はユート・ミツバだって噂だ」
「え?」
 マリエは驚いてカザマを振り返ってしまう。彼は嗜虐的な目でマリエを見下ろした。
「なんだ。知らなかったのか。はははっ。せっかく助けたのに残念だったな。まあ、どうせお前なんかが公爵夫人になれるわけない。愛人の座でも狙ったどうだ? SOFにはぴったりだろ」
 カザマのセリフはマリエの耳にはほとんど入っていなかった。
 君が好きだと言われたときのユートの燃える瞳。握られた手から伝わる熱。自分の胸から溢れてきた好きという気持ち。彼の腕の中で感じた幸せと悲しさ。
 忘れてくれと言われたけれど、マリエは全然忘れられなかった。
 ユートがカオリと結婚して、マリエのことを忘れて、施設に面会に来てくれなくなっても、マリエはきっと一生ユートのことを忘れることができないだろう。
 マリエの心の真ん中にユートがいる。彼の静かなまなざしを、マリエはいつでも思い出せた。
 胸が詰まる。
 今まで気持ちを抑えていたせいで、余計に振れ幅が大きい。
 泣きたくて仕方がない。
 もう眠らされてしまった方がいっそ楽だと思えた。その間はユートのことを考えなくて済む。
 マリエは涙に潤んだ瞳でポチを見上げた。その表情でマリエが限界だとヨシカワには伝わっただろう。
 カザマが目の前にいたことを思い出して、マリエは数歩下がる。一秒も経たずに、SOFで停止したポチが落下してきて、発射された睡眠ガスでマリエはその場に座り込んで意識を失った。
1996.12.13 22:13(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 3.鳥かごの外で(10)

 いくらか歩いたところで、エリーがマリエを振り返った。足を止めて、マリエが隣に並ぶのを待ってくれる。
「さっきはどうもありがとうございます。あなたが来てくれなかったらと思うと、本当に……」
 カザマに掴まれていた腕をさする。彼女の顔がまた青くなるのを見て、マリエはおせっかいと思ったけれど言わずにはいられなかった。
「差支えなかったら、何があったのか話してもらえませんか? 話すことで落ち着くかもしれませんし、必要ならユートさんに伝えることもできますし」
 そして、マリエは上を指差す。
「音声は拾っていないんですが、映像は送られているんです。今は特殊な環境なのでずっと見守られています。人に知られたくないことなら、口元を隠して話してください」
 エリーはガーディアンを見て、難しい顔をした。
「あなたは話をしても平気なのですか? 眠らされてしまったりしないの?」
「大きく感情が動くことでなければ、話はできます。……あ、すみません。今は気持ちを抑えるようにしているので、お話聞いても的確な反応ができないかもしれないです」
「気持ちを抑える、ですか……」
「えっと、なるべく何も考えないようにって」
 エリーがカザマとのいきさつを話してくれたとしてもこれじゃあまり役に立てそうにないと今さらながらに気づいた。
「すみません。伝言役くらいしかできそうにないですね」
「いいえ、お気遣いありがとうございます。でも、あなたの負担になりそうなので、今はやめておきましょう。彼が戻ってくる前にわたくしは失礼しますので、ユートさんにはお礼だけお伝えください」
「はい、わかりました」
 ふんわりした優しげな笑みを浮かべるエリーに、マリエはわずかに笑みを返した。
 大広間の入り口で落ち合ったカオリもエリーと顔見知りのようで、彼女がマリエと連れ立って来たのを見て不思議そうにした。今日のカオリは、落ち着いたグレーのドレスだった。大きな真珠のイアリングが光っている。
「エリーさん、お久しぶりね。いらしてたの?」
「ええ。でも、今日はもう失礼させていただこうと思っています」
「あら、残念だわ。パールハールにはいつまでいらっしゃるの? 時間があったら『ミネヤマ』にもご招待したいわ。マリエのパンは召し上がった?」
「もちろん。おいしかったですわ」
「本当ですか? ありがとうございます。そう言っていただけるとうれしいです」
「パンだけであんなに甘いなんて、初めてでしたわ」
 そう話す二人を見比べて、カオリが聞く。
「エリーさんとマリエは、どこで知り合ったの?」
「先ほど、マリエさんには危ないところを助けてもらいましたの」
 エリーが冗談めかして言うと、カオリは目を点にした。
「まあ、また? ……引きがいいというか、なんていうか」
 カオリは呆れたように言う。
「マリエ、エリーさんはガーベルンドラーの知事のお嬢様よ」
「え? そうなんですか?」
 ガーベルンドラーと言えば、ディーランサが属する星群の、隣の星群にある星だ。移民の歴史が古く人口が多いため、公的機関の支部も集まる、政治的に重要な星だった。そこの知事なら、この辺りの宇宙域では一二を争う政治家と言える。
「やっぱり、知らなかったのね」
「すみません、無知で」
「いいえ、有名なのは父だけですから」
 エリーはそう言って、少し寂しげに笑った。しかしそれは一瞬で、カオリやマリエが何か言う前に、エリーは上品な笑顔を浮かべ直す。
「わたくし、このホテルに泊まっているんですの。パールハールにはもうしばらく滞在する予定なので、また改めて」
 カオリにそう約束をして、エリーは去って行った。
 それを見送って、カオリが尋ねた。
「ユートとは会わなかったの?」
「それが……」
 そこでマリエは、ユートの伝言と一緒に、エリーとカザマのことを話す。カオリは驚いたり眉をひそめたりしながら聞いていた。
「ガーベルンドラーのカザマ氏ね。私も気にしておくわ。エリーさんにはあとで私からいきさつを聞いておくから、あなたは心配しないで」
「はい、よろしくお願いします」
1996.12.13 22:12(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 3.鳥かごの外で(9)

 何か言い争っているような声を聞いたのは、階段を下り始めてからだった。マリエはゆっくりと、階下を覗き込みながら下りる。
「ここまで来てやったんだから、俺の相手をするのが筋じゃないのか」
「そちらが勝手についてきたんでしょう? お話なら、父も一緒のときに改めてうかがいますから」
 男性と女性だ。
「いいから来い!」
「やめてください! 触らないで!」
 不穏な流れだった。マリエは慌てて踊り場を回り込む。階段を下りたところ、廊下の突き当たりに非常口がある。その手前に、濃紺のスーツの男性と水色のドレスの女性がいた。披露会の客だろうか。男性が女性の腕を掴んで引っ張るのを見て、マリエは階段を駆け下りた。慣れないヒールとロングドレスに危うく足を取られそうになりながら、二人と非常口の間に滑り込んで、後ろ手でドアノブに触れた。
「ごめんなさい。今、私が触ってしまったので、このドアは開かないと思います」
 電子キーなのだ。停止時は施錠で固定されるはずだった。
 突然割り込んだマリエに、二人とも驚いたようだった。女性は二十歳前後で、男性は彼女より一回りくらい上に見えた。
「腕を離してあげてください」
 マリエが言うと、男性は居丈高に大きな声を出す。
「君には関係ないだろう! そこをどきたまえ」
「嫌です」
 マリエは静かに、しかしきっぱりと言って男性を見上げた。
「それに、私がどいてもドアは開きませんよ」
 ばさりと羽音を立てて旋回するポチに気づいた男性は、唇を歪めて笑った。
「ああ、君がSOFの?」
 その嘲笑に、マリエは固まる。こういう反応があるだろうとは想像していたけれど、実際に向けられるのは初めてだった。身内や施設関係者以外でも、今までマリエが関わった人は全員マリエに好意的だった。
 マリエは即座に感情を抑えた。何も考えてはいけない。ここは鳥かごの外なのだ。
 どうしたらこの場が収まるのか、視線を巡らせると、ユートが見えた。マリエに気づくと、珍しく小走りに駆け寄ってきた。鳥かごで最初に挨拶したとき以来のトラディショナル・スタイルの服装で、やはりよく似合っていると思った。マリエには高級すぎて落ち着かないホテルの内装も、彼は少しの違和感もなく自分の背景にしてしまう。
「ユートさん」
 マリエがほっとして声をかけると、男性は振り返り、顔色を変えた。
「やあ、マリエ。ドレス似合っているよ」
 ユートは走ったことなどみじんも感じさせず、優雅に微笑む。マリエも合わせて微笑んだ。たぶん貼りつけたような笑顔だったと思う。ユートは少し眉を寄せた。それから、男性に目をやる。
「こちらは?」
 聞かれてもマリエは答えようがない。しかし、マリエが何か言うよりも前に男性は自ら名乗った。ずっと掴んだままだった女性の腕からあっさりと手を離し、ユートに握手を求める。
「私は、ガーベルンドラー星を拠点に貿易会社を営んでいますカザマと申します」
「初めまして。ユート・ミツバです。今日は披露会に?」
「ええ、バナールルーウォン社のナナオ氏にお願いして連れて来ていただきました」
「そうですか、どうもありがとうございます」
 ユートはカザマと握手し、女性を見た。
「エリー・トワダさん、お久しぶりですね」
「ええ、こちらこそ、お久しぶりですわ」
 マリエが駆け付けたときは蒼白になっていたエリーは、ぎこちなくも上品な笑みを返した。
「今日は出席くださってありがとうございます。あなたがいらっしゃると聞いて少し驚いたんですよ。お父上の元でお仕事を始められたんですか?」
「そういうわけではないんですが……、実は個人的な興味があって……」
「それでしたら、会場で商品の説明をしましょう」
 そう言ってユートはマリエを振り返った。
「エリーさんは、ヘルスケア機器や止まって困る電子機器を身に付けていますか? できれば会場まで彼女に付き添っていただきたいのですが」
「ええ、もちろん構いませんわ」
 エリーはマリエに微笑んだ。
「マリエ・シライさん、ですわね? 行きましょう」
「はい」
 エリーにうなずいてから、マリエは大事なことを思い出して、ユートに言った。
「ユートさん、私、このドアに触ってしまったんです」
「ああ、警備室から連絡があった。君が離れたら再起動させる手はずだ」
「そうなんですか、良かった。すみません、ご迷惑おかけして」
 マリエが謝ると、ユートは首を振った。
「迷惑とは思っていないが、心配はした。次から気を付けてくれ」
 眉間に寄った皺から、マリエがなぜここにいるのか彼はおおよそ察しているのだとわかった。マリエはほんの少しだけ頬を緩めた。それでも、さっきとは違って気持ちが籠った表情だった。
「心配かけてごめんなさい。でも、ユートさんが来てくれるって知ってたからできたんですよ」
 ユートは目を瞠って、そして、小さく笑った。それは、困っているようにも、痛みを堪えているようにも見えた。マリエは彼の表情の意味を考えないように、即座に頭から追い出した。
「会場の入り口でカオリが待っている。俺は復旧の連絡が来てから戻るから、そう伝えてくれ」
 そう言ったときのユートはもういつもの彼だった。冷静な目がマリエを見つめている。
「また、あとで」
「はい。では、失礼します」
 マリエはユートに少しだけ微笑んで、カザマにいちおう会釈してから、エリーに続いて歩き出した。二人と一緒に会場に戻るか迷っている風だったカザマに、ユートが話しかけて引き止めてくれたのが聞こえた。
1996.12.13 22:11(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |
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