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オレンジ宇宙制作室(創作文章ブログ)

彼女は鳥かごの中 - 奥付

目次(表紙)



※本編は2016年1月〜3月に書いたものですが、長いので、一番最後にくるように、投稿日を1996年にしています。

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第8回 野性時代フロンティア文学賞に投稿して一次選考で落選した作品です。



この記事の、(投稿順で)一つ前の記事は最終章です。
目次(表紙)からどうぞ。


通販はこちら。
本編の文庫「彼女は鳥かごの中」
番外編1・2収録の文庫「緑、黄、赤、そして青」
番外編3・4収録の文庫「普通の小さな白い鳥、誰かの大きな黒い鳥」

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カクヨムではこちら。
「彼女は鳥かごの中」
1996.12.16 22:30(Mon)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 番外編6 薄闇の紅

※後日談にあたるので、ネタバレが気になる方は本編からどうぞ。
番外編も番号順に時系列です。ネタバレが気になる方は順番にどうぞ。
目次(表紙)

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薄闇の紅

「チヅルさん? どこ行くの?」
 父に続いて非常口から外に出ようとしたところで、マリエに声をかけられた。
 立ち止まって振り返ると、父に手を引かれた。そのまま外に出る。
「ここは私に任せてください」
 チヅルの護衛についていた男が、マリエの護衛を押さえる。彼がなぜそんなことをしたのかわからない。
「え、ちょっ! チヅルさん!」
 もみ合う護衛二人の横をすり抜け、マリエも外に出た。ばさりと大きな羽音がする。
 手を引く初老の男を見る。――四歳のときを最後に二十六年会っていない父親。
 非常ドアを出たところで足を止めると、彼は振り返った。
「チヅル、どうした?」
 強く手を引かれ歩かされる。
「チヅルちゃん」
 前方から懐かしい声が聞こえた。心臓が音を立てる。
「ママ……?」
「ええ。そうよ。私のお人形」
 そう言って『ママ』は微笑んだ。
 息が苦しい。足から力が抜ける。
 SOF範囲が規定を越えて、眠らされる予感がした。
 そのとき、ふいに右手に温かさを感じた。
「チヅルさん!」
 マリエだ。
 彼女のガーディアンを確認する。ポチと名付けられたシロフクロウはマリエの上を旋回している。
 自分のガーディアンはもう落ちかけている。
 チヅルはマリエの手を掴んで引き寄せた。
 チヅルとマリエを、父と『ママ』の他に黒い人影が取り囲んでいた。
 迎えにきた『ママ』に連れて行かれるんだ。マリエも逃れられそうにない。それなら、ポチを逃がさなきゃ。
 ガーディアンの赤い小鳥の名前はハナだ。でもチヅル以外誰も知らない。『ママ』が禁止したから、心の中でしか呼んだことがない。
 落ちてきたハナは、チヅルとマリエを眠らせる。ポチはマリエが眠っていても彼女を見失うことはないだろう。
 意識を手放す寸前、チヅルは何かをぎゅっと握りしめた。

***

 鳥かごでレースを編んでいると、ナナカがやってきた。夏に初めて来てから、ナナカは頻繁に来るようになった。ただ、人が多いときは不機嫌に大声を出してすぐに帰っていく。
「何あれ、取材?」
 ナナカは今日は帰らずにチヅルの向かいに座った。このテーブルセットはいつもより端に動かされている。
 鳥かごの中央では、もう一つのテーブルでマリエが取材を受けていた。記者が一人。彼がカメラマンも兼ねているようで、アナログ式カメラの大きなバッグを足元に置いていた。
 テーブルから少し離れたところにトウドウが控えている。チヅルが来たときにトウドウからもう少しで終わると聞いた。だからチヅルもここに残っているのだ。
「もう少し」
「終わるの? ふうん、じゃ待つか」
 ナナカは頬杖をついて、マリエの方を見ていた。
「マリエさん、お子さんのお話をうかがっても? 流産したそうですが」
 記者の声がこちらにも届いた。
「嘘。いつ? こんなことしてて大丈夫なの?」
 ナナカが小声で聞く。
「去年」
 短く答えると、ナナカは余計に驚いたようだった。
「なんで今さら」
 絶句するマリエを守るようにトウドウが割って入る。
「どこからその話を聞いたんですか?」
「SOF保護機構の本部に伝手があるんですよ。……ということは本当なんですね?」
「……っ」
「マリエさんのことは世界が注目しているんです。お話聞かせてください」
 そこにナナカが走り寄った。
「マリエさん!」
 驚くマリエの顔を胸に抱き込み、そのまま椅子から引き下ろして地面に座った。結果としては、倒れたマリエをナナカが抱き止めたようにも見える。
「ああ、なんてひどい!」
 いつも以上の大声で情感たっぷりにナナカが叫ぶと、トウドウと記者が振り向いた。
「つらいことを思い出させられてショックだったのね!? マリエさん、泣いてもいいのよ?」
 口調まで違うナナカの様子に、マリエは肩を揺らす。チヅルの位置からは笑いをこらえているように見えるけれど、マリエの背中しか見えない記者にはわからないかもしれない。
 呆気にとられていたトウドウがナナカの目配せではっとした顔をして、記者の腕を掴んだ。
「とにかくお帰りください! 後で正式に抗議をさせていただきますから!」
 トウドウに引きずられて、記者は鳥かごから追い出されていく。その間ずっとナナカは「ひどい! サイテー!」と叫び続けていた。
「行った」
 チヅルが近付くと、ナナカは「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「レコーダーなんて持ってきて馬鹿じゃないの? 私のSOFで止まったでしょ。電源落ちたらメモリーが消えるタイプだったらざまあみろなんだけど」
「ナナカさん、今の何ですか。私、笑っちゃって」
 先に立ち上がったマリエがナナカの手を引く。
「迫真の演技だよ。見てわからない?」

 チヅルたちが最初に座っていたテーブルに移動してから、ナナカはマリエに聞いた。
「マリエ、あんたも自分で書く?」
 ナナカは施設のサイトの読み物ページを担当しているらしい。施設の日常の様子を書いてほしいと言ったのにいつのまにか書評がメインになっているとトウドウから聞いた。
「あー有名人は大変だねー。つらいことも全部報告しなきゃならないし。前向きにがんばってる風に見せないとならないわけでしょ。弱音吐いたっていいけど、それで励まされたら、今度は期待に応えて元気なところを見せないとならない、とかさ。私には無理」
 ナナカは顔をしかめて大げさにため息を吐く。
「マリエはさ、世間っていう得体のしれない巨大な魔女から呪われてるんだよ。そうじゃなきゃ自分で自分を呪ってる。チヅルの呪いだって解けたんだから、あんたももういいんじゃない?」
 それから、困った顔で笑うマリエに、そっと尋ねた。
「体調は大丈夫なの?」
 チヅルは二人のやりとりをレースを編みながら聞いていた。

***

 久しぶりに会ったカナコ・ハマモトは、カオリ・オオヤマを伴っていた。
 ハマモトはマリエの叔母で、パールハールでオートクチュールのメゾンを経営している。チヅルは編んだレースを彼女の店に卸していた。
 カオリはパールハールの三ツ星レストラン『ミネヤマ』などを経営するグループ企業の幹部だ。マリエのパン工房は『ミネヤマ』の傘下になっていて、マリエのパンは『ミネヤマ』でしか食べられない。この場にはマリエと、パン工房のミドーも同席していた。
 施設からはトウドウとヨシカワ。
 大人数で囲めるテーブルがある調理棟の食堂で、最初はレースの打ち合わせをしていた。マリエたちはマリエたちで、パンの話をしている。そこにマリエのパートナーのユート・ミツバが現れた。
「遅くなってすまない」
「え、ユートさん、どうして?」
 マリエにそう尋ねられたユートはカオリを見る。
「まだ話してないのか?」
 カオリは「あなたを待っていたに決まってるでしょ」と彼を睨んだ。
 マリエから視線を向けられたチヅルは首を振った。自分も知らない。
 皆が一つのテーブルに集まったところでカオリが口を開いた。
「今年の三月でマリエのパン工房『ドン・ラ・カージュ』は五周年だったでしょう? チヅルさんのレースの『ドン・ラ・カージュ』は夏ごろだったかしら。六周年よね?」
 マリエとチヅルはそれぞれにうなずく。二つの工房は同じ名前を冠していた。チヅルの方が半年ほど早く始動したのだ。
「チヅルさんにね、展示のお誘いが来たの」
「わ、すごい! どこで?」
 ハマモトの言葉にマリエが声を弾ませた。
「学術星アカデミアの服飾大学のギャラリーよ」
「アカデミア! すごーい! ね、チヅルさん」
 チヅルはマリエに小さくうなずく。
「展示品はうちで預かっているものや、過去の作品をお客様から借りて、可能ならいくつか新しく作ってちょうだい。あとで相談しましょう」
 今度はハマモトにうなずく。
「それで最初の話に戻るんだけど、作品がパールハールに戻って来たときに『ミツバ・クラシック・ホテル』でパーティをしたらどうかしらって」
「パーティ?」
「ええ。レースの凱旋記念の展示と、二人の工房の五周年と六周年のお祝いね。マリエとチヅルさんも参加するのよ」
「私たちも?」
「ダンスもしよう」
 ユートがマリエの手を取った。
「でも、前のときだって大変だったのに」
 マリエが表情を曇らせる。パン工房設立のときにマリエは施設から出て、パールハールのホテルでパンづくりの実演をした。そのときにトラブルがあったと聞いた。
「大丈夫。ああいうことはもうないと誓う」
「でも……」
 渋るマリエの肩を抱いて、ユートはこちらを振り向いた。
「チヅルさんは? どうだろう?」
 どうだろうとは?
 チヅルは首を傾げた。
「パーティに出たい?」
 向かいに座っていたヨシカワが聞く。
 特に興味は湧かない。
「施設の外に出てみたい?」
 今度はマリエが聞いた。
 チヅルはそっとうなずいた。

***

 通常十歳前後で発露するSOF体質。四歳で発露したチヅルは世界規模で見ても幼い事例だ。パールハールの施設では八歳未満の子どもが保護された記録はなく、幼児教育を担当できる教師はいなかった。そのため臨時で雇われたのが『ママ』――ジェーン・ザイツだった。
 彼女はチヅルに自分のことを『ママ』と呼ばせた。
「どうして笑うの? ママは笑わないチヅルちゃんが好きなのに」
 チヅルが感情を表に出すと、ザイツはひどく悲しそうな目でチヅルを見た。
「ママを傷つけてチヅルちゃんは楽しいの? そんなことばかりじゃ、ママはチヅルちゃんのこと嫌いになってしまうかもしれないわ」
 ザイツはときどきチヅルに冷たい目を向けた。
『ママ』に見放されたら生きていけない。言う通りにしなくては。
 チヅルは必死だった。
 保護されてから三ヶ月は毎月面会に来てくれた両親も来なくなった。
 チヅルには『ママ』しかいないのだ。
 感情を出さないように。何も思わないように。声を出さないように。
 ザイツの言いつけ通りにできるまで数年かかった。
 そのころには、ザイツはチヅルのことを『私のお人形』と呼ぶようになった。

***

 眩しさで目が覚めた。ゆっくりとまぶたを開くと見慣れない天井。白に金色で植物文様が飾られた格子状の豪華な天井に、馴染みのある睡眠ガス発射装置の噴出孔がある。
 手を動かそうとすると、強く握られた。
「チヅルさん!」
 マリエの声だ。
 それでチヅルは思い出す。
 パールハールのホテルで開かれた『ドン・ラ・カージュ』のパーティ。無事に閉会となりホテル内を移動していたら、父親を名乗る男に声をかけられた。施設に禁止され会うことができなかった。そんなひどいところは出て一緒に暮らそう。
 確かザイツが迎えに来たのではなかっただろうか。眠らされて。マリエと一緒に……。それならここはザイツの家だろうか。
 そう考えたとき、別の声がかけられた。
「大丈夫? 気分は悪くない?」
 ヨシカワだ。彼がザイツの仲間なわけがない。
 チヅルは首を振る。体を起こそうとするとマリエが手伝ってくれた。
「私の方が睡眠ガスの影響が少なかったから、すぐに目覚めたの」
 マリエがチヅルの手を離すと、自分が何かを掴んでいることに気づいた。
「ハナ」
 ガーディアンの赤い小鳥だ。いつも頭上を飛んでいるから触れたのは初めてだ。
「ハナって名前? かわいい」
 マリエが微笑む。
「チヅル。君を囮にして申し訳ない」
 ヨシカワが頭を下げる。チヅルは首を傾げた。状況がよくわからないのだ。
「あの人」
 何て呼んだらいいか迷ってそれだけ口にすると、トウドウが察して答えてくれた。
「ザイツさん? 彼女は警察で取り調べを受けているわ」
「お父さんは」
「あなたのお父さんも取り調べを受けているわ。ザイツさんにそそのかされたらしいの」
 トウドウは痛ましげに眉を寄せた。
「ザイツさんは、施設にあなたのご両親の面会拒否申請を出していたの。あなたによくない影響があるからって。そして、ご両親には施設の方針で面会禁止になったけれど、自分がチヅルの様子を知らせるから、と伝えた。だから、ご両親は面会に来なくなってしまったの。ザイツさんの言葉を確かめに直接施設に来てくれたり、セントラルの保護センターに問い合わせてくれたらよかったんだけれど……」
 この話がどこに繋がるのかわからないけれど、チヅルは少しだけうなずいた。
「ザイツさんがあなたに、必要以上に感情を押し込めるように言っていたことに気づかなくてごめんなさい。SOF体質を抑えるためにあなたが自分で選んでそうしているのだと、皆勝手に思っていたの」
 トウドウは目を伏せた。
「ザイツさんが契約期間終了でやめたとき、ナナカが言ったのよ。あの人は魔女だから追い出されたんでしょって。人を人形にする呪いをかける魔女だって。呪いがかからないからナナカのことは嫌っていて、個室に来てもずっと無視されていたそうよ。――誰も気づかなかったの。本当にごめんなさい」
 トウドウと、そのころはまだ施設にいなかったヨシカワも頭を下げた。
 チヅルはトウドウの腕に手を伸ばした。そっと触れると、トウドウは顔を上げる。チヅルは首を振った。もう謝らなくていい。
「すぐに調べたんだけれど証拠はなくて、あなたに尋ねるのは良くないかもしれないから、ひとまず施設のブラックリストに載せて面会も見学もできないようにして、保護センターや他の施設にも再就職できないように登録したの。宇宙港の出入りがあったときは施設に通知されるようにもしていたわ。でもずっと何もなかったの」
 退職間際のザイツはチヅルを見て、小さいころは良かったのにとため息をついていた。
「パーティが決まったあと、ザイツさんが面会を求めてきたわ。もちろん施設は断った。でも心配で、パーティ参加は取りやめたほうがいいんじゃないかって話し合ったの」
 それなのに、とトウドウはヨシカワに目を向ける。
「僕が押し切ったんだよ」
 ヨシカワはチヅルを見つめた。
「何もなければいい。でも何か仕掛けてくるなら、証拠を揃えて彼女を退けられる絶好の機会だってね。どこかでやらないと、これから先ずっと外に出ることができないだろう?」
 ヨシカワは静かに笑った。
「君からママを奪って、ごめんね」
 チヅルは首を振った。

***

「あなたに嫌われたとしてもあなたを守る覚悟が、ヨシカワ先生にはあるんでしょうね。……僕には真似できない」
 あとでユートがチヅルに耳打ちしたことだ。
 チヅルとマリエが眠らされたときにはもう勝敗は決していたそうだ。周りを取り囲んでいた人影は全員ユートの配下だった。チヅルの護衛もザイツに協力するフリをしていたらしい。
 ユートは、マリエから嫌われることなく守りきる力があるのだ。

 パーティの片付けが終わった大広間から、特別に中庭に出してもらった。
 深夜。いつもならもうとっくに消灯時間だ。
 マリエと手を繋いでいるならハナはそのままでかまわないと言われて、チヅルはガーディアンの小鳥を抱いていた。マリエのポチは二人分の大きさの円を描いて旋回している。
 大広間の照明は落とされている。ドームの照明も消えているけれど、中庭には常夜灯が点々と柔らかいオレンジの光を添えていた。遠くが薄明るいのは道路の街灯や車、ビルの灯りなのだそうだ。施設の夜は真っ暗なのに、都市の夜はこんなにも違う。
 パーティのために作ったドレスをもう一度着付けてもらった。髪も綺麗にセットされている。大きな鏡で見た自分は知らない大人の女だった。
 ユートがマリエの隣に並ぶのを見て、チヅルはハナをヨシカワに差し出した。
 彼は無言で受け取って電源を入れてくれる。
 ハナが飛び立つと、チヅルはマリエの手を離した。
「チヅルさん?」
「二人で踊ったらいい」
 そう言うとマリエは「ありがとう」と微笑んだ。
 ナナカは、チヅルの呪いは解けたと言った。彼女にはそう見えたのだろうか。
 本当にそうなのだろうか。
 マリエとユートは大広間でダンスをしている。二人の上をシロフクロウがくるくると飛ぶ。
 チヅルはハナを見上げる。遠くの光を受けて翼がきらりと輝く。
 手を引かれて振り返るとヨシカワがいた。
「どうしたの」
 そう聞いたのは彼が泣きそうに見えたから。



終わり




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2019/5/4-5 執筆
※文庫未収録
1996.12.14 02:38(Sat)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 番外編5 黎明の紺

※後日談にあたるので、ネタバレが気になる方は本編からどうぞ。
番外編も番号順に時系列です。ネタバレが気になる方は順番にどうぞ。
目次(表紙)

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黎明の紺

 唐突に目が覚めた。
 視界は暗い。
 頭を巡らし窓を見ると、カーテンの隙間は薄明るかった。明け方のようだ。
「昨日、どうしたんだっけ?」
 自問した声は掠れていた。
「ああ、そっか」
 また、睡眠ガスで眠らされたのだ。

 ナナカ・エガミはSOFだ。
 十二歳のときに発露して、パールハールのSOF保護施設に保護された。今年で二十年。
 SOFは電子機器を止めてしまう体質、そしてその体質を持つ人のことを指す。それは感情が影響していて、良い方向でも悪い方向でも感情が大きく動くと効果範囲が広くなる。眠っている間は、直接触れなければほとんど効果を発揮しないため、何かあるとSOFは眠らされるのだ。個室の天井には睡眠ガス発射装置があり、個室から出るときは睡眠ガスを発射できる『ガーディアン』と呼ばれる鳥型のロボットがつけられていた。
 ナナカのSOF発露は学校にいたときだった。
 授業中、空調が止まり、灯りが消えた。クラスの全員がすぐさま睡眠薬を飲まされてチェックを受けたところ、SOFは自分だったのだ。ナナカは眠ったまま施設に保護された。クラスメイトがナナカのことをどう思ったのかわからない。一ヶ月後くらいに寄せ書きの色紙が届いた。『がんばって』『元気でね』――一度目を通しただけで実家に送ってもらった。
 両親は施設まで付き添ってくれたけれど、母親は気休めにもならない励ましを繰り返すし、父親は不機嫌を隠そうともしない。三回面会した後、もう来なくていいから代わりに本を送ってほしいと持ちかけ、もう十九年は会っていない。本に添えられているから手紙のやりとりだけは続いている。もっともナナカからは本のリクエストしか返していないけれど。
 
 ナナカはベッドから降り、カーテンと窓を開ける。
 室内の籠った空気が外気にさらわれる。ドームの空調から送られる風が気持ちいい。
 この星のドームは四季がある。今は夏だ。
 手巻きの置き時計が正しい時を刻んでいるなら、午前四時半。もう少しずつ灯りが点き始めている。
「空ってどんなだろう」
 実家から届く本のほか、印刷や製紙や出版関連の団体から施設に寄付される本もあり、ナナカはほとんど毎日読書をしている。
 本なんて普通は流通していない。両親は、印刷した紙を紐で綴じて送ってくれる。それは厳密には本と言えないかもしれない。でも寄付された方は正しく本だ。糸で綴じて、重厚な表紙をつけ、SOF保護施設に寄付するために特別に作られている。
 長い話ほど、厚くて重い。場所も取る。電子端末で読んでいたころにはわからなかったことだ。
 寄付される本には、文書館に登録されているような千年以上前に書かれた物語もある。宇宙に移民が始まる前の話。そんな物語にはよく空が描かれていた。
 この星ディーランサは、全土でドーム式だ。もちろんそうではない星もあるけれど、ナナカは行ったことがない。
 物語から想像する夜明けと、施設のドームの夜明けは似ている気がする。
 わずかな灯りの中、木々のシルエットが浮かぶ。黒い色水が徐々に薄まっていくように、透明になって、色がついていく。
 まだドームの天井までは見えないから、ナナカはいつも想像する。この灯りは明け方に居座る星々だ。
 朝はどこまでも静かだった。
 しばらく見ていたナナカは、遠くに鳥かごの骨組みが見えたところで、顔をしかめた。窓を閉めてベッドに戻る。
 誰かが――昨夜眠らされたナナカを見に来たメイ・トウドウだろう――綺麗にたたんでくれたカーディガンを見付け、ナナカは雑に羽織った。山に積まれたクッションを押しつぶして、枕元から本を選ぶ。これを読むのは五回目だ。

***

 チヅル・コノミに会ったのは偶然だった。
 ナナカが施設に入ってすぐのころ。
 廊下の曲がり角でぶつかったのだ。
 ナナカは図書室の帰りで一人だった。チヅルは当時施設の教師をしていたジェーン・ザイツと一緒だった。
「わっ!」
 勢いよくぶつかったナナカは、声を上げた。抱えていた本が落ちる。
 二人のSOFのガーディアンが羽ばたいた。
 ナナカとは対照的にチヅルは無表情だった。
 自分より年下の少女は、等身大の人形のように見えた。
 ぞっとした。
 ぶつかった驚きよりもチヅルのせいで、ナナカのSOF範囲は規定を越えた。
 気づいたザイツがチヅルの腕を引いて下がらせた。
「あ」
 吐息と変わらない微かな声。顔を上げると目が合った。チヅルは一度だけ瞬きをした。
 睡眠ガスを降らせながら、ナナカのガーディアンが落ちてくる。何でもいいというからカササギにした。他のSOFは小鳥だと知ったのはしばらく後だ。
 チヅルのガーディアンの赤い小鳥は落ちてはこなかった。

 ナナカはチヅルのようにはなりたくないと思った。
 別に眠らされてもいい。そのせいで個室の外に出られなくても全く構わない。
 感情を押し込めるなんて嫌だ。
 それは二十年経っても変わらなかった。

 今日は見学日らしい。
 いつもと違い、外が騒がしい。落ち着かない空気にいらいらする。
 だから、ナナカは窓を開けて力いっぱい叫んだ。
「うるさーい!!!」
 それで睡眠ガスが降ってきて、ナナカは今日も眠るのだ。

***

 教師とカウンセラーを兼任しているトウドウを呼び出したら、医師のタダヒロ・ヨシカワも一緒に来た。
 ヨシカワはナナカの部屋を見渡し、「相変わらず散らかってるねぇ」と肩をすくめた。
「普通でしょ」
 本と紙束が大量に積んであるのは確かだけれど。まあ、服も散乱しているかもしれない。
「いや、君の部屋が一番生活感があるよ」
「そりゃあ生活してるんだから」
 ナナカは手近にあった小さなクッションをヨシカワに投げつける。
 ヨシカワは着任時ずいぶん若かった。ナナカよりいくつか年上なだけだと思う。きっと優秀なんだろう。でもそんな雰囲気は全くしないし、医療面で世話になることも少ないせいで、ナナカは気安く接していた。彼もそれを咎めなかった。
「センセーは何しに来たの?」
「診察だよ」
「あー、火曜日か」
 週に一度の定期検診だ。
 丁寧に本を除けてから机に道具を並べるヨシカワから体温計を受け取りながら、ナナカはトウドウを振り返る。
「ね、トウドウさん。相談があるんだけど」
「どうしたの? 珍しいわね」
「うん。あのさ、別の施設に移れないかなと思って」
 思い切って口にすると、トウドウよりもヨシカワが「えっ!」と声を上げた。
「君がときどき癇癪起こしてるのは知ってるけど、それでもここ気に入ってるんだと思ってたよ」
「まあねー」
 暮らしにくいとまでは言わないけど。
「でも、前の方が良かった」
「それは、申し訳ない」
「センセーのせいなの?」
 笑って右腕を差し出すと、ヨシカワは何か言いかけて、結局黙って血圧を測り始めた。
 トウドウがナナカの前に膝をつく。
「居住棟にはもう見学者を近寄らせないようにするわ」
「近寄らなきゃいいってものじゃなくてさ。なんか、見世物になってるところに暮らしてるってのが嫌なわけ。自分がSOFだから仕方ないってのはわかってるし、他に移ったって施設は施設だって理解してるけど。ああこんな風に思われてるのかって記事読むたびにがっかりしたりいらいらしたりさ。すごく疲れる」
 うまくまとまらないナナカの話を、トウドウは静かに聞いていた。
「ナナカは、外の人が書いたものを読んでいたのね……」
「親が送ってくる中に入ってんの。ニュース記事とかノンフィクション小説とか。マリエのシンデレラストーリーも読んだよ」
 読まなければいいのだけれど、どうしても読んでしまう。
「SOFってだけで人生終わったみたいな、さ。あれ、なんなの?」
「君は同情も武器にしそうだと思ってたけれど」
 ヨシカワがいつもの調子で茶化す。
「自分で言うのと人から言われるのは別」
「ああ、なるほど」
「それなら、自分で発信したらいいんじゃないかしら?」
「え?」
 トウドウが弾んだ声で、手を叩く。
「取材はいろいろ大変なのよ。取り上げたいところしか取り上げてもらえなかったり、誤解されそうな書き方をされたり。施設のサイトには職員が交代で書いている読み物ページがあるけれど、片手間だからどうしてもね……。ナナカが施設の生活の実情を書いてくれたら、うれしいわ」
「え? 私が?」
 ナナカは戸惑う。
「待って。ていうか、そもそも施設を移りたいって話をしてたんだけど」
 トウドウはわざと聞こえなかったふりをして押し切る。
「とりあえず一度鳥かごに行ってみましょう」
「嫌! それは絶対嫌!」
 鳥かごは、正式には『共用屋外休憩室』だ。その中では個室のようにガーディアンなしで過ごせる。
 設置当初やそれ以降もトウドウは何度もナナカを誘ったけれど、ナナカは頑として拒否していた。
「私、皆と交流なんてしたくない。仲良くもない人と一緒にお茶を飲んで、聞きたくもない話聞いたりなんて、無理。絶対嫌!」
「それ、だいぶ誤解してるよ」
「……知ってる」
 呆れたようなヨシカワにナナカはうなずく。設置当初はそう思って拒否していたけれど、最近のマリエやルウコのインタビューで好き勝手に過ごしているのだと知った。
「ね、一度だけでいいから。鳥かごに行ってくれたら施設移動の件を検討するわ」
 トウドウに懇願され、ナナカは渋々鳥かごに行くことにした。

***

 ナナカは検査で必要があるとき以外は居住棟の外に出ない。個室から出るのは同じ居住棟の中にある図書室に行くときだけ。
 ヨシカワからは昔から運動を勧められていたけれど、敷地の散策などもしたことがなく、鳥かごまで歩くのは非常に疲れた。感情を出さないように気負っていたせいもあるかもしれない。
 近寄って見ると、柱と柱の間隔は広く、柱も太い。この中に閉じ込めるなら、そうとう大きな鳥だ。
 ガーディアンは勝手に止まり木に止まる。自分のカササギの他には、何色かの小鳥と大きなシロフクロウ。――マリエがいるのだ。
 入り口のアーチに絡まる薔薇は、緑の葉を茂らせている。トウドウの先導で踏み固められた土の遊歩道をゆっくり歩く。植物なのか土なのか、嗅ぎ慣れない匂いがした。
 記事で読んだ通り、畑には野菜が植えられていた。ナナカには何の野菜なのか全くわからない。判別できるのは真っ赤に色づいたトマトくらいだ。
「後で収穫してみたらいいわ」
 物珍しそうに見ているのがばれたのか、トウドウがナナカを振り返って微笑んだ。
 鳥かごの真ん中で遊歩道が広がって、テーブルとベンチが置いてあった。タープが張られ日陰が作られているのは、いつか何かで読んだキャンプの様子を思い出させた。
 ベンチには何人か座っていた。テーブルに広げられた焼き菓子とティーセット。なんだか楽しそうな雰囲気にナナカはひるむ。ヨシカワがこちらに気付いて立ち上がったのを見て、ナナカは、
「誤解じゃないじゃない!」
「今日は君が来るって話してあったからね」
「さあ、座って。ね?」
 トウドウが有無を言わさずナナカをベンチに座らせる。
「はじめまして」
 目の前の女が声をかける。ナナカは彼女を見て、目を瞠る。写真で見た通りのマリエ・ミツバだ。小説の中の登場人物がそこにいることに感動を覚える。
「はじめまして。……マリエ・ミツバ?」
「はい」
 マリエがふんわり微笑むと、今度は彼女の隣の少女が「ルウコ・トワダよ。はじめまして」と身を乗り出した。
 政治家の父を持つルウコの物語も、もちろんナナカは読んでいる。
「ナナカ」
 隣から小声で呼ばれ、ナナカは振り向く。そして、息を飲んだ。
「チヅル!」
 二十年前に一度会ったきりの彼女は、成長はしているけれど、印象が全く変わっていない。しかし。
「あんた、しゃべれるの?! なんで? 私の名前どうして」
「前に会った」
「嘘! 覚えてるの?」
 チヅルは無表情のまま、軽くうなずいた。
「動いてる! どうしたの? 呪いが解けたの?」
 チヅルは瞬きをして、わずかに首を傾げた。
「ちょっと、あなた、落ち着きなさいよ」
 ルウコが割って入る。ナナカは思わず、大きな声を出す。
「うるさい!!」
 そして気づいた。これだけ騒いでいるのに、睡眠ガスは降って来ない。
 とっさに天井を見上げたナナカに、マリエが「大丈夫」とうなずいた。
「うるさーい!!! あはははっ! ほんとだ! 大丈夫なんだ!」
 ナナカは立ち上がって叫ぶ。
「今度は何なの。子どもみたい」
 ルウコが呆れたようにため息をつくのに、「大人子どもは相対評価なんだよ」と振り返る。
「大声が出せるなら一度言ってみたかった台詞があるんだ!」
 ナナカは仁王立ちする。
 大きく息を吸う。
「括目せよっ!」
 腹の底から声を出すと、チヅルが確かに驚いているとわかる表情でこちらを見ていた。
 その顔を見たらすっきりした。二十年分だ。
「もういい。帰るわ」
 ナナカが回れ右をすると、
「待って、ナナカ。どうしたの?」
 トウドウが慌てて腕を引く。
「また今度一人の時に来るわ」
「今度?」
「うん。そうする」
 大きくうなずくとトウドウはほっとしたように息を吐いて、腕を放す。
「一人がいいなら、話しかけないわよ」
 トウドウの代わりにナナカの腕を掴んだのはルウコだ。
「こっちにどうぞ」
 皆が囲んでいるのとは別のテーブルにマリエが一人分のティーセットを置く。ルウコにひっぱられて座らされるナナカに、「あきらめなよ」とヨシカワが笑った。
 すでにチヅルはこちらを見もしないで何かを編んでいる。彼女がレース作家として活躍しているのも何かの記事で読んだ。
 チヅルにもナナカにも構わず、マリエとルウコは野菜の話で盛り上がっている。どさくさで挨拶もしていなかったもう一人の大人しそうな少女が、気を使うような視線をこちらに向けるから軽く手を振った。
 本を持って来ればよかったと考えながら、ナナカはベンチの背もたれに寄りかかる。
 タープの脇から見上げた、鳥かごの骨組みの上にドームの天井。昼間仕様の眩しい照明。鳥かごで夜を過ごせないだろうか。夜明けを見たい。
 ナナカは目を閉じる。遠い昔の物語を思う。
 骨組みなんてない。ドームもない。透明な空気の層が、深く深く重なり、色を作る。白を滲ませたような雲。夏の日差し。ときどき吹く風がナナカの髪を揺らす。
 想像の中の空はいつも広かった。



終わり



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2019/4/28-5/3 執筆
※文庫未収録
1996.12.14 00:27(Sat)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 番外編4 誰かの大きな黒い鳥

※後日談にあたるので、ネタバレが気になる方は本編からどうぞ。
番外編も番号順に時系列です。ネタバレが気になる方は順番にどうぞ。
目次(表紙)

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誰かの大きな黒い鳥

「初めまして、ハルオ君」
 ハルオがガモウ医師に出会ったのは、パールハールのSOF保護施設に保護されたときだ。
 ガモウは禿頭なのにあごひげを伸ばしていて、天地逆さにしても顔になる騙し絵みたいだった。
「私の研究に協力してくれないだろうか」
「研究?」
 薬で眠らされる日々が続いていたため、久しぶりに出した声はずいぶん掠れていた。
「いいかな?」
 拒否してもいいのだろうか。そう思ったけれど、ハルオはうなずいた。
「別にいいよ」
 ガモウは「ありがとう」とハルオの腕を軽く叩いた。
 彼の研究内容は、SOFの成長とSOF範囲の関連性だった。
 SOF研究機構ができてから百年くらい経つ。SOF保護機構と名前を変えながらも、研究は続けられてきた。しかし長期的に一人のSOFを観察した研究は少ないのだそうだ。それはSOFが健康を保ったまま長生きした記録がないせいもあった。研究機構時代のSOFはよほどのことがない限り個室から出られなかった。保護機構に変わってSOFの自由度が上がっても、せいぜい散歩程度。圧倒的に運動不足だ。そのため、SOF体質が寿命に関係しているかどうか、遺伝子などからは調べられても――関係ないという結果だった――、同じ生活習慣の場合の比較ができず、中途半端になっていた。
 そういった事情を、ガモウはハルオに丁寧に教えてくれた。
「できるだけ外に出なさい」
「でも、すぐ眠らされるんでしょう?」
「眠ってもかまわないさ。どこで眠っても大丈夫。私がすぐに見つけてあげるよ」
 個室から出る際にSOFにつけられるガーディアンと呼ばれる鳥形のロボットは監視も兼ねているのだから当たり前だ。しかし、そのときはガモウの笑顔がとても頼もしく思えた。
「さあ、まずは笑ってみようか」
 メジャーにランプが並んだ測定器を床に置き、ガモウは言った。ハルオは戸惑う。
「笑えって言われても、何もおもしろくないし」
「そう言うだろうと思って、私はとっておきのものを用意した」
 ガモウは「ジャーン」と効果音を口ずさみながら、白衣のポケットから一枚の写真を取り出した。
 それはガモウの顔写真で、
「私の顔だ。ひっくり返すと、別人の顔になる」
 先ほどハルオが想像しただまし絵そのものだった。
「ぶはっ! 本当にだまし絵だ」
 声に出して笑ってしまい、ハルオは「あっ」と口を押えようとした。それをすかさずガモウは制した。
「そのまま笑いなさい。大丈夫。ほら」
 床のメジャーのランプは半分も消えていない。
 保護されてからずっと、少しでも感情を動かしたらすぐに眠らされるんだと思っていたハルオは、驚きに目を見開く。そのせいで、ランプは一つ消えた。
 ――あのときハルオは十二歳。今から二十九年前だ。
 ガモウには十八年も世話になった。
 後任のヨシカワ医師はガモウに倣い、SOFに積極的に外に出るように勧めた。個室から出るだけで不安定になるSOFもおり、全員は無理だった。しかし、その二年後に保護されたモトヤが、黙々と毎日外を走っているのを見かけたときには、ヨシカワの――そしてガモウの努力が報われたようでハルオもうれしかった。
 ヨシカワはガモウの研究を引き継いでくれた。
「実際の手順はハルオさんが一番詳しいですから、お任せしますよ」
 ハルオより年下の若い医師は、「これをガモウ先生から預かっています」とだまし絵風のガモウの顔写真を取り出した。
 ガモウは病を得て退職したけれど、ハルオは当然見舞いには行けなかった。亡くなったと知ったのは別れてから三年後。ガモウの写真は、今では切ない気持ちになるためのアイテムだった。

***

 ディーランサ星の四大都市の一つカドランダのSOF保護施設は、敷地はパールハールの施設よりも広かった。建物以外は大部分が芝生で、見通しの良い広い空間を遊歩道が巡っていた。その一角に大きな檻のような『鳥かご』がある。
 パールハールの事例を元に測定室と『鳥かご』――SOF保護機構が決めた正式名称は『共用屋外休憩室』――は、他の保護施設にも設置されることになった。最終的には全世界に行き渡らせることを目標に、まずはディーランサの他の三施設に設置された。
 カドランダの保護施設にハルオが指導員として勤めることになったのは、他の施設に比べ、鳥かごの利用率が低いからだった。
 自力で個室から出られるSOFが一人しかいないのだから仕方がないといえば仕方がない。ハルオが何かしたところで利用率は上がらないだろうと思うのだけれど、せっかく作ったのに使われないと、ディーランサ以外への設置の妨げになってしまう。カドランダの職員も努力はするけれど、同じSOFなら何かアイデアがあるのでは……というのは建前で、より一層の努力をした体裁を整えるためにハルオに白羽の矢が立てられた。パールハールで個室から出られるSOFには職に就く者が増えていて、ハルオも何かやってみたいと思っていたので、渡りに船ではあった。
 カドランダの鳥かごは、元々の芝生と遊歩道をそのまま使い、中央に広場を作ってベンチとテーブルを置いていた。
「もうさぁ、数学なんてやらなくてもよくない?」
 テーブルの上に突っ伏して、ワカナが呻いた。
「必須科目だから合格しないとずっと勉強し続けないとならないよ。それは嫌でしょう?」
「一生不合格でも困らないもん」
「修了しないと就職はできないよ」
「私、別に働きたくないし」
 ハルオが問題を解くように促すと、ワカナは口を尖らせた。
 ワカナは十五歳。保護されたのは十二歳のときだ。彼女がカドランダで唯一自力で個室から出られるSOFだった。
 ハルオの本来の仕事は、彼女に手動の生活道具の使い方など電子機器を使わずに生活する方法を教えることだが、いつの間にか教師のようなことまでやるようになっていた。彼女の必修カリキュラムがほとんど進んでいないからだ。保護前も飛び級などはなく、保護されてからは遅れる一方で、このままでは二十歳になっても修了できそうになかった。
「先生は何で働いてんの?」
 ワカナから先生と呼ばれるのが落ち着かない。名前で呼んで欲しいと言ったのだが「いいじゃん先生で」ときいてもらえなかった。
「うーん、何もやることがないからかなぁ」
 ハルオはベンチの背に寄りかかる。
「えー、そんな理由? もっと、ココロザシ? みたいな、なんかすごい理由ないの?」
「ははは、志? そうだなぁ。あると言えばあるかもしれないけれど」
 ガモウの研究を続けるためには、できるだけ非SOF体質の人に近い暮らしをする方がいいのだろう。だから、働けるなら働くべきだとは考えた。
 自分の事例が次世代のSOFの一助になれば……というほど大げさではないが、パールハールの成果を広めたい気持ちもある。
「あとは、お金かな」
「もっとダメじゃん」
 ワカナは笑った。保護されてから鳥かごが出来るまでの期間が短いせいか、彼女は自然に感情表現できるようになっていた。
「いや、自分の自由になるお金があるってすごいことだよ。今まで読めなかったオンラインの文献も、印刷代を払えば印刷してもらえて読めるようになったからね。君だって何か欲しいもの、あるでしょう?」
「あるけどー、でも服買っても意味ないもん」
「わからないよ。ここの施設がメディアに出るときには君がSOF代表になるんじゃないかな」
「無理無理。私には絶っ対に無理だって」
 ワカナはぶんぶんと首を振って、
「測定室で映像見せてもらったけどさ、マリエ・ミツバは美人だし。さすがシンデレラガールって感じ? ルウコ・トワダだって超かわいいじゃん。元が違うよ」
 こちらに歩いてくる人たちにハルオは気づいたが、ワカナは背中を向けているせいか気づかない。ハルオが彼女の話を止めようか迷う間にも、ワカナは話し続けた。
「かわいくて性格もいいから、SOFでも許されるんだよ。美人は得だよね。私なんかメディアに出たら、すっごい文句言われると思う。デブでブスで性格ブスでSOFなんて、最悪だよ」
「ブスと性格ブスはわからんが、デブはどうにかなるんじゃないか?」
 突然背後から掛けられた声に、ワカナは驚きの声を上げて振り向いた。ユート・ミツバだった。
 パールハールの一大企業ミツバ・グループの次期社長の彼が、SOFのマリエに恋したことで、鳥かごを始めとした新施策は動き出したようなものだ。今、マリエはユートと結婚して、パールハールの保護施設に連結して建てられたドームで暮らしている。
 マリエ以外には辛辣な物言いをしても気にも留めないユートは、ごく普通にワカナに言う。
「それに、それほどブスではないと思うが?」
「ユートさん、言い方ってものがあるでしょ」
 一緒に来たヨシカワが見兼ねて注意した。ワカナはぽかんとした表情でユートを見つめている。幸い、発言内容は聞き流されているようだった。
「ユート・ミツバ?」
「ああ」
「本物の?」
「そうだな」
「うそぉ!」
「嘘ではない」
 真面目に返事をして、ユートは腕組みをした。その不機嫌な顔に嫌な予感がして、ハルオは先んじた。
「ユートさん、お久しぶりですね。今日はどうしてカドランダに?」
「こちらこそ、お久しぶりです。ヨシカワ先生がこちらに来たいと言うので、私もついでにM&Sクラフツの用事を済まそうかと思って同乗して来たんですよ」
 M&Sクラフツは、ユートとマリエの父が起こした電子部品を使わない道具を作っている会社だ。SOF向けの他、アンティーク愛好家にも需要があるようだ。
 ユートがミツバのドームに空港を作ったあと、パールハールにも空港ができた。他の企業とも調整したのか、その一年後には四大都市の全てに空港が設置された。セントラルにはディーランサ唯一の宇宙港があり空港と兼用しているため、以前はハイウェイしかなく自動車での移動のみだった四大都市とセントラルの間が飛行機で移動できるようになった。ディーランサ星内の移動はずいぶん時間が短縮された。
 そして昨年、カドランダのSOF保護施設にも空港ができた。パールハールのSOF保護施設の空港はミツバの所有だが、カドランダの空港はSOF保護機構の所有だった。パールハールの施設とカドランダの施設が飛行機で直接移動できるようになったのは、ハルオがここに勤められた一因でもあると思う。
 話をそらそうとしたハルオの努力もむなしく、ユートは改めてワカナに向き直った。
「一つ言っておく」
「え?」
「マリエは確かに美人だが、何もせずに今の立場を得られたわけではない。全て彼女の努力の結果だ」
「あ、はい……」
 よくわからないけれどとりあえずという表情で、ワカナはうなずいた。ユートがマリエをフォローするのは彼女が美人だから。そんな風に思っているのだろう。
 ユートも同じことを考えたのか、
「もし君が、今より十キロ痩せたら、フクロウ邸のパーティに招待しよう。オーダーメイドのドレスもプレゼントしてやる」
「パーティ?」
「ああ、そうだ」
「ドレスのデザインは指定してもいい?」
「もちろん」
 顔を輝かせたワカナだったが、すぐに「でも、痩せても私かわいくないし」と後ろ向きなことを言い出す。
「顔は化粧である程度どうにかなるんじゃないか? それも手配してやろう」
「マリエさんは?」
「彼女は化粧しなくてもかわいい」
「だよね」
 マリエのことは譲らないユートにハルオは苦笑しつつ、
「ユートさんにとっては、マリエの造作なんてどうでもいいんですよね」
「そうだな。今と違う顔でもかわいいと思う」
 笑いもせずに肯定するユートに、ワカナはさらにがっくりする。
「ほら、結局、性格ブスは痩せたって化粧したってどうにもならないってことじゃん」
「君が気にしているのは、吹き出物だよね?」
 そこで口を挟んだのはヨシカワだった。ワカナは彼の存在に初めて気づいたようで、怪訝な顔をしながらもうなずいた。
「それは痩せたらある程度改善されると思うよ」
「本当?」
「たぶんね」
「たぶんかよー」
 ヨシカワの適当さに、ワカナは力が抜けたように笑った。
「その辺りも含めて、こちらの医師とプログラムを組もう。せっかくユートさんがご褒美をくれるっていうんだから、ちょっとがんばってみたらどう?」
「うーん」
「着てみたいドレスがあるんでしょ?」
「そうだけど……」
「三つのうち二つが改善されるなら、悪くないと思うよ。自信がついたら性格も変わるかもしれないし」
「そうかなぁ……」
 いつまでもはっきりしないワカナも、ユートに「期限は設けないから、少しずつでもやってみろ」と言われて、ついには了承したのだ。

 夕食を知らせるチャイムが鳴って、ワカナは戻っていったけれど、ハルオはその場に引き止められた。ヨシカワがハルオに話があったのと、ユートがマリエから弁当を預かってきていたからだ。
「三人で食べてください、だそうだ」
「華のない食卓で」
 マリエの言葉をユートが伝えると、ヨシカワが茶化した。
 大きな容器には、ぎっしりサンドイッチが詰まっていた。ローストビーフや厚焼き玉子、ポテトサラダなど、いろいろな具があった。別の容器には、生野菜のスティックとディップ、スライスしたチーズ。そこでユートがワインとグラスを取り出したから、納得した。
 ヨシカワの用事は、ハルオの学位の授与についてだった。ガモウ医師から引き継いだ研究をヨシカワとハルオの共同研究として学会に発表した。それが認められて、ハルオは学術星アカデミアの医学系大学の学位を得ることができたのだ。
「特別に証書を発行してもらいました」
 革装の台紙を開いてから、ヨシカワは丁寧にハルオに差し出した。受け取った学位記には、大きく自分の名前がある。
 保護される前は医学なんて全く興味はなかった。SOFを発露しなければ、これは得られなかったものだ。
「人生ってわからないものですね」
「おめでとうございます」
 グラスを掲げてユートが祝う。静かな声音はハルオの胸にしみじみと染みこんだ。神様とか運命とか――人知を超えた存在は彼のような声をしているのではないかと、ときどき思うことがあった。
 ドームの灯りが徐々に夜仕様になる中、電子部品を使っていないランプを頼りに近況を報告し合う。それから、先ほどのワカナの話になった。
「この鳥かごの中にジョギングコースを作ったらどうだろうか」
「ユートさんが作ってくれるんですか? さすがミツバの公爵令息」
 揶揄するヨシカワをうるさそうに手を払って黙らせて、ユートはハルオに向き直る。
「こちらの施設では自転車は?」
「使ってないですね」
「それでは、何台か寄贈しますよ」
 電子部品を使わない自転車はM&Sクラフツのヒット商品だ。実用的なものから、デザイン重視のアンティーク風まで幅広く扱っている。
「トレーニングマシンが作れないか、シライ博士に相談してみます。できれば早めに導入して、ついでにワカナにモデルケースになってもらいましょう。うちの施設にも導入しますが、彼女の方が効果がわかりやすい」
 ワカナは確かに肥満傾向にあって、医師から指導も受けていた。SOFの肥満は、個室から出られないから太るのに運動したくても外に出られないという悪循環な場合が多かった。その点彼女は外に出られるから、希望が持てる。
「個室から出られない人にも使ってもらえるような、持ち運びしやすいものも考えてもらえますかね」
「ああ、もちろん」
 医師の顔に戻ったヨシカワといくつか確認してから、ユートは嘆息した。
「M&Sクラフツの関係で他の施設にも出向くようになって、うちの施設のすごさがわかったよ。俺が鳥かごを建てるより前から最先端だったんだな」
 君たちの功績だろう、と言われて、ヨシカワとハルオは顔を見合わせる。
「論文を読んだ」
「ああ」
 ガモウの功績でもある。
 胸が詰まる。
 代わりに気になっていたことを、口にした。
「ユートさんがパールハールの施設を『うち』って言ってくださるのが、うれしいですね」
「え、言っていたか? 俺が?」
 ハルオが微笑むと、ヨシカワも「言ってましたねぇ」と笑った。
「そうか? いや、しかし、もはや『うち』だろう?」
 照れたように笑うユートは、年相応の青年の顔だった。

***

 気乗りしない様子でダイエットを始めたワカナは、意外にもがんばっていた。最初の二週間で三キロ落ちたのが励みになったらしい。今のところ二ヶ月続いていた。
 施設の医師ササマキに、ヨシカワとユートが話をもっていったところ、施設全体を巻き込んだ大掛かりなものになった。パールハールばかりが取り上げられるのがおもしろくなかったのかもしれない。自施設が先行できるならと積極的に進め、専門のトレーナーも呼び寄せた。
「大げさになっちゃって、どうすんの……」
 ものすごく嫌そうにしていたワカナも、自分の体が変わっていくのがおもしろいようだった。
「毎朝毎晩体重計に乗ってると、ちょっとずつだけど減ってるのがわかって、やる気になるんだよね。前より、階段上るのが楽になった気もするし」
 ユートは一ヶ月もしないうちに、トレーニングマシンの試作を持って来た。今は、施設の予算で建てたトレーニング棟に設置している。
 もう一つ、ワカナの原動力になったことがあった。
 マシンの試作を持ってきたユートは、マリエの叔母のハマモトを伴っていた。ハマモトはパールハールでオーダーメイドの服飾店を経営している。デザイナーを引き連れた彼女は、ワカナからドレスのデザインの希望を聞いていた。憧れが具体的になったことで、目標になったのかもしれなかった。
 ワカナに会ったハマモトは、ササマキに美容プログラムの導入を進言していった。それで気づいたのだが、カドランダでは数ヶ月に一度髪を切るだけで、化粧品などの支給はないようなのだ。パールハールでこういったことに気を配っていたのはカウンセラーのトウドウだ。鳥かごが出来る以前でも、ハルオは整髪料を支給してもらっていたし、希望すれば香水でさえ手に入っただろう。大きな保護方針は世界的に統一されていても、細々した日常のことは施設の、あるいは職員個人の裁量次第なのだった。
 トレーニングマシンは、空き時間にハルオも使わせてもらっていた。これから衰える一方なので、筋力を鍛えられるのはありがたい。
 鳥かごでワカナの勉強をみてあげるのも、変わらず続いていた。
 美容プログラムの成果なのか、綺麗に眉を整えて、バレッタで髪をまとめているワカナはずいぶんあか抜けて見えた。
 自分で塗ったらゆがんじゃった、と楽しそうに教えてくれたピンク色の爪で、数学の問題を解いている。一転して「欲しいものがあるから私も働くんだ」と、勉強もやる気になっていた。
「どこかわからないのかい?」
「んー」
 たびたび手が止まるワカナに、ハルオは声を掛けた。
「わからないっていえば全部わかんないんだけどさ、そうじゃなくて」
「心配事?」
「うーん……」
 黙って待ってやると、ワカナは話しだす。
「先生は昔の友だちに会ったことある?」
「施設で?」
「そう」
「いや、ないね。私は、ずっと鳥かごがない暮らしだったからなぁ。自由に面会できるようになった今は、もう友だちなんて顔も覚えていないよ」
 ハルオが苦笑すると、ワカナは「そっかぁ」と同情を込めたように呟いた。
「明日、面会に来るんだ。幼馴染なんだけど」
「楽しみ?」
「うん……、でも怖いなぁ」
 やだな、とワカナは続けた。会うのが嫌なのか、怖がってしまう自分が嫌なのか。
「先生、明日、十五時に鳥かごに来てくれない?」

 翌日、言われた通りにハルオは鳥かごに行った。
 彼女の心配は的中したようで、ハルオは暗い顔で出迎えられた。
「お茶持ってきたよ」
 厨房で用意してもらった保温ポットから紅茶を注いで、マグカップを渡す。とっておきのはちみつの小瓶と、ミルクピッチャーも並べた。
 それだけで顔を歪めたワカナは、「どうだった?」とハルオが聞くやいなや、泣きだした。
「……楽、かったっ……楽し、ったけどっ。……っく……」
 ハルオは彼女の手にタオルを持たせ、黙って隣に座っていた。冷めないうちにはちみつを入れて溶かしてやる。
 次第に落ち着いたワカナは、「楽しかったんだけどね」と掠れた声でぽつぽつと話した。
「全然違うんだもん。話が合わないんだ。あのころは、同じドラマ見たりして感想言い合ったりできたし。学校の先生の話とか別の友だちの話とか、話題はいっぱいあったのに」
「そう」
「服だって全然違ってた。私、今の流行なんて知らないし。……こないだハマモトさんに聞けばよかったなぁ。……あ、別に何か言われたわけじゃないんだ」
「うん」
「でもさ、逆に、昔だったら絶対『変な服!』ってつっこんでくれたのにって思うと、ああ、私、気を使われてるんだなぁって。SOFだから、変な服でも仕方ないって思われてるのかなって」
 かわいそうって思われてるのかな、とワカナはため息をついた。
「会いたいけど、もう会いたくないかも……」
 冷めたミルクティに口をつけ、「甘すぎ」と文句を言いながら、飲み干した。
「甘いもの制限されてるのに」
「今日はいいんじゃないかな」
「怒られたら先生のせいにしとくからね」
 ハルオは微笑んで、空になったマグカップに紅茶を注ぐ。
「ユートさんはすごいよね」
「ん?」
 繋がりがわからず首を傾げるハルオに、ワカナは笑った。
「私のこと、デブとかブスとか。私SOFなのに」
「ああ……」
「ていうか、SOFじゃなくてもさぁ、普通、女の子に面と向かって言わないよね」
「彼はマリエ以外には誰でもあんな感じだから」
「ユートさんの世界には、マリエとマリエ以外の二種類しかいないんでしょ?」
「ははは、そうかもしれない」
 今度は二人で笑った。

***

 ユートの条件を、ワカナは半年でクリアした。数字上だけでなく、見た目でも痩せたことがわかるくらいだった。
 約束のパーティはパールハールのユートの屋敷フクロウ邸で行われる。
「先生は行かないの?」
 ワカナから聞かれ、ハルオは首を振る。ユートからは打診されたが、SOFを二人同時に輸送するのは迷惑かもしれないと思い、ハルオは辞退したのだ。
「楽しんで」
「うんっ!」
 満面の笑みで旅立ったワカナは、帰ってきたとき、ひどく憤慨していた。
「神様って不公平!」
「何かあった?」
 鳥かごのテーブルにおみやげを並べて、ワカナは「聞いてよ、先生!」と身を乗り出した。
「マリエちゃん、すごいがんばってるじゃん! 朝早く起きてパン焼いて、自家製酵母の世話して、ときどき広報やったり、大忙しだよね。確かに美人で性格いいけど、それ関係なくすごいよね。ルウコちゃんだってさ、小さいころから政治家になりたくて勉強してたんだって。知らないでうらやましがってた自分が恥ずかしいよね!」
「それに気づいたなら、君もすごいよ」
 直接会って仲良くなったんだろう。
「でもさ、普通にがんばってるのに、SOFなのにおいしいパンをーとか、SOFなのに世界情勢に詳しくーとか、皆そんなんだよね。それ、ひどくない? SOF関係なく、マリエちゃんのパンはおいしいし、ルウコちゃんは勉強家だよ!」
「それで、不公平って?」
「うん」
 一旦言葉を切って、ワカナはハルオを見た。
「先生だってそうでしょ? 長期観察? だっけ? その専門家なのは、普通にすごいことじゃん。だけど、やっぱり『SOFなのにすごい』って言われるんでしょ?」
「うーん、私の場合は、研究対象が自分だから、専門家とも言い難いかな。普通にすごいかどうかはわからないな」
「すごいって! 私が言うんだから、絶対!」
 息巻くワカナを落ち着かせて、ハルオは苦笑する。
「私の、ヘルスケアプログラムは? それなら、自分が研究対象じゃないし、普通にすごいよね」
「どうかなぁ」
 実際の観察やレポートの執筆はハルオだが、このプログラムはカドランダ保護施設の名前で発表されるはずだ。それを言うと余計に憤慨しそうなので、ハルオは黙って首を傾げた。
「この場合、私より君の方が普通にすごいんじゃないかな。ダイエットに失敗する人だって少なくないんだから」
「え、私? 私は別にすごくないよ」
「そうかな?」
 思わせぶりに笑うと、ワカナは怪訝な顔をした。それから気を取り直すように、パールハールの様子を語り始めた。

 翌日、ワカナの待つ鳥かごに、ハルオはSOFを連れて行った。手動車いすを押してベンチに近付くと、ワカナは目を見開いて驚いていた。
 車いすに乗るのはアーネスト、八歳から二十四年間施設で暮らしている。今は三十二歳だ。
 彼は少しぎこちなく口角を上げた。
「はじめまして。アーネストです」
「え、あ、はい。はじめまして。ワカナです」
 ワカナは戸惑った顔で挨拶する。ハルオは改めて紹介した。
「彼は君の隣の個室に住んでいるんだ」
「え? そうなの?」
「はい。そうです。あなたのことは知っていました。廊下を歩く音がしていました。三年前から、ときどき。この一年半は毎日」
 ずっと感情を出さずに暮らしていた彼は、母国語なのに片言のように話す。
「自分以外にもSOFがいるのだと、あなたの足音で実感できました。気になっていました」
 ワカナは黙って聞いていた。
「先生に会ったとき、驚きました。SOFなのに働いている。話すし、笑うし、驚くし、怒る。――鳥かごではそれが自由にできるのだと聞きました。私も外に出たいと思いました」
 最初は鳥かごまで眠らせて車いすで運んだ。鳥かごでは、感情の開放と遮断、感情の強さとSOF範囲の関連性を体得することを目指した。帰りは起きたまま戻ることを繰り返し、段々とガーディアンの規定範囲に慣れてもらった。
 ある程度慣れたころ、歩行訓練を始めた。長らく外に出ていなかった彼は、筋力が衰えてしまい、歩くにはリハビリから始めないとならなかった。トレーニング棟はワカナだけではなく、彼にとっても役立った。
「リハビリは辛いです。でもあなたが毎日廊下を歩くのを聞いて、励みになりました。それに、あなたはトレーニングをしているとも聞きました。一緒にがんばっているような気持ちになりました」
 彼のプログラムを始めたのは、カドランダにハルオが来て半年経つか経たないか。ちょうど一年ほど前だ。
 アーネストは車いすの肘掛を支えに立ち上がる。ゆっくりとひきずるように足を動かし、数歩進んだ。
「少し歩けるようになりました。あなたのおかげです」
 ワカナはぽかんと口を開けて、アーネストを見上げていた。
 先日やっと歩けるようになった彼は、まずワカナに会いたいと言ったのだ。
「ありがとう」
 アーネストは最初より自然に、唇に笑みを浮かべた。
 彼を支えベンチに座らせると、ハルオはワカナを振り返った。
「君だってすごいって言っただろう?」
 微笑むと、ワカナは勢いよく立ち上がり、
「すごいのは、私よりアーネストさんでしょ!」
 大きな声を上げ、アーネストを驚かせた。



終わり



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2018/3/13-17 執筆
1996.12.13 22:26(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 番外編3 普通の小さな白い鳥

※後日談にあたるので、ネタバレが気になる方は本編からどうぞ。
番外編も番号順に時系列です。ネタバレが気になる方は順番にどうぞ。
目次(表紙)

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普通の小さな白い鳥

「SOFって言っても特別なことは何もできないんだな。給仕なんて誰でもできるじゃないか」
 木立の向こうから声が聞こえ、モトヤは立ち止まる。建物の裏手に客がいるとは思わなかった。しかも話のネタは自分らしい。
「電子機器が止められるわ」
「それは、『できる』じゃなくて、『してしまう』だろう?」
 男女の忍び笑いは、ひどく耳障りだ。そっと後ずさるモトヤの肩を誰かが叩いた。
「っ!」
 驚きの声を飲み込みながら振り返るとユートだった。この辺りにいるということは支配人に用事があるのだろう。険しい表情で客の二人に近付こうとするユートを、モトヤは腕を引いて止めた。「いいから」と無言で訴えるとユートはしぶしぶ引き下がってくれた。不満げな彼の背を押すように、モトヤもその場を後にする。
 SOFは電子機器を止めてしまう体質、またはその体質を持つ人を指す。体質が効果を及ぼす範囲は、SOFの感情の揺れに呼応していて、正負を問わず大きく気持ちが動いたときほど範囲が広くなる。
 電子機器はあらゆるところにあり、それが止まると大勢の命に関わることもある。そのため、SOFは保護施設に隔離すると決められていた。
 モトヤはSOFだ。十歳のときに体質を発露し、ディーランサ星の四大都市の一つパールハールの保護施設に保護された。保護されてからもう九年になる。パールハールの施設と言っても、都市のドームからは車で一日かかる。何かあって都市の電子機器が止まったら困るからだ。
 SOFが寝ているとき、体質は最小限に抑えられ、直接触れなければ電子機器が止まることはない。だから、SOF範囲が規定を超えるとSOFは睡眠ガスで眠らされる。規定範囲は、状況によって違っていた。SOFに与えられている個室は、天井にセンサーと睡眠ガス発射装置がある。個室から出て施設内を移動する際は、ガーディアンと呼ばれる鳥を模したロボットがSOFの頭上を旋回し、天井の代わりを務めていた。ガーディアンの旋回範囲の方が個室より狭い。
 ここまでは一般的な施設の話だ。
 パールハールの保護施設には『鳥かご』がある。施設で食べる野菜を育てていた広い畑の上に金属の檻を建てて、二重天井の上にセンサー、下に睡眠ガス発射装置を設置して、SOF保護条例をクリアさせた『大きな個室』だ。鳥かごの中ではガーディアンの監視はいらない。個室よりも広いから、よほどじゃなければセンサーに引っかからない。泣くのも笑うのも自由だった。
 それを建てたのが、今モトヤの前を歩くユート・ミツバだった。
 モトヤたちがいる場所は、保護施設のドームに連結して作られたミツバのドームだ。ここにはキツツキ邸というミツバのホテルがある。ミツバ・グループは土地開発から建物の管理運営、観光業などを行う会社で、ディーランサへの移民の際、パールハールの初期開発を担った。今でもパールハールの土地の多くはミツバの所有で、領主や公爵と揶揄されることもある。世界企業なので本社は別だが、ユートはパールハールのミツバの社長令息だった。ホテル部門を任されている。
 本当なら、モトヤはユートと知り合うこともなかっただろう。
 ミツバのドームにはキツツキ邸の他に、フクロウ邸という屋敷があった。こちらは、ユートと彼のパートナーであるマリエの自宅だった。
 ユートはマリエに求婚するため、このドームを建てたそうだ。
 ドームの天井にセンサーがあり、睡眠ガス発射装置のある下天井は森をイメージして植えられた木々の枝にうまく隠されている。平屋の屋敷は室内の天井に発射装置があるが、センサーはドームの天井だ。電子機器の持ち込みは禁止。手動の道具や、物理的に電気回路を繋いだり切ったりして電源を操作する単純な家電が生活道具だ。この中ではガーディアンは不要――ドーム自体が『大きな個室』だった。
 キツツキ邸を作ってホテルにしたのは、ミツバ社との兼ね合いらしい。ミツバのドームに連結して空港を作り、パールハールに新設した空港まで一時間。彼は毎日飛行機で通勤している。
「悪かったな」
 小さな黄色の薔薇が香るアーチ門をくぐり、フクロウ邸の敷地に入ったところでユートは振り返った。
「いいえ、旦那様」
 モトヤはキツツキ邸の従業員だ。キツツキ邸は、ミツバの別荘に宿泊するというコンセプトで運営されているため、従業員はユートを旦那様、マリエを奥様と呼ぶ決まりだった。実際、フクロウ邸にはユートがミツバ本邸から引き抜いてきた執事やメイドがいる。どんな実家だよ、とモトヤは思うのだけど、ルウコの実家もメイドがいるらしく、世界は縦にも広いんだなとため息をついたものだ。
 ユートは「普通で構わない」と軽く首を振る。
「以前からの知り合いだから大丈夫だと思ったんだが」
 キツツキ邸は、立地もさることながら、従業員にSOFがいることもあり、SOFに理解のある客を選んでいた。
 モトヤは口調も態度も崩すと、
「直接言わないだけマシだろ」
 保護施設の見学者の中にはもっとひどい人もいる。
「さっき俺が出て行こうとしたのを、なぜ止めたんだ?」
「あの程度でいちいち抗議してたら、面倒だろ」
「些細なことほど注意すべきだと思うが。それに君が聞いて不快に思ったなら、それはもう些細なことじゃない」
「いや、まあ……うん……」
 モトヤは口ごもってしまった。真っ直ぐな気遣いに返す言葉が出てこない。思わず言い訳のように状況説明をする。
「あれは、ホナミ様が俺をちらちら見るのをコサカイ様が嫉妬して、おもしろがったホナミ様が余計に煽って、っていう」
「ああ、なるほど。コサカイ氏はホナミ氏にベタ惚れらしいな」
 モトヤを何もできないと言ったのがコサカイだ。あのあと、君は何もできなくても特別な存在だとでも続けたんだろうか。
 給仕は誰でもできる。
 まあそうだろうと自分でも思う。
 鳥かごができた当初から親しいSOFのうち、マリエはパン職人、チヅルはレース作家だ。ハルオは以前医師の研究の手伝いをしていたのを見込まれ、四大都市の一つカドランダの保護施設で指導員になった。父の影響で幼いころは政治家を目指していたらしいルウコは施設の広報担当になりつつある。皆なんだかんだで「特別」だった。
 一番の特別が目の前にいる。二十五歳の若さながら堂々とした佇まいは、もう生まれからして自分とは違うのだと思わせる。
「いいよなぁ、あんたは」
 思わず声に出してしまうと、ユートは怪訝な顔をした。腕組みをしてモトヤを見る。モトヤも成長して目線が近付いたけれど、ユートの身長には届かなかった。
「何についてだ? まさかマリエか? 彼女は絶対に譲らんぞ」
「そうじゃなくてさ」
 何かと言えばマリエに結び付けるユートにモトヤは呆れる。彼以上のベタ惚れをモトヤは知らない。
「それに、俺はマリエに恋愛感情はないから」
 モトヤにとってマリエは英雄だった。保護されてからの四年が嘘のように、マリエが来てから生活が変わったのだ。鳥かごや調理棟は全てマリエがもたらしたもののように思っていた。
 ユートがマリエに向ける気持ちとは全く違う。
 だから、ユートとマリエが婚約したときは本当に驚いた。
 二人の婚約よりさらに前――マリエがパン職人になるよりも前に、施設の医師ヨシカワが、マリエは新しいSOF保護施策のきっかけになると言ったことがある。同じころに、ルウコも、マリエが成功したら皆が自由になれると言った。施設の皆がそんな風にマリエを特別視していたのだ。
 そんなマリエを、ユートはただの一人の女性として見ていた。彼はマリエを笑わせたり怒らせたり、鳥かごの外にいるのに手を繋いだりしていた。SOF体質を発露したあとも十八歳まで施設の外で暮らしていたマリエは、他のSOFより感情表現に気を使わない。それを差し引いても、ユートと一緒にいるときのマリエを見ていると、彼女がSOFなのを忘れそうになる。そのくらい二人は自然に過ごしていた。
 ユートには敵わないと思ったのだ。
「まだ若いんだし、お前はこれからだろ」
 何を勘違いしたのか、気遣うようにユートが言った。
「ルウコはどうだ? 年も割と近いし」
「あんた、それ、マリエに聞かれたら怒られるぞ」
「なぜだ?」
 ため息交じりに指摘するとユートは目に見えて慌てた。彼の不用意な発言がときどきマリエを怒らせているのは、キツツキ邸の従業員の間でも、マリエのパン工房や保護施設でも周知のことだった。
「ルウコだって怒るんじゃねぇ?」
「だから、理由はなんだと聞いている」
 ユートは憮然とする。
「あんたは大勢の中からマリエを選んだかもしれないけど、俺らはそもそも選択肢がないんだよ。そんな状況で、他にいないからルウコで、っていうのは失礼だと思う」
「ああ、そうか。そうだな……。悪かった」
「いや、別に俺はいいよ」
 普段は偉そうなのに、あっさり間違いを認めるところも敵わない。
「もしやマリエは、他にいないから俺を選んだんだろうか……」
「は?」
 不安げに突拍子もないこと言いだすユートに、モトヤは大声で笑う。
「馬鹿じゃねぇの。んなわけないじゃん」
 フクロウ邸のアーチ門には、屋敷の名前を『Maison de chouette』と洒落た書体で刻んだ金属プレートがかかっている。初めてこれを見たとき、マリエとルウコが「C'est chouette!」と言って笑い合っていた。『C'est chouette!』は『まあ素敵!』ぐらいの意味だ。それにマリエのガーディアンはシロフクロウのロボットだった。森の中の屋敷というのも効いている。
「良い名前だろ?」
 そのときの、どうだ褒めろと言わんばかりのユートの笑顔は、少年のようでおかしかった。
 結局、鳥かごや調理棟も同じことだ。神秘性も運命性も一切ない、マリエに気に入られたいユートの単なるプレゼントだったと今ならわかる。ただ規模が大きすぎるだけなのだ。

***

「君が望むなら私だってドームくらい建てますよ」
「申し訳ありませんが、お断りします」
「そう結論を急がずに、考えてみてください」
 森の小道でルウコが客のヒシダに絡まれているのが見え、モトヤは早足で近付いた。
 SOF保護条例で決められた学習課程を修了したルウコは、施設の広報と同時に、キツツキ邸の従業員になった。農作業担当の見習いをしている。
「ヒシダ様、失礼いたします。旦那様より彼女を呼んでくるように仰せつかりました。よろしいでしょうか?」
 モトヤが声をかけると、ヒシダは掴んでいたルウコの腕を放した。肩をすくめたのは、許諾の意だろう。腹の中はわからないが、表情は笑顔だった。
「ありがとうございます」
 モトヤは丁寧に頭を下げ、ルウコを促す。つなぎの作業着の上に重ねたエプロンの裾を軽く持ち上げ、ルウコは「それでは、ごきげんよう」と挨拶した。
 ヒシダから十分に離れたところまで来て、モトヤは立ち止まる。
「お前、ごきげんようって何だよ」
「おかしかったかしら?」
 いっそルウコはユートの妹という設定にしたらぴったりなんじゃないだろうか。農作業を手伝うちょっと変わった公爵令嬢の役だ。
 首を傾げるルウコに、「それはともかく」と先ほどの状況を聞き出す。
「求婚されたの。結婚してミルガーヌーグのSOF保護施設に来ないかって」
 ルウコは嫌悪感を隠さずに吐き捨てた。
 ディーランサ星の四大都市の一つミルガーヌーグを開拓した企業がヒシダだ。その三十二歳の若社長ジェイ・ヒシダが、今日のキツツキ邸の客だった。
 四大都市をそれぞれ開拓した四大企業はどれも世襲の同族企業だった。そのうち、ユートとジェイは年が近い。話の端々でジェイがユートをライバル視しているのが見て取れた。しかし、おそらくユートは歯牙にもかけていないだろう。
「私まだ十五なんだけれど……。あの人、知っているのかしら」
「広めるなよ」
「わかってるわ。ヒシダのスキャンダルはディーランサ全体に影響しかねないものね」
 ルウコもうなずいた。
「そういう趣味があるわけでも、私に好意を持っているわけでもなさそうだったわ」
「あれだろ、ユートの真似をしたいか、お前の親と縁続きになりたいか」
「そうね」
 ルウコは自嘲を浮かべた。
「あとは、飛べない小鳥を飼いたいか、ね」
「お前、もしかしてユートのこともそんな風に思ってんのか?」
 今でも『ユート様』と呼び、一時期は王子様と慕っていたから驚く。
「まさか! 思っていないわよ」
 ルウコは「何を言ってるの」とモトヤを冷たく睨む。
「ユート様は、どんどんマリエの行動範囲を広げてくれてるじゃない。個室より鳥かご。鳥かごから調理棟。そしてフクロウ邸」
「今のところ職場と自宅の往復だけど、そのうち星まるごと買いそうで怖えよな」
「あら、私はもう計画してると思うわよ」
 ルウコはふふふっと笑ってから、一転顔をしかめる。
「ユート様はマリエの行動範囲に自分から入ってきて、マリエの生活に寄り添ってくれてるけれど、あの人は違うわね。自分の手の届くところに私を置いておきたいだけ」
「ユート様は王子様だしなぁ」
「ヒシダ様じゃ太刀打ちできないわね」
 二人で顔を見合わせて笑った。
「今日はもう帰れよ。ヒシダ様の件は俺から支配人に報告しておくわ」
「ヒシダ様、いつまでいるの?」
「あさってだな」
「明日のじゃがいもの収穫、一日待ってもらえないかってコバヤシさんに聞いてくれない?」
 コバヤシは農作業担当の主任だ。
「了解」
 歩きながら保護施設との連結部分の扉の前まで来る。広い開口部を覆う金属扉の真ん中に、人一人が通れるほどの小さな扉がある。ここが普段の出入り口で、アンティークの雑貨のような鍵で開いた。
 連結部分のトンネルに入ると、止まり木で待機していたガーディアンがすぐさま飛んでくる。
 トンネル内部はガーディアンの旋回を妨げないくらい広いけれど、できるだけ中央を歩くようにしている。扉を含めたドームの端付近に来るときは、SOFは皆、感情のコントロールに気を使っていた。
 ルウコのガーディアンは青い小鳥だった。モトヤは白い小鳥。実在の鳥を模したものではない。デザインが全く同じなのは、二人とも見せられたカタログのサンプルから適当に選んだからだ。青い鳥は例1、白い鳥は例2。例3はなぜかメジロだった。鳥かごで初めてルウコと顔を合わせたとき、その話題で盛り上がったのを覚えている。
 サンプルの最初が青い鳥だなんて、カタログを作ったのはきっとユートみたいなやつだろう。想像したら笑いそうになった。この話をしたら、マリエもルウコもうなずいてくれると思う。
 モトヤは短いトンネルを抜けて、ルウコを保護施設のドームまで送った。
「それじゃあな」
「ええ、よろしくね」
 歩き出しかけたルウコが、ふと振り返る。
「私には無理だけど、あなたは使用人の素質があると思うわ」
「それ褒めてんのか」
「ユート様も褒めてたわよ。このままずっと勤めるなら支配人にすることも考えるって」
 ユート本人からはそんな気配はみじんも感じられなかったから、モトヤは驚く。ルウコが誇張しているだけかもしれないと思い直し、話半分に聞き流そうと努力しても、にやけそうになってしまう。
 消去法で選んだ仕事だったのに、認められるとこんなにうれしいのか。
「さっきは助けてくれてありがとう」
 身を翻す寸前にそれだけ言って、ルウコは走っていく。
 モトヤは今度こそ頬を緩ませてしまい、慌てて、感情を閉じる。危ない。ここは鳥かごの外だった。

***

 休日に鳥かごに行くと、ハルオがいた。カドランダの保護施設に移って以来だから、一年近く会っていない。
「おっさん、久しぶりだな」
「お、モトヤか」
 彼は紅茶を片手に何かの書類を読んでいた。ハルオは四十一歳。十二歳で保護されてから二十九年を施設で過ごしている。マリエが来るまでの四年間はモトヤにとって暗黒時代だった。それが二十四年続いたハルオはどんな気持ちなのだろうといつも思う。
「いつ帰ってきたんだ?」
「昨日だよ。どちらにしても寝てるだけだけど、飛行機は速くていいね」
 モトヤは向かいのベンチに座り、持ってきたティーセットを並べる。紅茶の淹れ方はキツツキ邸で教わった。
「モトヤの紅茶、私にも分けてくれないかな」
「いいぜ」
 空になったカップを受け取り、お湯を注いで温める。モトヤの手元を見ながら、ハルオは教えてくれた。
「ヨシカワ先生の前任の医師の研究に私が協力していたって話したかな。その研究を私とヨシカワ先生で続けてたんだよ」
「へえ。知らなかった」
「明日、先生が学会で発表するんだが、私も共同研究者にしてくれたんだ。それを測定室から見ることになってる」
「見るだけかよ。おっさんも発表すりゃいいじゃん。測定室は配信もできるだろ」
「挨拶はすることになってるよ。発表なんてしたら緊張ですぐランプが消えるだろうね」
 ハルオは少し浮かれているのか陽気に笑った。
「録画してもらって、俺もあとで見るわ」
 モトヤは話しながら、カップのお湯を捨て紅茶を注ぎ、ハルオの前に出した。
「仕事は?」
「ああ、がんばってるよ。社会人って意味なら君の方が先輩だな」
「確かに」
 モトヤがキツツキ邸に就職したのは二年前だ。
 他の皆のようにやりたいこともなく、できることもなかった。働くなら、マリエのパン工房か、保護施設か、キツツキ邸のどれかだ。もちろん働かないという選択肢もあった。一番体を動かせると思ったからキツツキ邸を選んだだけだ。
 キツツキ邸は、というよりミツバ・グループはそう簡単に就職できる会社ではない。社会貢献活動の一環で設けられたSOF枠で採用された。落ちた人の中には、自分よりもっと切実にキツツキ邸で働きたいと思っていた人もいたに違いない。モトヤが仕事に真剣に取り組んできたのは、後ろめたさをごまかすためだったかもしれない。
 自分の考えにふけりそうになるモトヤに気づかず、ハルオは続けた。
「先日、貯まった給料で親にプレゼントしたんだ。カドランダの職員に頼んで、オンラインで注文して送ったんだが、ものすごく喜ばれてね。初任給で親に贈り物って聞いたことあるかい? 私も保護される前にどこかで見聞きしたことだったんだけど、それが自分もできるなんて思わなかったよ」
 ハルオは興奮気味に話してから、一度言葉を切った。
「普通のことが普通にできるなんて、今までは考えられなかったなぁ」
「そうだな」
 そうだった。
 自分には特別なことが何もないと気にしていたけれど、以前は普通のことすらままならない状況だったのだ。
 いつのまにか、普通が当たり前になっていた。
 それは、とてもうれしい発見だった。
「お、モトヤの味だ」
 紅茶を一口飲んだハルオが声を上げた。
「紅茶はやっぱり君が淹れたのが一番おいしいね」
 格別だ、とハルオは嘆息した。
「そりゃあ、どうも」
 そう返した声は、少しだけ震えていた。




終わり



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2018/3/8-11 執筆
1996.12.13 22:25(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 番外編2 そして青

※後日談にあたるので、ネタバレが気になる方は本編と番外編「緑、黄、赤」からどうぞ。
目次(表紙)

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「そして青」

 将来の夢は、と聞かれたとき、幼いころのルウコは「お父様のような政治家になりたい」と答えていた。
 生意気で無邪気な少女の言葉に、周りの大人は好意的だった。「さすが、トワダ知事のお嬢さんだ」などと言われるのが本当に誇らしかった。
 SOFを発露する前――もう五年以上前のことだ。

「それじゃ傾いてるじゃない。きちんと真っ直ぐに立ててくれない?」
 きゅうりの苗を植えた畝に支柱を立てる男子学生に、ルウコは容赦なく指示する。相手は一瞬顔をしかめたものの何も言わずに支柱を直した。
 文句があるなら言えばいいのに、とルウコは思う。学校の課外授業で、都市から離れた場所にあるSOF保護施設まで連れて来られ、慣れない農作業をやらされ、あれこれ指図されたら不愉快にもなるだろう。文句を言われても、さぼっているのを見つけたとしても、ルウコは学校に言いつけるつもりはない。それを教えてあげるつもりもなかったけれど。
 学生の課外授業などの見学者を受け入れているSOF保護施設はたくさんある。しかし、施設で暮らすSOFと交流ができるのは、世界でもここだけだった。
 SOFは電子機器を止めてしまう体質、またはその体質の人を指す。その効果の範囲は感情の高まりに比例する。世の中は電子機器だらけで、そこここで止められてしまっては困るから、SOFは保護施設に隔離されていた。体質改善の方法はまだ発見されていない。SOFを発露したら死ぬまで施設で暮らすのだ。
 ルウコは十歳のとき、旅行先の星ディーランサで発露した。眠らせて自宅に近い施設まで移動することもできたけれど、父がそれを許さなかった。そのため、ディーランサの四大都市のうちの一つパールハールの施設に一人取り残された。政治家の娘がSOFを発露したと注目を浴びないように隠してくれたのだろうと姉やマリエに慰められたけれど、本当のところはわからない。体裁が悪いからではないかとルウコは今でも思っている。
 ルウコが保護された三ヶ月後にマリエが保護され、ルウコの生活はもう一度変わった。今ではこの施設は、SOF保護施策とSOF研究における世界の最先端だった。
 今日来ている学生たちは、期間を空けて合計三回訪れるらしい。三ヶ月前に行われた初回は見学で、ルウコは関わらなかった。今日の二回目と次の三回目は、設備保全ボランティア――要するに掃除や草取り――が主だけれど、交流の時間も設けられている。SOFは、鳥かごや調理棟の食堂で待機し、グループごと順番にやってくる学生たちを迎えることになっていた。お茶を飲んだり、ゲームをしたり、何をするかはSOFに任されている。ルウコは農作業を手伝ってもらうことにしていた。
 交流に参加できるSOFは少ない。ルウコ、マリエ、モトヤ、チヅルの四人だけだ。ここ五年の間に保護されたSOFは鳥かごで過ごすことに慣れているけれど、皆ルウコより年下だ。どう影響を与えるか予測できないため、交流の対象から外されていた。それ以前から施設にいるSOFで交流できるほど安定しているのは、鳥かごができた当時に集まっていたメンバーとほとんど変わらなかった。
 ほとんど、というのは、今はハルオがいないからだ。彼は、同じディーランサ星内の都市カドランダの保護施設で、指導員として働いているのだ。マリエはパン職人、チヅルはレース編み作家、モトヤも施設に隣接するミツバのホテルで働いている。SOFが自分で金銭を稼いでいる施設も、世界でここだけだった。
 このままいけば、ルウコも今年中にSOF保護条例で決められた教育課程を修了できる。ルウコは農園の世話を続けたくて、勉強のために週に一度ホテルの農作業を手伝わせてもらっていた。
 一人、手慣れた様子の男子学生がいて、ルウコは気になり、声をかけた。
「慣れてるのね」
 驚いた顔で振り返った彼は、「そうですね」と敬語で答えた。飛び級や留年をしていなければ、ルウコより二つ年上のはずだ。
「普通にしゃべっていいわよ」
 そう言ってから、頭二つ分は背の高い彼を見上げる。ルウコが名乗ると、相手はナオキ・イソガワと名乗った。
「どこかで習ったの? おうちのお仕事? いえ、ディーランサは機械式農業が主流よね。それなら、家庭菜園かしら?」
「昔、家で農場を経営してたんだ。俺はエークヴェーズ星の出身だから」
「ああ、移住してきたのね」
 ルウコはディーランサの隣の星群に属するガーベルンドラー星の出身だ。エークヴェーズはガーベルンドラーと同じ星群だからよく知っている。六年前に火山の影響で人が住めなくなったのだ。
「え? エークヴェーズを知ってるのか?」
 ナオキは目を丸くする。
「もちろん知ってるわよ」
 ガーベルンドラーの知事の娘として相応しくあらねばと思っていたルウコは、幼いころからニュース番組を欠かさず視聴していた。
「そういえば、エークヴェーズはドームが必要ない星だったわね。宇宙から直接届く光で野菜を育てていたのね……」
「そうなんだ!」
 ナオキはうれしそうにうなずいた。
 ガーベルンドラーもドーム式だから、ルウコには想像もつかない。遮るものが何もなく、そのまま宇宙に繋がっているなんて、どんな感じなのだろう。SOFセンサーの入った天井やガーディアンが必ず頭上にある今となっては、夢のまた夢だ。
「宇宙まで何もないんでしょう?」
「何もないわけではないよ。恒星が巡り、雲が浮かんで、雨が降るんだ」
 思い出すように、ナオキは顔を上向け、目を閉じた。
「空はいつも違う色をしてたよ」
 ルウコも彼に倣って上を見た。視界に入るのは、鳥かごの二重の檻。そして、ドームの白い天井。
「もう見れないけどさ」
 肩をすくめて自嘲するナオキに、ルウコは首を傾げた。
「第三アマフレガ星を知ってる? エークヴェーズと環境が似ているの」
「ええっ、どこの星なんだ?」
「C六星域よ」
 農業が盛んで、農産物の市場の中心でもある。この星で開かれた農産物の取引に関する国際会議に父が出席したことがあり、ルウコは覚えていた。
「そんなの、ものすっごく遠いじゃないか」
 ナオキががっくりと肩を落とす気持ちがわからない。
「農畜産学の大学があるから目指してみたら?」
「簡単に行けるわけないだろう」
 ルウコは顎を上げて、ナオキを睨むと、
「あたしより、あなたの方がよほど簡単でしょう?」
 それだけ言ってくるりと背を向けた。

***

 どうしてあたしが?
 SOFを発露してから、ルウコは何度も考えた。
 答えは出ない問いだ。
 そして、どんな答えが返ってきたとしても、到底納得できる気はしなかった。

 二ヶ月前にパールハールにやってきたベルタは、なんとなく姉に似ていた。
 怒ったり泣き叫んだり、大声で笑ったりすることもなく、いつもひっそりと穏やかに微笑んでいた姉エリー。自分が知る限り両親に逆らうようなことは一度もなかったエリーは、ルウコが施設に保護されたのをきっかけに、父の反対を押し切って、星内の保護施設を統括するディーランサのSOF保護センターで働いていた。
 ベルタが個室から出歩けるようになってから、彼女とはよく鳥かごで顔を合わせる。年が近いせいもあり、一緒に農園の手入れをしたり、お茶を飲んだりする機会が多かった。今日も鳥かごで二人でお茶を飲んでいた。
 ベルタは遠くの星の保護施設から移転してきたらしい。施設を移転したなんて話は聞いたことがなかったからルウコは驚いた。遠距離の移動はSOFでなくても高額な料金がかかることを考えると、ベルタの家は裕福なのだろう。そう思ってさりげなく聞いたけれど、彼女は心当たりがないようだった。
「ママの両親の話は聞いたことがなくて、だから、もしかしたら……」
 ベルタが考え込むようにしたから、ルウコは慌てて首を振った。
「別にいいのよ。あたしの家と似ているのかなってちょっと思っただけだから」
 ベルタが母親の話をするときは少し心配になる。彼女が感情を揺らす原因のほとんどが母親なんじゃないだろうか。
 ルウコの心を知ってか知らずか、ベルタは、
「おとといね、ママと面会したの」
「また?」
 過去二回とも眠らされたと聞いていたから、咎める口調になってしまった。
「うん。そう」
 ベルタは微笑んだ。
「でも、もう会わない」
 ほっとしつつも意外に思って、ルウコは聞いた。
「何かあったの?」
 ベルタは考えるように視線を落とす。
「私がSOFなのには意味があるんだって」
「え?」
「ママがそう言うの」
 こちらを見たベルタの目は潤んでいた。ルウコは彼女の手を握る。ここが鳥かごで良かったと思う。
「神様に選ばれて、試練を与えられたんだって。SOFだからできることがあるはずだって」
「SOFだからできること……?」
「ママが私のためを思ってくれているのはわかるんだけど、でも、違うの。私、選ばれたって言われても全然うれしくない」
 ベルタはルウコの手を握り返した。
「だから、もう会わないことにしたの」
「そうね。その方がいいと思うわ」
 ルウコは大きくうなずいた。
 ベルタには響かなかった彼女の母の言葉は、ルウコの心を波立たせた。
 自分がSOFであることに意味があるとしたら?

***

 マリエの流産はトウドウから知らされた。
 妊娠を祝ってから十日も経っていない。ルウコは知らなかったけれど、妊娠初期の流産は珍しいことではないそうだ。
「安定するまで完全に秘密にしておくべきだったわ。考えが及ばなくて、マリエに申し訳ないわ」
 外部に漏れることはなかったけれど、保護施設内でマリエに関わりのある人は皆知っていた。その全員に悲しい報告をして回ることを想像したら、心が痛む。
 鳥かごで会ったマリエは、ルウコを抱きしめた。
「ごめんね」
「何言ってるの! マリエが謝ることなんて一つもないじゃない!」
 ルウコはうろたえて大きな声を出してしまった。
 マリエをぎゅっと抱き返す。出会ったころよりもずいぶん成長して、ルウコはもうマリエとそれほど身長が違わない。
「マリエが成功したらあたしたちも自由になれるって、昔言ったの覚えてる?」
 ルウコがそっと切り出すと、マリエは身体を離した。真っ直ぐにルウコを見つめ、うなずく。
「覚えてる」
 そうだろうと思っていた。
「それ、もう忘れていいわよ」
 ルウコはにっこりと笑う。
「マリエのおかげでいろいろなことが自由にできるようになったわ。ありがとう」
「うん」
「でもね、まだまだ足りないのよ。やっぱりマリエだけじゃだめね。だから、あたしも自分で成功して、もっと自由を得ることにしたの」
 できるだけ高飛車に言い放つと、マリエはもう一度ルウコを抱きしめた。
「さすがルウコね」

***

 ディーランサでサミットが開かれ、父が出席する。しかも、パールハールの保護施設に視察にやってくる。
 ルウコにその情報をもたらした姉のエリーは、顔を曇らせた。
「わたくしも、SOF保護センター経由で知ったの。お父様に連絡してみたけれど、あなたと会うつもりはないそうよ」
「そう……」
 ルウコは少し考えたあと、エリーにお願いをした。
「お姉様が昔着ていたような服を用意してほしいの」
 エリーは目を瞬かせる。
「お父様に会うの?」
「他の人がいる前で娘を邪険にはできないわよね」
 ルウコが言うと、エリーは、ふふふっと小さく笑った。
「どういう服かしら? パーティードレス? それとも、カジュアルなワンピース?」
「政治家の娘が弁論大会で発表するときのような服よ」
「勝負服ね」
「ええ、そうなの」
 年の離れた姉妹は友だちのように笑い合った。
 エリーが手配してくれたのはマリエの叔母が経営するオートクチュールのメゾンだった。チヅルのレースの卸先でもある。そのため、できあがったツーピースは、襟にチヅルのレースが使われていた。ルウコのために編んでくれたのだろう。SOF保護運動のシンボルマークに似た小鳥が描かれている。腰を絞ったきっちりとしたジャケットにひざ下丈のスカート。明るいスカイブルーが眩しい。ルウコの勝負服だった。

 ルウコは鳥かごで視察団を迎えた。SOFはルウコ一人だ。少し後ろでトウドウとヨシカワが見守ってくれていた。
 こういうとき、今まではマリエが応対していた。視察や取材に来る側も大半はマリエが目的だった。それをルウコは変えたいと思っていた。
 保護施設の広報係が先導して、視察団が近付いてくる。政治家が十数人、SPと秘書、手書きでメモを取る記者、アナログ式のカメラを構えるカメラマン。かなりの大所帯だった。そして、離れたところからビデオ撮影もしている。
 一団の中に父の顔を見付け、ルウコは笑顔を向ける。父は一瞬驚き、それから眉間に皺を寄せた。その渋面が懐かしい。
「彼女がマリエ・ミツバさん?」
 政治家の一人が広報係に尋ねる。事情を知っている彼は首を振って、ルウコを紹介した。
「ルウコ・トワダさんです」
 施設ではずっと母の旧姓であるハカマダを名乗らされていた。保護されてから初めてトワダと名乗る。
「本日、皆様をご案内いたしますルウコ・トワダです。よろしくお願いいたします」
 同じ姓だからか、父に視線を向ける人が何人かいた。それを受けて、ルウコはうなずく。
「ガーベルンドラーの知事、マキオ・トワダの次女です。五年前に旅行先のディーランサでSOFを発露して以来、この施設で暮らしています」
 一気にざわつく周囲をよそに、ルウコはめいっぱいの笑顔で父を見た。
「お久しぶりです。お父様」
 父から何か言われる前に、ルウコは先手を打つ。
「わたくしが変に注目されないように隠してくださって、ありがとうございます。お父様のおかげで、平穏な日々を過ごすことができました。わたくし、近いうちに、教育課程を修了するんです。これからは、施設の一員として役に立ちたいと思っています」
 それから、視察団の面々を見渡す。
「その第一歩に、今日、各星からいらっしゃったお客さまをご案内する役目をいただきました。初めてなので拙い部分もあると思いますが、精一杯がんばります。どうぞよろしくお願いいたします」
 お辞儀をすると拍手が起こった。同時に、父に視線が集まる。
 意外なことに父の顔には苦笑が浮かんでいた。大股でルウコの前まで来ると、右手を差し出す。ぽかんとしてしまったのはルウコの方だった。動かないルウコの右手を掴んで握手をさせると、父はルウコにしか聞こえないほどの声で言った。
「そういえば、お前は政治家になりたいと言っていたな」
「覚えていてくださったの?」
「ああ。……そうだな、お前は向いていると思う」
「え?」
「政治家としては、私も応援しよう。ほら、笑いなさい」
 父はカメラの方に笑顔を向ける。ニュースメディア経由でよく見た政治家の顔だ。
 ルウコも父と同じ方を向いた。今の笑顔は、五年前に家族に見せていたのとは違う笑顔だろう。
 その日の夜には、ガーベルンドラーの知事の娘がSOFだったというニュースが世界を駆け巡った。

***

 父と再会してから一月が経ち、ルウコは広報担当に徐々になりつつあった。ルウコを指名する取材もいくつか受けた。
 自分がSOFに生まれた意味を最近はよく考える。
 運命でも使命でもいい。理由があって欲しいと思っている。
 SOFとしてできること、SOFでなければできないことが、本当にあるのだろうか。
 納得できる答えが見つかりそうな気がしている分だけ、「どうしてあたしが?」と考えるよりは建設的かもしれない。

 課外授業の三回目。ニュースのせいか、農園の手伝いを希望する学生は前回よりも増えていた。
 一組が去って次のグループが来るまで、少し休憩しようとベンチに向かう。鳥かごの中央通路では、モトヤが自転車の講習会をしていた。見るともなく見ながらお茶を飲んでいると、男子学生が三人近付いてきた。そのうちの一人は、エークヴェーズ星から移住してきたというナオキ・イソガワだった。他の二人も、前回農園を手伝ってくれた学生だろう。なんとなく見覚えがあった。
「こんにちは」
「あんた、政治家の娘なんだってな」
 ルウコの挨拶を無視して、一人が言う。
「ええ、そうよ」
「だからそんなに偉そうなんだな」
「かわいそうだと思ってたから、文句言わずに従ってやってたんだぞ」
「それが、金持ちのお嬢様じゃねぇかよ」
「騙されたよな」
 ナオキ以外の二人が口々に言う。
 ルウコはおかしくなってくすくす笑った。偉そうだとか、お嬢様だとか、保護される前にはよく言われた。ここにきてまた言われることになるとは思ってもみなかった。
「何笑ってんだよ」
 そんなことをわざわざ言いに来たのかと思うとおかしくて、なんて答えたらイメージダウンになるだろうか。
「いいえ。何でもないわ」
 彼らは笑い続けるルウコを不審げに見て、さらに何か言おうとする。そこで、自転車を引いてモトヤがやってきた。
「どうした?」
 ルウコと学生たちを見比べる。ルウコが「交流していただけよ」と答えると、彼らは「行こうぜ」と踵を返した。
「さようなら」
 ずっと黙ったままだったナオキに向かって、ルウコは手を振った。ナオキは後ずさりかけてから、意を決したようにもう一度ルウコに近付いた。
「あの、俺、第三アマフレガ星の大学を目指すことにしたんだ。奨学金がもらえるかもしれなくて……」
「そうなの? 良かったじゃない。がんばってね」
 ルウコは立ち上がって、励ますつもりでナオキの腕を叩いた。彼は少し照れて、
「お礼だけ言いたくて。ありがとう」
 身を翻して走って行ってしまった。先ほどの二人に合流して、何か話しながら鳥かごの出口に向かっていく。ルウコは彼らが視界から消えるまでそのまま見送っていた。
「いいわね……うらやましい……」
 思わず零れる。
「座れば?」
 ベンチに座ったモトヤがルウコの手を引く。されるままに腰を下ろすと、ティーセットにあったふきんを手に押し付けられた。
「せめてハンカチにしなさいよ。それに、泣いてないわ」
 ふきんを突き返すと、手が震えないように最大限の注意を払って、優雅にティーカップを手に取る。
「測定室で通信講座を見せてもらえば、学位は取れるだろ?」
「そうじゃないのよ」
「ああ、第三アマフレガってドーム式じゃないんだっけか?」
 モトヤは首を傾げて、
「お前なら行けるんじゃねぇ? 寝てれば宇宙船にだって乗れるんだし」
「まあそうだけど」
 モトヤは両手を掲げて大きく伸びをした。
「行けよ。もっと自由になるんだろ?」
「そうよ、もっと自由になるのよ」
 ルウコは自らに言い聞かせ、目を閉じる。
 空の色を想像する。
 瞼の裏に思い浮かんだのは、あのときのツーピースのスカイブルーだった。


終わり



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2017/7/3-7 執筆
1996.12.13 22:21(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 番外編1 緑、黄、赤

※後日談にあたるので、ネタバレが気になる方は本編からどうぞ。
目次(表紙)

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「緑、黄、赤」




「あなたがSOFだってことには意味があるのよ。あなたなら乗り越えられるって思ったから神様は試練を与えたんだわ。あなたは選ばれたの」
 熱く語る母のレナーテからベルタは視線を逸らす。
 広い測定室の真ん中にベルタが座る椅子があり、数メートル先に母が座る椅子がある。部屋の床にはライトが埋め込まれた小さなパネルが敷き詰められていて、ベルタとレナーテの間のライトだけが点灯していた。ベルタに近い方から緑、黄、赤の順に色分けされているため、電子機器を止めてしまうSOF体質の影響範囲の目安になる。
「SOFだからこそできることがあるはずよ」
 俯いているベルタには構わず、レナーテは話し続けていた。
 マイナスでもプラスでも感情が大きく動くと、SOFの影響範囲は広がってしまう。母との面会が始まって十分も経っていないのに、すでに緑の列のライトは消えていた。
「あなたならSOFとして何かを成し遂げることができるわ。マリエ・ミツバみたいに」
「マリエ・ミツバ……」
 ベルタが小さな声でつぶやくのに合わせて、黄色の列のライトも消えた。それに気付いたレナーテは慌てて立ち上がる。最初の面会時に全部のライトが消えてからも話し続けて睡眠ガスの巻き添えを食ったから、今回は用心しているのだろう。
「ベルタ」
 名前を呼ばれると、赤い列の一番手前のライトが消えた。
「ママはあなたのことを信じているわ」
 あっというまに床のライトは全て消えてしまい、ベルタは眠らされ、母との面会は終わった。

***

「ゆっくり呼吸してね。吸って……吐いて……吸って……」
 吐いて。
 吸って。
 カウンセラーのトウドウの声に合わせて、ベルタは呼吸を繰り返す。
「何も考えないように」
 吐いて。
 吸って。
「難しかったら数を数えたらいいわ。一から十までを何度も何度も」
 ベルタがうなずくと、トウドウはゆっくりと数を数え始めた。
「いーち」
「にぃ」
 ベルタも声を合わせる。
「さーん」
「しぃ」
「ごぉ」
 ベルタが微笑むと、トウドウは首を振った。
 そう、楽しくなったらダメなのだ。

 ベルタがSOFを発露したのは生まれ育った星ウィブフスだった。一度はそこの保護施設に入ったけれど、レナーテの希望でディーランサのパールハールの施設に移ってきたのだ。ウィブフスからディーランサまでは遠く、銀河間長距離転送を五回繰り返しても二ヶ月かかった。もちろん移動の間ベルタはずっと眠らされていたから、レナーテから聞いた話だ。そもそも施設の移転も事後承諾だった。ウィブフスでは一度も面会できなかったし、まだ不安定だったから動揺させないためにベルタは何も知らされなかった。
 ここパールハールのSOF保護施設は特別だ。SOFの聖女と呼ばれるマリエと、彼女のパートナーであるユート・ミツバのおかげで、新しいSOF保護のテストケースとしていろいろな施策が進められている。
 ライトが埋め込まれた測定室もその一環だった。バレーボールのコートが二つは入りそうな部屋は、感情の強さと影響範囲の広がりをSOF本人がわかりやすく実感できるようになっている。
「本当は鳥かごで面会させてあげたいんだけれど、ベルタのことをよく知るためにもしばらくは測定室で我慢してね」
 最初の面会のときトウドウはそう謝ってくれたけれど、ベルタには鳥かごでレナーテとお茶を飲む想像をするのは難しかった。
 測定室の様子を隣のモニター室から観察していたらしいトウドウは、二度目の面会のときに、レナーテと会いたいか会いたくないかベルタに聞いた。そして、会いたいと答えたのはベルタだった。
 レナーテは、SOFに関する文献をたくさん――ベルタにはわからない学術論文からマリエのインタビューまで――印刷して持って来てくれた。レナーテは昔からベルタのためにいろいろしてくれた。それなのにSOFのせいでほとんど無駄になってしまった。このままでは母をがっかりさせてしまうと思った。でもベルタは今何をしたらいいのかわからない。SOF範囲を広げないためのメソッドは毎日訓練しているのに、最初の面会よりもライトが消える時間が短かった。

***

「ルウコちゃんはいつから鳥かごで面会できるようになったの?」
 鳥かごの中にある農園でイチゴの収穫を手伝いながら、ベルタはルウコに聞いた。彼女はベルタより二つ年上の十五歳で、十歳からここにいるらしい。農園の世話が趣味でいつか仕事にしたいと言っていた通り、ベルタが行くといつもルウコは鳥かごにいた。
「え?」
 ルウコは一瞬首を傾げてから、「ああ」とうなずく。
「今は最初は測定室で面会するのよね」
「今はって、前は違ったの?」
「あたしのときはまだ鳥かごも測定室もなかったもの」
「そうなの?」
「そう。マリエが来てから全部変わったの」
「マリエさん……」
 ベルタはまだマリエと会ったことがなかった。マリエは、昼間は施設の敷地内のパン工房で働いているし、夜は隣接するミツバのドームに帰ってしまう。あまり自由に出歩けないベルタとは会う機会がなかった。トウドウに頼めばマリエに会えるのかもしれない。でも、ベルタはそれを躊躇していた。
「ルウコちゃんは誰と会うの?」
「お姉様よ」
 ルウコの言葉遣いは、ベルタとは違う。ベルタはそれを茶化して、気軽に聞いてしまった。
「お母様とお父様は?」
「一度も来たことがないわ」
 内容のわりに明るい声でルウコは答えた。
「どうして? 遠くに住んでるの?」
 ベルタの父はウィブフスに残ったらしい。最初の面会のときに聞いたけれど、レナーテは話したくなさそうだったから、二度目のときは父のことは話題にしていない。
 自分は事情を抱えているのに、他の人もそうかもしれないと考えていなかったことをベルタは恥ずかしく思った。
「確かにそうだけれど、たとえディーランサに住んでたとしても、お父様はあたしに会いにはこないと思うわ。あたしも会いたくないし」
 きっぱりとルウコが言うから、ベルタは驚いた。
「なんで?」
「お父様に会ったら動揺して一ヶ月くらい寝込んでしまうわ」
 ルウコは冗談めかして笑う。
「お父様が面会に来ても会わないつもりよ」
「え? いいの? パパなのに?」
 ベルタがそう聞くと、ルウコは不思議そうにこちらを見た。
「相手が誰でも、会いたくなかったら会わなくていいのよ。当たり前でしょ」

***

 ベルタがマリエに会えたのは、その数日後だった。
 管理棟に近付かなければ敷地内を自由に歩いていいと許可が下りて、ベルタはさっそくあちこち歩いてみた。そうしたら、偶然、マリエのパン工房に行き当たったのだ。
 正面に金属扉があるだけで窓も見当たらない殺風景な建物は、おいしそうな匂いが漂っていなければパン工房だとは思わなかっただろう。匂いに気付いて、ベルタはすぐに足を止めた。SOF範囲の制御に自信がない自分が近付いて何かあっては大変だ。
 しかし、気になって、ベルタは建物に沿って少し離れたところを歩く。保護施設の敷地はかなり広く、木陰が涼しい林や小さな池もある。パン工房の周囲は芝生が敷かれていたから、離れてもよく見えた。
 裏手に回ったとき、人の話し声が聞こえた。見ると、男女が立ち話をしている。男性が女性を「マリエさん」と呼んだから、ベルタは思わず耳を澄ませた。
「マリエさん、ああいうのは命令していいんですよ」
「でも……」
「僕は最初のころ勝手がわからなかったので、マリエさんのできないことを補佐してました。でも、新人の彼らは違うんですよ。マリエさんができないからやるんじゃなくて、仕事だからやるんです。マリエさんがSOFじゃなくても、あれは彼らの担当なんです。わかりますか?」
「ええ」
「せっかく人を増やしたんですから、マリエさんはマリエさんにしかできないことを優先してくださいね」
「わかったわ。これからは気を付ける」
 マリエは何度かうなずいて、ほんのり笑った。
「ありがとう、ミドー君」
 シロフクロウのガーディアンがマリエの上で旋回している。彼女は、外でも笑えるのだ。
 男性が言ったことがベルタの頭を駆け巡る。
 SOFじゃなくても、マリエにしかできないことがある。
 レナーテの言葉を思い出す前に、ベルタは睡眠ガスで倒れた。SOF範囲が広がりすぎてガーディアンのセンサーにひっかかってしまったのだ。音に気付いたマリエとミドーがベルタを介抱してくれたと、後でトウドウが教えてくれた。

***

 ピンク色の蔓薔薇が咲くゲートをくぐって鳥かごに入ると、ベンチに先客がいるのが見えた。マリエと、医師のヨシカワだ。先日のお礼を言わなくてはと思い、ベルタはベンチに近付く。
「だって、怖いの!」
 マリエが大きな声を上げたため、ベルタは立ち止まった。結果、またしても立ち聞きする形になってしまった。
「生まれてきた子がSOFだったらって考えたら……」
「今のところ遺伝はしないとされているよ」
「でも、子どもを産んだSOFはいないでしょ?」
 ベルタは息を飲む。
「そうだね。君が最初だ」
「まだ産んでないわ」
「産みたくない?」
 ヨシカワは優しく聞いた。
「わからない……」
 マリエは絞り出すような声で答えた。
「僕は医者だし、研究者だから、自分勝手なことを平気で考えてしまうけれど、君には君のことしか頭にない人がいるでしょ?」
「ユートさん?」
「とにかく、彼には話をしよう。君が言いにくいのなら僕から伝える。いいね?」
 マリエがうなずくのが見えた。
 ベルタはゆっくりと後ずさる。少し離れてから回れ右をすると、ゲートの前にトウドウが立っていた。

***

 トウドウに連れられて、ベルタはそのまま測定室にやってきた。彼女はマリエとヨシカワの話の内容を知っているようだった。
「測定室は映像が見れるのよ」
 真ん中の椅子に座らされるのはいつもと変わらないけれど、今日は床のライトは点いていない。照明が落ちると前方の壁をスクリーンにして、映像が映し出された。
「マリエが結婚したころにインタビューを受けたの」
 映像の中のマリエは今よりいくらか幼く見えた。隣に座る男性はユートだろう。にこやかとは程遠い印象だ。背景から鳥かごのベンチだとわかった。
『ご結婚おめでとうございます』
『ありがとうございます』
 画面に映っていないインタビュアーが、二人の出会いやプロポーズの言葉などを聞いていく。レナーテが持って来てくれた記事で読んで知っていることが大半だった。それでも当人たちが話すのを見るのはおもしろくはあったけれど、今これをトウドウが自分に見せようとした意図はわからなかった。
「この後は放映されなかったところよ」
 少し飽きてきたベルタにトウドウが注意を促した。
『マリエさんがSOFなのは、ユートさんと出会うためだったのかもしれませんね』
 インタビュアーは次の質問に移るための簡単なまとめのつもりで言ったのだろう。でも、マリエは即座に否定した。
『いいえ。私がSOFなのはちょっと運が悪かっただけです。大げさな意味なんてどこにもありません。仕方ないから受け入れているんです。歓迎なんて絶対にできません』
 毅然と前を向くマリエのぎゅっと固く握りしめた手を、ユートが大きな手で包み込む。
『マリエがSOFであってもなくても、僕たちは出会っていたと思いますよ。運命を持ち出すなら、そちらの方です』
 ユートがマリエを見る表情は打って変わって穏やかだった。マリエは目を閉じて何度か呼吸をして、ユートの手を握り返したときには微笑んでいた。
 それを見て、ベルタもほっと息をついた。
「マリエは聖女なんかじゃないのよ」
 ベルタの隣で一緒に見ていたトウドウがそう言った。
「あなたと変わらないでしょう?」

***

 三度目の面会はトウドウに反対された。「会って言いたいことがあるんです」と頼むと、トウドウは少し考えてから許可してくれた。
「マリエさんに会ったよ」
 測定室の椅子で向かいあって、レナーテが何か言うより先にベルタはそう報告した。
「本当? 素晴らしい方だったでしょう?」
「ううん、普通の人だった」
 あの後、鳥かごできちんと挨拶して話をすることができた。子どもは産むことにしたそうだ。「不安だけれど皆がいてくれるから」と笑っていた。
「そんなことないわよ。あなたにはわからないのよ。まだ子どもだから」
 ベルタは足元のパネルを見る。消えているのは緑のライトの一列目だけだ。
「マリエさんに弟子入りしたらどう?」
「ママは私にパン職人になってほしいの?」
 いつもは何も言わないベルタが問いかけたことにレナーテは驚いたようだった。
「え? いいえ、別にパン職人じゃなくてもいいのよ」
「マリエさんみたいに有名になってほしいの?」
「有名というのはちょっと違うかもしれないけれど、簡単に言うとそうね。SOFとして皆に必要とされる人になってほしいの」
 緑のライトの二列目が消えた。ベルタは、ゆっくり呼吸をする。心の中で、一から数を数え始めた。
「SOFとして?」
「そうよ。SOFなんだからそれを活かさなきゃ」
 緑のライトが全部消える。
「SOFだからできることがあるはずよ。あなたがSOFだってことには意味があるの」
 吸って。吐いて。数を数える。
「だってそうでもなくちゃ、かわいそうじゃない」
 黄色のライトは一息に消えた。
 顔を上げるとレナーテは涙ぐんでいた。
「誰が?」
「もちろんベルタよ」
 レナーテは真摯にベルタを見つめる。
 ベルタは大きくうなずいた。
「ママ、ありがとう」
 赤いライトは手前から順に消えていく。
「でも、ごめんなさい」
 ベルタは最後に笑った。
「私はもうママには会わない」
 睡眠ガスが降ってくる前にベルタは目を閉じた。


終わり


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2017/5/26-27 執筆

1996.12.13 22:20(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 4.新しい鳥かご(3)

 久しぶりに面会に来たユートに連れられて、マリエは保護施設の敷地の奥の方に向かっていた。今日は日曜でパンづくりは休みだ。落葉樹の林を眺めながら、遊歩道を歩く。鳥かごはもうかなり後ろだった。ドームの天井に設置されたライトで、足元にぼんやりとした影ができている。
 四月になって、ドームの気温も春になった。薄手の上着を羽織っただけですごせる。
 ユートと出会った事件が一年前の三月。父と二人で暮らした八年に比べて、ずいぶんいろいろなことがあった一年だった。
 今日のユートはなぜかトラディショナル・スタイルの一式で固めていて、マリエはますます一年前を思い出した。彼の腕に手を載せてエスコートされて歩いている自分が全くの普段着なので、なかなかシュールな光景だろう。マリエは少しおかしくなって、密かに唇だけで笑った。
「どこまで行くんですか?」
「もう着く」
 言われて前方を見遣ると、ドームの壁に大きな扉があった。ドームを複数繋ぐときに使われるものだ。
「あれ、この先にもドームがあるんですか?」
 マリエはこちらまで来たことがなく、知らなかったのだ。
「作ったんだよ」
「え?」
 マリエは思わず「また?」と聞きそうになった。
 ユートはマリエを促して、開いている扉をくぐる。開口部は五メートル四方はあった。頭上を旋回するポチがぶつかることもない。
 接合部の短い通路を通って、繋がった先のドームに出る。広い敷地に建物は何もなく、工事用の機械や資材があちこちに置かれていた。
「できあがっているのは、ドームと空港だけなんだ」
「空港?」
 大きな星だと都市ごとに空港や宇宙港があるそうだけれど、ディーランサにあるのはセントラルの宇宙港だけだった。
「セントラルの宇宙港から空を飛んで一時間だ。パールハールとセントラルはハイウェイで三時間だから、パールハールからここまで四時間ちょっとだな。今まで一日がかりだったから相当短縮できただろう。隠れ里なんだから一日二日かけて行くのもありかと思ったんだが、社内でかなり反対されたよ。まあ俺の移動を考えたら空港は必須だったんだが」
 満足げにユートが言っていることがよく理解できない。
「隠れ里?」
「そう。このドームを宿泊施設にするんだ。新しいホテルだ。森深くの集落というイメージで、木を植える」
 ユートは話しながら、ドームの中に歩き出した。マリエは黙って彼について行く。
「母屋を一軒と、客が泊まるための離れを一軒。客は一日一組だけ。空港のゲートで電子機器を預かり、中には持ち込めないようにする。畑を作って、農作業を体験してもらう。生け簀で釣りもできる。ちょっとした家畜も飼おうと思っている」
 農作業体験の話は、鳥かごの野菜を売りたいと言ったときにユートが提案したことだった。
 大きな自然岩まで歩いてきて、ユートはマリエを岩に座らせた。自分も隣に腰かけ、帽子を取ってステッキと一緒に脇に置くと、ユートは両手を広げてドームの天井を示す。
「鳥かごの大きなものを作ろうと思う。ほとんどドームと同じ大きさで、センサーを設置した枠を立てる。睡眠ガス発射装置を備えた下天井は、目立たないようにミラー素材を使う。森の設定だからそれほど開けた空間はないし、木の枝でうまくごまかせると思うんだ。母屋は平屋にしてその天井に発射装置を仕込む」
「えっと、それは……SOFをこのホテルで雇ってくれるってことですか?」
「ああ、それも考えている。『M&Sクラフツ』の工場と迷ったんだが、SOF保護施設の人たちは外の人間と関わりを持ちたいだろうと考えて、宿泊施設にしたんだ」
「ありがとうございます。皆喜ぶと思います!」
「いや、皆じゃなくてだな……。宿泊施設はついでだ。そういうことにでもしないと、俺がこっちに住む許可を『ミツバ・グループ』が出してくれなかったんだ」
「ユートさんが住む……?」
 ユートは眉間に皺を寄せて、マリエを見下ろした。
「わからないか? 前に言っただろう? 恋人らしくすごせる方法を考えるって。母屋は俺たちの家になる――君がこの話を受け入れてくれるなら、だが」
「え……」
「空港の方に俺の仕事場を作って、パールハールに出向かなくてはできないこと以外はここで行う。まあパールハールに行ったって四時間で帰って来れるからな。きちんと毎日帰宅できる。パールハールにも空港を作る計画だから、いずれはもっと短縮できる。君だってパンを作っている間は俺と一緒にはいられないんだから、これくらいは許容範囲だろう?」
 目を見開いたまま反応できずにいるマリエに、業を煮やしたようにユートが言った。
「まさか本当に忘れたんじゃないだろうな? 俺は、ずっと一緒にいられる方法を考えると約束したはずだ」
 それはそうだった。
「でも、忘れろって……」
「それは、待つのは嫌だと君が言ったからだ」
 ユートは憮然として言ったあと、マリエの顔を覗き込んで心配そうに聞いた。
「……それで、忘れたのか?」
「忘れてません!」
 マリエは大きな声を出してしまい、ここが鳥かごの中ではないことを思い出して、深呼吸をする。心を落ち着けてから、言い直す。その間ユートは黙って待ってくれていた。
「忘れようとしたけれど無理でした。でも、ユートさんがあまりにも変わらないから、あなたは忘れちゃったんだと思ってたんです」
 披露会でカザマから聞いたカオリとの婚約が間違いだったとわかっても、自分に望みがないのは否定しようがなかった。
 それでいて、ユートへの恋心は消せなかった。諦めて、開き直って、この気持ちと一生付き合っていこうと思っていたところだった。ユートのことを考えて胸が痛んでも、それが当たり前だと平静に受け止められるように、マリエは密かに訓練していた。
「俺が忘れるわけないだろう」
 ユートは短く息を吐いた。
「君は俺の真剣さを全く理解していないようだな……。俺は本気なんだ。軽い気持ちで言ってるんじゃない。いくらミツバでも、そう簡単に新しいホテルを作ったりしない」
 マリエの前で地面に片膝をつくと、小さな箱を掲げた。蓋を開いた中に指輪がある。小指の爪くらいの大きさのダイヤモンドが燦然と輝いていた。
「君が好きだ。一生かけて君を愛す。ずっと一緒にいる」
 真っ直ぐに見つめる切れ長の目が、マリエの心を攫う。
「結婚してほしい」
「……私でいいんですか?」
 衝動のまま受け入れてしまいたいのを振り切って、震える声でマリエは聞いた。悪あがきにしか見えないだろうと自分でも思った。
「君がいいんだ。他はいらない」
 ユートは落ち着いた表情で繰り返した。しかし、声には熱意が籠っていた。
「結婚してくれるか?」
「はい……喜んで」
 いろんな感情が渦巻いて、慌てて気持ちを抑えた。鳥かごで言ってくれたら良かったのにと恨まずにはいられない。
「ありがとう」
 ユートは何か堪えるように目を閉じて、そっとマリエの左手を取って薬指に指輪を嵌めた。どうやって調べたのかサイズがぴったりなのが、いかにもユートらしくてマリエは微かに頬を緩めた。
 彼はそのままマリエの指先に口付けた。敬虔な祈りのようで、でも、肌に触れる吐息は熱かった。
 一瞬で唇を離したユートは、マリエを上目使いで見て、照れたように笑った。今まで見たことがない表情に、マリエの胸がきゅっと縮む。
「断られなくて、良かった……」
 ほっとしたように言うユートに、マリエは見惚れていたのをごまかすために、少し睨むようにする。頬が上気していてちっともごまかせていないことを、マリエは気づいていない。
「私も好きだって言ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」
「まさか! しっかり覚えている。何度も何度も思い出した」
 茶化すでもなく真摯に答えるユートに、マリエは言葉を失う。
「もう一度言ってくれるか?」
 ユートはマリエの手を引いて立たせた。マリエは彼の端正な顔を見上げる。ユートがセンサーの範囲に入ったため、ポチがばさりと羽音を立てた。
「好きです。ユートさんが好き」
 マリエは微笑んだ。今の状況でできる精一杯の気持ちを込めた。頬が染まって、少しだけ涙が滲んだ。
 ユートはマリエの手を強く握った。眉を寄せて難しい顔をする。
「君を抱きしめたいんだが」
「だめです」
「キスしたい」
「無理です」
「鳥かごに戻ったら?」
「今は考えられません」
 ユートは一度マリエの手を離して、ステッキと帽子を手に取る。
「それじゃあ、まず戻ろう」
 手袋を外すと、改めてマリエの左手を取って指を絡めて繋ぐ。施設のドームに向かって歩を進めた。ユートの大きな温かい手。そのしなやかな指に直接ぎゅっと心臓を掴まれているようで、ドキドキしすぎてマリエは心配になる。でも、できるなら手はこのまま繋いでいたい。空いている右手で胸を抑えて深呼吸した。
 そんなマリエを知ってか知らずか、ユートは肩まで触れるほど近くを歩く。
「甘い匂いがする」
「たぶんパンの匂いです」
 そう答えると、ユートは繋いだまま手を持ち上げ、マリエの手首に顔を寄せ鼻を鳴らす。
「おいしそうだな。あとで食べさせてくれ」
「パンを、ですよね?」
 そこでしゃべらないでほしいと思いながら、マリエが聞くと、ユートは血管をなぞるように手首に唇を滑らせた。心臓が止まりそうになって、息を飲む。案の定、SOFで停止したポチが降ってきて、マリエの視界は暗転した。
 あとから聞いた話では、ユートも睡眠ガスに巻き込まれたらしく、駆け付けたヨシカワに蹴られたらしい。
 結婚披露宴のスピーチでも言われて、長く笑いの種にされることを、このときはまだ二人とも知らなかった。
1996.12.13 22:19(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 4.新しい鳥かご(2)

 カザマとのやりとりが撮影された動画が記事になったことは、ヨシカワが教えてくれた。印刷してもらった記事を読んで、マリエはもやもやとした気持ちを抱えた。結局、SOFを前面に出して同情を誘って、パンを売ることになってしまった。
 それをなぐさめたのはルウコだった。
「きっかけなんて何でもいいのよ。最初は同情だって、おいしくなかったら一度で終わりでしょ。また買ってもらえるかどうかはマリエ次第じゃないの?」
「そうね。がんばらないとだめだよね」
「そうよ! 何年も経ったら、マリエがSOFだなんて誰も気にしなくなるわよ!」
 記事がきっかけでマリエのパンを食べに来た客にも好評だとカオリから聞いていた。いつか「SOFが作ったパン」じゃなくて「ドン・ラ・カージュのパン」で選んでもらえるようになりたい。フジモトから資料を送ってもらって自家製酵母の勉強も始めよう。今はまだ『ミネヤマ』の従業員扱いだけれど、独立できるようになりたい。
 決意を口にすると、ミドーも「がんばりましょう」と言ってくれた。彼は引き続きマリエの助手についてくれている。
 ルウコのことでは、びっくりするようなことが起こった。
 披露会から十日後、マリエに面会に来たエリーが、鳥かごでルウコに会ったときだった。
「お姉様!」
 ルウコがエリーに言ったのだ。マリエが驚いていると、エリーはルウコを抱きしめた。「ごめんなさい」と泣きながら何度も謝る。その場にいたSOFのいつものメンバーは知らなかったけれど、施設職員のトウドウとヨシカワは知っていたようだった。
「ディーランサに旅行に来ていたときに、ルウコのSOFが発露して、父は妹をパールハールの保護施設に預けてしまったのです。眠らせればガーベルンドラーまで連れて帰れるのに」
 再会の動揺が去って落ち着きを取り戻したエリーが説明するのに、ルウコも俯いて言う。
「ハカマダってお母様の旧姓なの。保護されて、気が付いたらもう一人ぼっちで……」
 マリエは彼女の頭を撫でて、
「ルウコがガーベルンドラーの知事の娘だって広まったら、SOF保護運動のダニー・ウィングみたいに目立ってしまうって心配したんじゃない?」
「え……」
 ルウコは顔を上げて、目を瞬いてマリエを見る。考えてもいなかったようだ。
「そうなのかな……」
「きっと、そうよ」
 エリーもうなずいて、ベンチに座るルウコの前に膝をついた。両手を包み込んで握る。
「わたくし、ディーランサのSOF保護センターでお仕事をすることにしたのよ」
「え? お姉様が仕事なんて……お父様は反対なさらなかったの?」
「喧嘩してしまったわ」
 上品に微笑むエリーに、ルウコは吹き出した。
「これからはいつでも会いに来れるわ」
「本当? それじゃあ、あたしが作ったイチゴが収穫できたら食べてくれる?」
「ええ、もちろんよ」
 そう言って、年の離れた姉妹は再び抱き合っていた。
1996.12.13 22:18(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |

彼女は鳥かごの中 - 4.新しい鳥かご(1)

 披露会の翌々日。その動画を見つけたのはカオリだった。世界的にメジャーなパーソナル・ブロードキャスティング・サービスに投稿されたものだった。
 偶然映っていたのを編集したのだと思う。手前の人物はトリミングされているが、その肩越しにマリエとカザマが話していた。拡大したせいか少し画質が荒い。マリエのドレス姿をろくに褒められないままだったことを今さら思い出す。
 ガーディアンで撮影された映像と違って、カザマの正面からだったため、彼の口元はしっかり映っていた。音声は入っていなかったが、読唇術の心得のある誰かが、カザマのセリフを文字に起こしてコメント欄に書き込んでいた。おおよそヨシカワが推測した通りだった。
 カザマの発言に対して非難する書き込みが並ぶ。
 SOFに詳しい誰かが、倒れる前にマリエが数歩下がったことを「ガーディアンの睡眠ガスがかからないように離れたんだろう」と指摘すると、「ひどいことを言った相手すら気遣うとはまさに聖女」という流れができていた。映っているのが、以前大衆誌に書かれたユート・ミツバを助けた『SOFの聖女』だとばれているらしい。
 マリエの名前は出ていなかったけれど、カザマはかなり詳細に個人が特定されていた。彼は名前と顔を変えるでもしなければ、今後商売ができないのではないだろうか。もしかしたら、エリー・トワダの父親が娘を守るために手を回したのかもしれなかった。
 プライバシー侵害を盾に動画の削除を申請すべきかユートが迷っていた数時間の間に、またもや大衆誌に取り上げられてしまった。
 それはシライ博士が連絡してくれた。『M&Sクラフツ』の商品にも、マリエのパンにも言及されていて、披露会に来ていたのだとわかる。ユートは会わなかったが、博士は記者に挨拶されたそうだ。カザマとの動画を紹介して、「あのような暴言を浴びせられなければ彼女が倒れることはなかっただろう」と書いている。前の記事ほど同情を煽るものでもなく、かなり好意的な内容だった。
 そのおかげか、翌日には、『ミネヤマ』にマリエのパンについて問い合わせが殺到している、とカオリが教えてくれた。
 シライ博士とカオリ、ヨシカワとも相談して、動画も記事も黙認することに決めた。
 マリエが保護施設に無事帰りついたことは、ヨシカワが知らせてくれていた。もう落ち着いていて、以前と変わらずすごしているそうだ。それどころか、さっそくパンづくりで忙しくなっているらしい。
 披露会から二週間後、エリーに『M&Sクラフツ』の商品を説明する機会があった。そのときに、彼女からマリエに面会に行ったことを聞いた。
「すっかりお元気そうでしたわ。わたくし、ガーディアンの下でしかお話していなかったから、あんなに思いきりよく笑う方だって知らなくて、少し驚いてしまいました」
「そうですね、彼女の笑顔はいい」
 ユートがそう言って笑みを浮かべると、エリーは「まあ」と驚きをあらわにした。それから上品に微笑む。今にも「応援していますわ」と言いそうな顔だった。
 マリエに会いたいと思った。
 ずっと一緒にいてくれない人は恋人にはできないと彼女は言った。
 たとえずっと一緒にいることができなくても、ユートはマリエ以外を恋人にするつもりはない。そもそも前提が違うのだ。マリエが恋人になってくれるなら、どんな条件だってクリアしてみせる。
 彼女が絞り出すように言った「好き」という言葉を心に掲げて、ユートは半年以上かけて準備していた。それがもうすぐマリエに話せる段階を迎える。

1996.12.13 22:17(Fri)| カテゴリー:彼女は鳥かごの中 | 個別表示 |
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