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オレンジ宇宙制作室(創作文章ブログ)

金の葉の魔女 - 7.月のない夜(1)

 カールは宿に戻ると、時の魔女を訪ねて隣の部屋の扉をノックした。そして返事を待って開けると、薬臭い煙に襲われた。
「な、何だこれは」
 口を押えるカールに、時の魔女は、
「申し訳ありません、陛下。今、換気しますので」
「ここで陛下はやめろ」
「はい。失礼しました」
 全く心がこもっていない謝罪を受け流し、カールは古いソファに座る。宿の程度は中の上といったところだ。貴族が使うレベルではないから、知っている顔に会うことはないだろうという理由で時の魔女が選んだ。カールは、彼女と二人で城を抜け出してここにいた。
「エヌには会えました?」
 窓を開けた時の魔女は、壁際に立つ。目を眇めてこちらを見ているのが、前髪で隔てていてもわかる。彼女の視線はいつも、自分の背後の別の場所を見ているようで落ち着かない。
「エヌには会えなかった。大魔女の占いも外れるのだな」
「あら、そう……」
 時の魔女は軽く目を瞠った。そういえば、あの金髪の少女――ニナと言ったか――も、カールの見解に驚いていた。
「エヌには会えなかったが、ニナに会った。あなたの弟子だそうだな」
「ええ。そうです。ニナと何か話を?」
「いや、邪魔が入ってしまった」
 ニナはエヌの情報を持っているようだった。それをこれから教えてもらおうというときに、大通りにラルゴの姿が見えたのだ。カールは慌ててその場を後にしてしまった。一人で下町を歩いているなどとラルゴに知られたら怒られるに違いない。
 城下に避難した姉――本当は駆け落ちだとカールは知っていたが――を連れ戻すために、ラルゴは城を出ていた。許可を求めた彼に、宰相のドーアンは「リーン様の帰還の手筈を整えておこう」と快諾して、カールも同意した。しかし、後からドーアンのいないところで、姉を見付けても戻ってこなくて構わないと言ったのだ。それなのに、彼が王都にいるということは、リーンもシイナも城に帰ってくるつもりだろうか。
「姉上には幸せになってほしい。シイナにも、ラルゴにも、だ」
 そう言ったカールに、ラルゴは微笑んで、
「皆、カール様にも幸せになってほしいと思っているんです」
「私? 私は幸せだろう?」
 叔父や母のことはあるし、傷のことも鬱屈ではあるが、政治上は特に大きな問題はなく、即位からの一年半が過ぎた。
 ラルゴは昔のように、カールの頭に大きな手を載せ、ぐるぐると髪をかき混ぜた。
「幸せに上限はありません。もっと望めるんですよ」
 あのときのことを思い出し、カールは髪に手をやる。右目の傷が隠れていることを改めて確認した。
 傷からの連想で、思考がニナに戻る。どういうわけか、彼女はカールの傷を綺麗だと評し、力を持っていると称えた。あの笑顔を見たとき、胸の奥に光が射したような気がした。
「ニナにもう一度会えないだろうか」
 カールは時の魔女に聞いた。
「なぜ?」
 その挑発するような笑顔は、明らかにおもしろがっている。
「ニナはエヌについて何か知っているようだった。彼女の話を聞きたい」
 無難な理由を提示してやると、時の魔女は鷹揚にうなずいた。どちらに主導権があるのかわからない態度だが、カールは気にしていなかった。百年以上生きているらしい大魔女に敬意を払ってもらおうなど、最初から望んでいない。
「わかりました。居場所を占いましょう」
1996.08.07 19:51(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 6.いくつかの再会(4)

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋は、酒の匂いが充満していた。
「なんで、わしがこんな……! くそっ!」
 スグラスは肘掛け椅子に沈み、酒を飲みながら悪態をついた。
 王都の郊外、シャルトムール公爵家の別邸。爵位を息子サクシマに譲って一年は領地に引っ込んでいたが、スグラスはしびれを切らして王都に出てきた。しかし、サクシマによってこの別邸に留め置かれていたのだ。
「父上」
 声を掛けられて顔を上げると、サクシマがいた。
「お前、サクシマ! 何をやっとった! わしをこんなところに押し込めよって! お前もドーアンの手先か?」
「まさか」
 薄く笑うと、サクシマはスグラスの腕を引く。
「父上、お迎えに上がりました」
「あんな辺境の領地になんぞ戻らんぞ! わしを誰だと思っておる!」
「ええ、もちろん。今から行くのは王城です」
「本当に王城か? そう言ってまた別の場所じゃないだろうな」
 スグラスは濁った視線をサクシマに向ける。王城に行くとでも言わなければ動こうとしないのを皆知っていて、以前も騙されて領地に追い返されそうになった。
「王城ですよ。父上、待ちに待ったそのときが来たのです」
「そ、そうか。ついにか! それなら行かねばならんな」
 スグラスは重い体で立ち上がる。一歩踏み出してふらつくと、すかさずサクシマが支えた。
 自分を見下ろす息子の冷ややかな視線に、スグラスは気付かなかった。
1996.08.07 19:50(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 6.いくつかの再会(3)

 その後手近な店で聞いてみたところ、目印の店はすぐに見つかった。ワカバ通りの出口近くの店の一つに牛の絵の看板がかかっていた。教えてくれた人はカウシ亭と呼んでいた。今まで通って来た宿場町のどこにでもあったような、食堂兼酒場の大衆的な店だ。
「占いの店はここだね。王女様御用達って雰囲気じゃないけど」
 結果を確認する緊張をごまかしたのが伝わったのか、ラルゴはニナの背を軽く押した。
「とにかく聞いてみよう」
 準備中の札が下がった扉を開けて中に入ると、カウンターの奥にいた大柄な女が振り返った。
「いらっしゃい。申し訳ないけど、お客さん、開店はまだなのよ」
「ちょっと尋ねたいことがあって来たんだ」
 ラルゴが帽子を取ると、女は小さく息を飲んだ。単純にラルゴの傷に驚いたのか、リーンから何か聞いていたせいで驚いたのか、どちらとも取れた。
 カウンターに向かったラルゴに続こうとしたら、すぐ後ろで扉が開き、ニナは呼び止められた。
「お嬢ちゃん」
「これ、落とさなかったかい?」
 振り返ると、二十代半ばの若い男が二人。そのうちの一人がスカーフのような布をニナに見せた。
「ううん、私のじゃない」
「え、そうかな?」
「もっとよく見てくれ」
 布を持った男はニナにそれを押し付け、もう一人がニナの腕を掴んだ。突然のことで、ニナは逃げそこなった。
「お嬢ちゃん、さっき、王女様って話してただろう?」
「離せ」
 ニナは男を睨む。掴まれたのが右腕だったのは運が良かった。左手でコートのポケットを探り、道中で作っておいた魔法具――木片に魔法陣を刻んだもの――を取り出す。人差し指で血をつけようとした寸前、後ろから現れた別の誰かに、魔法具ごと左手も掴まれた。
 しまったと焦ったのは一瞬で、なじんだ魔法の気配を感じ取って、ニナは今度は違う意味で焦った。
 左手を掴んだ相手は、ニナを抱くようにして、右腕から男の手を外す。
「離してあげてよ」
「いいのか?」
「この子はいいんだ」
 ニナはどうしたらいいのかわからず、手を握られたまま固まっていた。そんなニナの頭の上で、会話が進んでいく。
「知り合いか?」
「妹だよ」
「え? シイナの妹?」
「王子様の妹なら、このお嬢ちゃんも王女様?」
「言われてみりゃ、似てる気もするなぁ」
 さっきまで険悪だった男たちは、ニナを見て、怖がらせてすまなかったな、と笑う。
 彼らに首を振って答えてから、恐る恐る振り返ると、銀髪の青年がいた。薄青色の瞳を細めて微笑む。ニナに顔を近づけると、
「これは秘密にしておいた方がいいよ」
 そう囁いて、軽く人差し指に触れてから手を離した。
「王子様ってのは何なんだ?」
 咎めるような口調とは裏腹に満面の笑みで、ラルゴがシイナの肩を叩いた。
「ラルゴ!」
 店の奥から走ってきた煉瓦色の髪の若い女が、椅子にぶつかって転びそうになるのを、シイナとラルゴが慌てて支える。彼女がリーンなのだろう。
 ニナは、初めての魔法の依頼を完遂できた達成感と、占いが当たった安堵感と、少しの疎外感でもって、彼らの再会に立ち会っていた。
1996.08.07 19:49(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 6.いくつかの再会(2)

 王都グランダールは、商業都市でもある。サヴァ川を通じて河口のエルダー港から外国の荷物が運ばれ、ハールニール街道を通じて国内の産物が集まり、また逆を辿って国内や国外に運ばれていく。
 サヴァ川に作られた河川港であるサンサヴァリー港。その近くの繁華街に宿を取って、ニナとラルゴはさっそくリーンたちを探しに行くことにした。
 宿に着いてすぐ、ニナは部屋で占いをした。いつものやり方でラルゴに協力してもらうと、近かったおかげでかなり具体的な場所がわかった。念のため、シイナにかけた魔法の気配も調べて、こちらも近くだとわかった。
「宿から西で、食材の店が多い市場っていうと、この通りだな」
 ワカバ通りと刻まれた石柱が入口に立っている。道にはみ出して木の台の上に商品を並べていたり、荷車をそのまま使ったような露店があったり、雑多な様子だった。王都までの間に北部の大きな都市も通ってきたけれど、今までニナが見たどこよりも人が多い。
「すごい人……」
 この中からリーンとシイナを探すのかと思うと、ため息が出る。
 圧倒されるニナの手をラルゴが握った。見上げると笑っている。
「迷子になるなよ」
「ならないよ」
 ニナは唇を尖らせる。それで、力が抜けて、ニナは少し笑った。ラルゴの手を握り返すと、
「このあたりにあの人はいると思う」
 リーンは城で病気療養中ということになっているから外では名前を出さないように、と言われたことを守る。
「牛の絵の看板の食堂が目印なんだけど」
 ここから見たのではわからない。
「まずは店を探してみよう。人に聞いた方が早いかもな」
 ラルゴはニナの手を引いて、通りに入っていく。
 威勢のいい売り子の声と、客の話す声。色とりどりの果物。見たことがない形の野菜。怪しげな乾物や香辛料。大きな肉の塊がいくつも吊るされた店先。小さな揚げ菓子を売る屋台もある。
 ニナは同年代の少女に比べたら背が高い方だけれど、やはり大人に囲まれると視界が狭くなってしまう。それでも、あちこちきょろきょろと見回しながら歩いて行った。目印の店やリーンのことを忘れそうになるくらい、物珍しさでいっぱいだった。
 そんなとき、不意に魔力を感じた。
 シイナにかけた魔法ではない。よくわからない大きな魔力だ。
 立ち止まって振り返ったニナは、呆然と瞬きした。
「えっ!」
 景色が全く変わっていた。景色、というのだろうか。真っ暗だった。何もない。
 慌てて前に向き直ったけれど、ラルゴはいなかった。繋いでいたはずの手もない。
 夜よりも暗い。目を開けているのに、何も見えない。
 いや、見えたとしても、ここに何かがあるのだろうか?
 足の下に地面の感触がないのに、体が浮いているわけではない。普通に歩けそうだった。
 閉じ込められているような閉塞感はない。天地左右の全方向に空間が広がっている気がする。
 何の音もしないし、匂いもない。風もない。暑くも寒くもない。
「何もない……」
 つぶやくと、正面から魔力の気配がした。魔物なんだろうか。じっと見つめるうちに、魔力が集まって形になっていくようだった。真っ暗な視界よりも一層濃い闇。
「誰?」
 ニナは声を掛ける。
 すると、今度は急に明るくなった。薔薇色の光はニナ自身から発せられていた。
「エヌ? エヌなの?」
 眩しさを堪えて、振り返ったり見上げたりしたけれど、エヌの姿はない。馴染んだエヌの魔力の気配もないし、アケミの気配もない。
「エヌ、出てきて! エヌっ!」
 ニナは必死で叫んだ。
 変わらずエヌの気配はなかったけれど、光が強まった。
 その光に押されるようにして、闇色の魔力が去っていく。
 ぱあーっと一気に視界が薔薇色に染まった。暖かい光の中、眩しくてニナは目を閉じる。
「エヌ……」
 守ってくれたのだろうか。
 ということは、あの魔力が厄災?
「エヌ、教えてよ。ねぇ……」
 力なく口にした言葉に返事はなかった。
 光がなくなったのを感じて、ニナはゆっくりと目を開く。
 まず目に入ったのは、黒髪の少年。ニナの顔を覗き込んでいた彼は、ニナが気が付くのと同時に飛び退いて離れた。勢いが良すぎて、後ろに積んであった木箱にぶつかる。
「痛っ!」
「え?」
 時の魔女の通信鏡で会った彼だった。あのときと違い、庶民の服装だ。
 彼から注意をそらさずに、横目で辺りを探る。建物の隙間のような、狭い道だ。箱や空瓶が乱雑に置かれていて、大人一人が通るのがやっとだ。ニナは石壁に寄りかかって座っている。道の出口が見えていて、突き当たりはワカバ通りだろうか、大勢行きかっている。人のざわめきも聞こえる。
 体勢を立て直した少年がこちらを見たから、ニナは彼を睨む。
「あんたが私をここに連れてきたの?」
「まさか。ここに私、いや僕が来たとき、あなたはふらふらと歩いていた。声を掛けようとしたら倒れたんだ」
「どういうこと? 時の魔女が何かしたの?」
 彼の長い前髪で隠れた顔は困惑に満ちていた。
「それは僕が聞きたいのだが……」
 ニナは眉をひそめる。
 彼とはきちんと話をした方がいいのではないだろうか。
 ニナが立ち上がろうとすると、少年は手を差し出した。ニナは驚いて彼を見上げる。前髪のせいで表情がよくわからないのだけれど、害意は感じなかった。むしろニナが驚いたのを不思議に思っているようだった。
 ニナは少し迷った末、彼の手を借りて立ち上がる。身体に異常はなく、ふらつくこともなかった。
「どうも」
 短くお礼を言ってすぐに手を離したニナに、彼は心配そうに聞く。
「どこか具合が悪いのか?」
「ううん。そういうんじゃない」
 ニナは改めて彼と向き合った。ニナより少しだけ背が高い、華奢な少年だった。服装は庶民だけれど、綺麗な髪や肌、姿勢の良さなど、違和感がありすぎて、明らかに貴族の子息のお忍びだ。
 彼の長い前髪に、ニナは半ば無意識に手を伸ばす。彼は勢いよく体を引いてそれを避けた。
「何をする!」
「顔が見えないと話しにくい」
「別にいいだろうが」
「傷のこと気にしてるんだったら、それこそ別にいいでしょ。もう私は知ってるんだし」
 ニナがそう言ってもう一度手を伸ばすと、彼は自分で前髪を分けた。右目の傷ができるだけ見えないようにか、左分けだった。現れた黒い目がニナを不機嫌に見る。
「顔が見えればいいんだろう。文句はないな?」
 ニナは大人しく手を引っ込める。
「それで、あんたは、もしかして、時の魔女に言われてここに来たの?」
 いきなり話を始めたニナに少し面食らったように瞬きをして、彼はうなずく。
「ああ。この場所に、魔女エヌが現れるから僕に迎えに行くように、と。僕でなくてはだめだと言っていた。時間も指定された」
「……それは……なんていうか……」
 依頼人なのに、時の魔女にいいように使われている。さすがに少し気の毒だ。
 先ほどの薔薇色の光を『魔女エヌが現れた』と解釈することはできる。そして、それを時の魔女が予測するのも可能かもしれない。しかし、彼女はエヌがこの世にいないことを知っているから、当然、彼が迎えに来てもどうにもならないこともわかっている。
 時の魔女の思惑の中で、彼はどんな役割を与えられているのだろう。
 ニナは同情を込めて、彼に言った。
「魔女エヌは、ここには現れないよ」
「時の魔女の占いが外れたのか?」
 真面目な顔でそう聞かれ、ニナは答えに迷う。彼は、時の魔女が嘘をついたとは考えないのか。
「それはわからないけれど、……時の魔女に確認した方がいい」
「そうか……大魔女でもそんなことがあるのだな。世の中には絶対などということはないから、魔法だってそうなんだろうな」
 魔法に絶対はない。
 ニナは驚いた。
「魔法を信じてないの?」
「いや」
 彼は首を振る。
「絶対うまくいく。必ず成功する。――僕が信じていないのは、そういう考え方だ」
 もはやそれが信念であるかのように宣言して、彼はニナを見た。それはともかく、と簡単に話題を変える。
「あなたはなぜここにいるのだ?」
「人探し」
 ニナは無難に答えた。
「時の魔女とは、どういう関係だ?」
「弟子だよ。時の魔女に聞かなかったの?」
「聞いていない。……ということは、あなたも魔女か?」
「そう。魔女」
 ニナは正面から彼の黒い瞳と視線を合わせる。魔物に名乗るときのように。
「私は、魔女ニナ。……あなたは誰?」
 彼はすっとニナから目を逸らした。
「僕はカールと言う」
「貴族?」
「そんなところだ」
 そっぽを向いて答えるカールに、ニナはため息をつく。
「ああそう。ま、偽名でも何でもいいけど」
「いや! 偽名ではない! こっちが本当の名前だ!」
 カールはばっとニナに顔を向けると、肩を掴んでそう言った。その勢いにニナは身をすくませる。ニナの様子に気付いたカールは慌てて手を離して「すまない」と小声で謝った。ニナはそれには何も返さず、
「こっちが、って?」
「……普段は別の肩書きで呼ばれているんだ」
「ふうん」
 ニナにはよくわからない貴族の決まりだろうと解釈して、ニナは黙った。
 それより、これからどうしたらいいだろう。
 時の魔女は、どうやらカールとニナを会わせたかったようだ。いっそのこと、彼にエヌの話をしてしまった方がいいかもしれない。
「今日は笑わないのだな」
「え、何?」
 小さな声が聞き取れず、ニナは顔を上げる。カールははっとしたように、首を振った。
「何でもない」
 元に戻った前髪をもう一度分けながら、カールは両手で顔を拭った。その様子にニナは少し首を傾げてから、気を取り直して話を切り出す。
「エヌのことだけど」
「あ、ああ。何か知っているのか?」
「うん。エヌは……」
 ニナが話そうとしたところで、カールはニナの後ろを見て、
「まずい。……また今度聞かせてくれ」
 口早に言って、さっと踵を返す。置いてある箱や瓶を器用に避けて、走って行ってしまった。
「ちょっと!」
 呆気にとられてカールを見送っていると、後ろから声を掛けられた。
「ニナ!」
 ラルゴだった。大通りからニナがいる隙間を覗き込んで、ラルゴはほっとしたように息をついた。大柄なラルゴが狭い隙間に苦戦している様子を見て、ニナは彼に駆け寄る。
「急にいなくなるから探したんだぞ!」
「ごめん」
 ラルゴが口を開くより前に、ニナは続けた。
「魔物のせいだと思う」
「魔物?」
 予想外の言葉にラルゴが目を見開いた。
「時の魔女の魔法って可能性もあるけど、たぶん違うと思う。あれは、魔物に引き込まれたんだ」
「どういうことだ?」
 ニナはラルゴに話して聞かせる。
「あれがもしかしたら厄災なのかもしれない」
「厄災……」
 ラルゴは腕組みをする。
「こんなこと言われても困るよね」
 難しい顔をしているラルゴにニナは慌てて言い募る。
「大丈夫。とりあえずはエヌの守護が働いているみたいだし。もしまた同じことがあっても、探さなくていいから。リ、じゃなくて、あの人がいる場所もだいたいわかっただろうから、私がいなくなっても大丈夫でしょ?」
「ニナ」
 ラルゴは、膝をついてニナと視線を合わせると、ニナを抱き寄せた。
「え、あ、あの、どうしたの?」
 戸惑うニナに、ラルゴは、
「怖かっただろう?」
「ううん」
 ニナは深く考えずにそう答えてから、
「そういえば、全然怖くなかった。今思えば不思議だけど」
 やせ我慢にも聞こえない平然としたニナの答えに、ラルゴは身体を離した。
「それなら、いいが」
 二の腕を掴んだ手はそのまま、ラルゴはニナの目を見る。ニナはそれをしっかりと――彼の開かない右目の分も――受け止める。
「俺は、お前を置いて行ったりはしない。また消えることがあったら探すからな。エヌの家の前で約束しただろう? モニエビッケ村から連れ出してやると」
「でも、もうここ、モニエビッケ村じゃないよ」
「まだ途中だ。お前の次の居場所まで送って、それでやっと『連れ出した』だ」
「ラルゴ……」
 今度はニナがラルゴの腕を掴む。胸がいっぱいだったけれど、それは涙にはならずに笑顔になって溢れた。
「ありがとう!」
 ラルゴは苦笑する。
「一か月近くかけて、やっと手なずけた気分だな」
「え、それどういう意味?」
 ニナが手を離して聞くと、ラルゴは何でもないとごまかして、
「とりあえず、ティサトには連絡しておけよ。それから、相手が魔物なら、時の魔女に相談するのはアリか?」
「確かに、そうだね。先生が一番詳しいと思う」
「今すぐ危険な状況になることはないな?」
「うん。エヌの守護があるから大丈夫だと思う」
「それなら、まずは人探しの方からだな。あの方を探して、一緒に城に行こう」
「お城?」
「時の魔女は王城にいるんだ」
 ラルゴがそう言った。振り返った方角に、きっと城があるんだろう。
 そうか、とニナは独りごちた。通信鏡で話したときに時の魔女が言っていたことを思い出す。
「私の目的地……」
 ニナはさっそく通信具を使ってティサトに連絡をした。王都まで来る間に何度かやりとりしたところでは、ティサトも王都に向かっているらしい。ティサトがニナのメッセージを聞き、それに返信するまでには時間差がある。厄災らしき魔物の件と、王城に行って時の魔女に会う予定だということだけを伝えると、通信具をしまった。ついでに、通信具と一緒の紐に下がっている白磁の葉を確認してみたけれど、いつもと変わっていなかった。
「そういえば」
 こちらの作業が片付いたのを見て、ラルゴが口を開いた。
「俺が来る前、誰か一緒にいなかったか?」
「うん。カール」
「カール?」
「時の魔女の依頼人。……もしかして聞いてないの?」
 声を失っているラルゴにニナは心配になって聞く。時の魔女が隠していたことだったら、面倒なことになる。
「いや、依頼人のことは聞いた。しかし、こんなところにいるとは……」
「知ってるなら良かった。……時の魔女に言われてここに来たんだって。あの人、貴族なんでしょ? 従者とか護衛とか誰もいなかったし、大丈夫かな」
「ええっ! お一人で?」
 ラルゴはカールが走って行った先を見る。足を踏み出しかけ、首を振り、「まさか本当に一人ではないだろう」とつぶやく。思い切るように頬を両手でパンっと叩くと、黙って見ていたニナを振り向いた。
「とにかく、まずは人探しだ」
1996.08.07 19:48(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 6.いくつかの再会(1)

 オークルウダルー村を出発してから、二十日後。ニナとラルゴは国の中央を南北に通るハールニール街道を、馬で南下していた。ラルゴの後ろに乗せてもらって、ニナは楽に旅を進めた。
 道中の話題で、ラルゴはモニエビッケ村まで馬に乗って来ていて、その馬は村の代表の家に預けたままだと知って、ニナは申し訳なくなった。ラルゴには貰いすぎだった。いつか返せるだろうか。
 ティサトからは、別れた翌々日に連絡が来た。通信用の魔法具で連絡が取れるようにしたのだ。硬貨くらいの大きさの真鍮の円盤の片面に魔法陣が彫られていて、それを二つに割ったものを互いに持ち合って通信できる。ティサトの手持ちのごく簡単なものだから、通信具に向かって話した声が時間差でもう一方の通信具に届くだけで、時の魔女の通信鏡のように会話ができるものではなかった。それでも、ニナは、「頼りなさい」というティサトの言葉を形にして与えられた気がして、心強かった。紐が通せるようになっていたから、ニナは白磁の葉と一緒の革紐に通して首に下げていた。
 ティサトは、モニエビッケ村のエヌの呪いの件は片付いたから心配しなくていい、と連絡してくれた。
『エヌの家は元の森に戻したわ。エヌの魔法の気配はなくなってしまったけれど、あの森はニナのことが好きだから、いつかまた訪れてあげてね』
 元の森に戻すというのがいまいちわからなかったのだけれど、今度会ったときに教えてもらえばいい。今はまだ、あの悲しい場所に戻りたい気持ちにはなれない。何年か、何十年か経ったら、そう思えるだろうか。
 そうなったらいいとニナは思った。
 アマネの召喚は、オークルウダルー村を出てすぐに行った。あの遺跡からあまり離れないうちの方がいいと思ったのだ。
 ラルゴに待っていてもらって、道から見えないくらい森の中に入り、魔法陣を描いた。
 呼び出されたアマネは、早い再会に少し驚いたようだった。
 ニナがシイナの名前を出すと、
「シイナなら知っている。人質で王城に捕らわれている男だろう」
「捕らわれている? そうなの?」
「何度か呼び出されたことがあるぞ」
 アマネは、ふわりと甘い匂いをまとわせて、ニナの正面に降り立った。
「最後に呼び出されたのは?」
「あれは……二年前か?」
「王城に?」
「そうだな」
 駆け落ちする前のことだろう。
「今はお城にいないみたいなんだけど、どこにいるかわかる?」
「……ちょっと待っていろ」
 そう言って、ニナが返事をする前に、アマネはすうっと消えた。
 そして、数分も経たずに、同じように現れた。
「王都だ。川沿いの下町か? よくわからんが、酒場か飯屋か、そんなところにいたぞ」
 アマネがあっさり言うから、ニナは驚く。
「え? 見てきたの? 今?」
「ああ、そうだが」
「そんな簡単にわかるものなの?」
「まあ、タウダーラーだしな。呼び出されたことがあるから、名前も顔も知っているし、余計に探しやすい」
「そうなんだ……」
 ニナは少し脱力した。自分一人では、だいたいの方角しかわからないのに、魔物の力を借りるとこんなにあっさりわかってしまうのか。アマネとシイナの関係が特殊だからだとしても、だ。
 今まで人探しの占いは、人を鍵にして魔法を使っていたけれど、探す相手が通りそうな場所や関係ありそうな場所の魔物を呼び出して尋ねる方法もあるのかもしれない。そして、おそらくニナにはその方が向いている。これからは、エヌのやり方をそのまま真似するんじゃなくて、自分に合ったやり方を模索する必要があるのだ。
「ん? どうした?」
 下を向きかけたニナの顔を、近寄ってきたアマネが見上げ、頬を叩く。その冷たい指先はニナを案じていた。
 ニナは気持ちを入れ替えて、アマネに笑顔を返した。全部これからだ。気付いたのなら努力していけばいい。
「ううん。どうもありがとう!」
 アマネは笑みを浮かべると、
「またな」
 短く言って、消えた。
 ラルゴのところに戻ったニナは、アマネから聞いたことを伝え、王都を目指すことになった。
 その王都も、もうすぐだ。道の先に石造りの大門、さらに先に建物も見えてきた。
「あれが北の大門?」
 ニナは落ち着かず、後ろのラルゴを振り返る。ニナを抱えるようにして手綱を操るラルゴは、苦笑してうなずいた。
1996.08.07 19:47(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 5.白磁の葉(4)

 エヌの家の焼け跡に、真っ黒に焦げた三本の柱が残るのを見て、ティサトは大きく息を吐いた。
「来てみて良かった……本当に……」
 エヌの手紙の真意がわかった気がした。
 焼け跡の周りは木がないため、森の中より雪が溶けるのが早く、土が乾いてきているところすらあった。しかし、家の土台がどれだけ残っているのかもよくわからないし、直接地面に魔法陣を描くのは無理だろう。
 ティサトは、苦労してここまで連れてきた馬から荷物を下ろすと、白い布とそれより一回り大きい厚手の革を取り出す。白い布はニナに魔法をかけたときに使ったものと同じだけれど、こちらにはまだ何も描かれていなかった。用意してくることも考えたけれど、実際に見てからの方がいいだろうと思ったのだ。
 エヌの家には大きな柱は四本あった。そのうち焼け落ちてしまった一本のあった場所に、ティサトは革を敷き、その上に布を載せた。これで布が濡れずに済むし、革に厚みがあるから地面がでこぼこしていてもなんとかなる。
 ここは依然として魔女エヌのテリトリーだった。家は焼けてしまって焦げ臭い匂いがかすかに漂っているのに、エヌの魔法の気配はそれよりもずっと濃く残っている。エヌが自分とニナのために施した様々な魔法、――薬草がよく育つようにとか、洗濯物に日が当たるようにとか、そういう生活のための魔法が、まだ生きている。森は今でもエヌを覚えていた。彼女が戻ってくるのを待っているようだ。
「エヌがいないなんて嘘みたい」
 ティサトは思わずつぶやく。
 エヌの魔法とぶつからないように、ティサトは注意して魔法陣を描く。今回は、エヌから託されているわけだからそれほど心配していない。それに、これはティサトにも関わりがある魔法だった。
 ここに家を建てたのは、ニナが生まれて一年経つか経たないかだった。人を雇って建ててもらったけれど、柱だけは魔法で作った。それにティサトも協力していた。
 エヌと知り合ったのは十代前半のころだ。エヌは育ての親で師匠だった時の魔女のところを出て、ティサトの祖母のところに修行しに来た。そして、そのときティサトも祖母のところで修業していたのだ。ティサトの方が年上だし魔女修行も長かったが、当時からエヌの方が魔法の知識は深かった。ただ、気軽に依頼人が訪れる町の薬屋のような祖母のやり方は、研究ばかりしている時の魔女と違っておもしろかったようだった。
 祖母のところで二年修行してエヌは出て行った。何年か経って、王都で店を開いたと手紙が来て、一度だけ遊びに行った。しかし、エヌは一年で店を閉めてしまった。王子たちとの噂でやりにくくなったのか、ティサトはその噂の真相をエヌに尋ねたけれど、エヌはひどく不機嫌に「言いたくない」とだけ答えて、姿を消してしまった。こちらから連絡しようにも伝手がなく、そのまま七年ほど経ったある日、エヌは突然ティサトの前に現れた。
「お願い、助けて」
 エヌがそんなことを言うなんて信じられない。何事かと思ったティサトの前に、魔物の男が空中に浮いて現れた。
「子どもができたんだとさ」
 ティサトがアケミに会ったのは初めてで、その存在にも驚いたけれど、言われた内容にはそれ以上に驚いた。
「エヌが妊娠? あなた、結婚したの? いつ? 誰と?」
「してない」
「えっ、それじゃ、誰の子どもなの?」
 重ねて聞くと、エヌはティサトを睨む。
「私の子どもよ」
 言いたくないのだろう。せっかく会えたのに、また音信不通になられても困ると思って、ティサトは質問を飲み込んだ。
「……ええ。わかったわ、あなたの子どもね。もう聞かないわよ。……それで、どうしたの?」
「気持ち悪い……死にそう……」
「ああ、つわり?」
「わからないから、助けてって言ってるの」
 苛ついた口調も力なく、倒れそうになるのをアケミが支えて、何とかベッドに寝かせた。薬を調合して飲ませると、落ち着いたエヌは、
「子どもを産むのがこんなに大変だったなんて……」
「当たり前でしょう」
「もっと他の交換条件にすれば良かった」
 不穏なことをつぶやくから、生まれた子どもが半分魔物だったらどうしようかとティサトは心配した。エヌは出産までティサトの家で過ごすことになり、召喚魔法もないのに頻繁に現れるアケミがもしかして父親なんじゃないかと疑ったりもした。しかし、ティサトの心配をよそに、生まれた子どもは人間の女の子だった。普通と違うのは爪に赤いしるしがあったことだった。
「魔女ね」
 生まれたばかりのわが子を魂が抜けたような顔で見ていたエヌに、ティサトがそう言うと、エヌは初めて爪を見た。指摘されるまで彼女がそれを確認しなかったことに、ティサトは少し驚いて、少し安心した。
「金の葉だな」
 子どもの額に触れ、アケミが言った。
「ニナ」
 エヌがそう呼んだ。見たこともないくらい優しげに微笑んだエヌが、今までで一番、神々しいほどに美しかった。
 その笑顔を思い出しながら、ティサトは魔法陣を描き終えた。
 できるだけエヌと繋がりができるようにと思って、修行時代に彼女とお揃いで作った麻紐の腕輪を巻く。持ってきた全てのアクセサリーを身に着け、毛皮の襟巻には大きなアメジストのブローチを飾った。仕上げに、瞼と唇の色を塗り直す。
 準備が整ったところで、ふと他人の気配を感じた。魔女や魔物ではなく、普通の人間だ。ティサトは相手を驚かさないようにゆっくりと振り返る。にっこりと微笑んだ。
「モニエビッケ村の方ですか?」
 そう声を掛けると、木の後ろから男が二人現れた。猟師か樵かわからないけれど屈強そうな若者と、彼を従えるようにした五十代くらいの男。
「あなたが村の代表?」
 ティサトがそう尋ねると、男は固い表情でうなずいた。
「私は、魔女ティサト。魔女エヌの魔法を終わらせるために来ました」
 魔女と聞いて、若者が代表を守るように一歩前に出た。警戒する視線を向けられ、ティサトは苦笑する。今までの、エヌの村への態度が知れる。同時に、エヌがいなくなってからのニナの大変さも思いやられて、胸が痛んだ。
「どういうことか、説明してもらえるか?」
 若者の肩を押しのけて、代表はティサトの前に出た。ティサトは微笑んだ。
「ええ、もちろん」
 エヌができないのはこういうことで、ティサトが得意なのはこういうことだ。
「魔女エヌは、私に魔法の引き継ぎを頼んできました。私がここの魔法を引き継いで終わらせれば、あなた方へのエヌの交換条件は無効になります」
「それは、魔女の娘のことか?」
「ええ。ニナは私が引き取ります」
 それは時の魔女の思惑にも絡んでいるし、ニナの希望もあるから、ティサトの一存では決められないことだったけれど、ティサトは断言した。――エヌがニナを託したのはティサトだと、ここに来たときに感じたから。
「あの娘は……」
 代表は言いよどんだ。
「居場所は知っていますので、ご心配なく」
「無事なのか!」
「はい」
 村の男は二人ともほっとしたようだった。エヌの呪いを心配してのものか、ニナ自身を想ってのことなのかわからないけれど、後者ならいいとティサトは思った。
「これから、ここで魔法を使います。良かったら見ていてくださいな」
「いいのか? 魔女エヌは魔法を使うときは私たちを追い出したものだが」
 エヌならそうだろう。目に見えるようで、ティサトはくすくすと笑う。
「まあ、魔女にもいろいろいるんです」
 ティサトは、二人を家の敷地から出して、拾った枝で地面に線を引き、何があってもここから前に出ないように言い含める。
 それから、魔法陣の前に立った。左手を翳し、人差し指に意識を集める。薄墨色の髪がさらりと揺れ、瞼の青が光る。爪のしるしから血が一滴落ちた。
 エヌの家を建てる前、ここには大きな杉の木が三本あった。その三本と周囲の木々の魔力を集めて平均化して、四本の柱に仕立てた。焼け残った三本の柱は木を核にしているけれど、四本目の柱は完全に魔法の産物だった。エヌは家を焼くときに、自分が担った魔法を解除していった。だから今残っている三本は、一度は焼け落ちたのがエヌの魔法で途中まで復活した状態だった。後は、ティサトが解除すれば元に戻るのだ。
 最初にここに来たときのことを思い出す。
 一見何もないのに、エヌは賑やかだと言った。ニナは楽しそうに笑っていた。それを見て、「ここの魔物はニナをあやすのがうまい」とアケミが言った。三本の杉の木は、目立って大きく立派だった。それぞれに魔物がいたかもしれない。
 柱を仕立てたときは、ちょうど夕方だった。エヌが大きな魔法を使うときはたいていそうだ。
 今と同じ。そうなるように、ティサトは時間を考えてここまで来た。
 顔を上げると木々の向こうに夕日が見える。それが当たった三本の柱は黒く輝く。
 魔法陣に描いたエヌとアケミの模様を順に見る。ティサトは魔法陣を朱色の絵の具で描いた。それが光を放ち、ふわりと布が浮く。とてもささやかな夕日だ。
「魔女エヌの代理人、メグレト家の魔女ティサトの名をもって、三本の木を森に返却いたします。森に宿る魔の皆様、魔女エヌはもうここには帰りません。これからは、常にあなた方と共にあります。この場を守る必要はもうありません。どうぞ、エヌに出会う前の姿に戻られますよう」
 そう言うと、魔法陣の光は、うっすらと金色を帯びた明るいものに変わる。ニナの髪の色だ。
 この森はニナが好きなのだ。
「ニナは大丈夫です。いつかここに帰ることがあったら、そのときはまた守ってあげてください」
 了承するように、光は強く輝き、辺りを包む。ティサトは目を閉じた。両足に力を込めて、踏ん張った。大きな魔力が動く気配がする。
 一秒もなかったと思う。のしかかるような空気の重さが唐突に消え、ティサトは脱力する。見学者がいることを思い出し、なんとか座り込まずに耐え、目を開けた。
 魔法陣の光は消え、布は革の上に戻っていた。その下に柱の土台はもうない。
 焼け跡は消えていた。森との境目はなく、同じように木が生えている。ただ、一帯だけ草が茂っていて、それが敷地の様子を残していた。
 焦げた柱は三本の杉の巨木に変わっていた。――戻っていた、というべきか。
 ティサトは一番近くの一本に触れる。ざわりと鳥肌が立った。魔力が戻っている。見上げると、天辺の方は夕日で輝いていて、風もないのにさわさわと揺れていた。
 満足のいく結果に、ティサトは微笑み、魔法陣の布を拾う。
 それから、モニエビッケ村の男たちを振り返ると、彼らはぽかんと口を開けて、腰を抜かしていた。
1996.08.07 19:46(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 5.白磁の葉(3)

 ティサトは朝早くまだ暗いうちに、宿を出発して行った。「寝ていていいから」と言うティサトを無視して、ニナとラルゴは外まで見送りに出た。
 時の魔女と会ったときに何か取引したのか、ティサトとラルゴはそれぞれ一頭ずつ馬を手に入れていた。ティサトが馬に乗れるなんてニナは初めて知ったけれど、彼女は危なげなく操って、見る間に行ってしまった。
 ティサトを見送ってから、ニナはもう一度リーンの居場所を占うことにした。
 ティサトと一緒に泊まった部屋にラルゴと入ると、彼をベッドの一つに座らせ、その足元の床に直接チョークで魔法陣を描いた。何か言いたいことがありそうな顔のラルゴに、「後で綺麗に拭くから」と言い訳すると、彼は肩をすくめた。
 人探しの占いの魔法陣は二度目だけれど、エヌの森で描いたものより複雑になった。エヌがニナの守護をしているならいいだろう、とエヌとアケミの模様を加えたり、アマネの模様も織り込んだからだ。
 そういえば、オークルウダルー村に着いたときに、ラルゴのことを教えてほしいと頼んだ後の返事をもらっていない。リーンのことも知らないままだった。
 ニナは、魔法陣を挟んで、ラルゴの正面に立つ。
 左手を魔法陣の上に翳すと、ラルゴは何も言わずに人差し指を掴んだ。
「リーン様のことを思い浮かべていて」
 ラルゴの目を見る。押された指先から、血が一滴落ちて、魔法陣が光る。一陣の風が起こり、ベッドのシーツがばさりと音を立てた。ニナは室内で魔法を使った経験があまりない。何か壊してしまわないか少し心配になった。
「リーン様は貴族なの?」
 光る魔法陣に目を向けていたラルゴは、ニナが聞くと顔を上げた。
「王姉殿下だ」
「……王様のお姉さん?」
 ニナは少しだけ驚いたけれど、すぐに納得した。
「今はお城にいないんだ? 行方不明? どうして?」
「駆け落ちした」
 ラルゴが答えた瞬間、魔法陣の光が強まる。
 引かれるように、ニナの意識が向く。
 ニナの魔法の気配がする。南? 南東かもしれない。
 リーンではない。違う。駆け落ち相手だ。
 かすかにアマネの花の匂い。
「あ」
 ニナが小さく声を上げると、魔法が途切れた。魔法陣の光は消え、チョークの線に戻っている。血の跡はない。
 占いで感じた結果に、ニナは呆然とする。
 エヌの采配だろうか。どこまで繋がっているんだろう。
 ニナの魔法の気配をまとった人で、アマネに関わりのある人。――そんな人は一人しか知らない。
 息を詰めてニナを見ているラルゴに、
「リーン様はタウダーラーの人と駆け落ちした?」
「そうだ。……すごいな。占いでわかったのか」
「ううん。半分は占いだけど、半分は違う」
 感心するラルゴに、ニナは首を振った。もう片方のベッドに腰掛けて、
「おととしの夏、エヌのところにタウダーラーの人が来た。翼を消してほしいって依頼だったんだけど、その魔法を私も手伝ったんだ。今占ったとき、その魔法の気配がした。リーン様は駆け落ちしたって言ったとき、ラルゴは相手のことを思い浮かべたでしょ?」
 ラルゴはうなずく。
「シイナだ」
 そう。そういう名前だった。――ニナの異母兄。
「ああ! あの匂い、シイナだ!」
 ニナが思いに沈む前に、ラルゴが声を上げた。
「ほら、夕べの、お前が森から出てきたときにつけてた匂い。今思い出したんだが、シイナがときどきつけていた匂いに似ていたんだ。香水かと思ってたんだが、魔法の名残だったのか」
 あいつ魔法が使えたんだな、と、ラルゴは一人で納得している。
 それはアマネを呼び出していたのかもしれない。
 もしかして、アマネに聞けばシイナの居場所がわかるのではないか。そうでなくても、何か情報が得られるかもしれない。
 シイナの居場所がわかれば、リーンの居場所もわかる。
 アマネを呼び出すなら、外の方がいい。宿の部屋では相応しくない。
「とりあえず方角は南か、南東かな」
「南東か……」
 ラルゴは地図を取り出す。
 サントランド王国は、四角形の真ん中を西から少し押して歪ませたような形をしている。北が山地、東が山脈、南が大河で、西が海に囲まれていた。東の山脈から、国の真ん中あたりを通ってサヴァ川が海まで流れている。河口には国一番の大きさのエルダー港。国を南北に走るハールニール街道と、サヴァ川がぶつかるところが王都グランダール。
 オークルウダルー村は、大雑把に見ると国の北西の角にあるから、南東というと、対角線上を辿ることになる。
 地図を指でなぞって、ニナは一番大きく書かれた地名で止まる。
「王都も南東だけど、お城から駆け落ちしたのに王都にいると思う?」
 ラルゴは少し考えてから、
「いるかもしれん。王都は人が多いし、仕事もある。それに、リーン様は陛下を心配されているだろうから、近くにいる可能性はある」
「へー。じゃあ、王都で占ってもらった方が早かったかもね」
 軽く言ってから、ふと気付く。
「なんで、わざわざエヌのところに来たの?」
「そうだ。それだ」
 ラルゴも今思い出したように、
「駆け落ちした後、リーン様から一度だけ手紙が来て、居場所は教えられないから必要なときは魔女エヌの占いで探してほしい、と。……その手紙が出された場所は、モニエビッケ村だった」
 ニナは首を傾げる。
「手紙を出したのはリーン様なの?」
「シイナと一緒に来なかったのか?」
「うん。……あ、違う、わかんない。来たのかもしれないけど、私は会ってない。エヌが依頼人と話すときは、私はいつも席を外すから」
 ニナは考えて言い直す。
 シイナがエヌの家を訪ねてきたとき、ニナもその場にいた。
 白い翼を持った青年は、銀色の髪に薄青色の瞳をしていた。森の中から不意に現れたから、一瞬ニナは魔物かと思った。伝説のタウダーラーだとわかって、魔物に会ったとき以上に驚いた。
「久しぶりね。何年ぶりかしら。成長したわね」
 エヌがそう挨拶したから、ニナはまた仰天した。タウダーラーと面識があるなんて知らなかった。
「あの約束はまだ有効でしょうか」
 少し緊張した面持ちで彼はエヌに聞いた。
「当たり前でしょう」
 そして、エヌはニナを見た。
「二時間したら戻ってきなさい。あんたにも手伝ってもらうわ」
 うなずいて、森に入ろうとするニナに、シイナは軽く会釈した。ニナは挨拶しようとしたけれど、ふわりと浮いて現れたアケミに急かされ、気を取られているうちに彼はもう家の中に入ってしまっていた。
 二時間後に戻ったニナは、エヌを手伝って、彼の翼を消す魔法をかけた。魔力を翼の形から別の形――背中一面を覆うくらい大きな血の色の痣――に変えた。
 そのとき、ニナには、シイナは普通の依頼人としか見えなかった。エヌも特に変わった態度は取らなかった。
 エヌは、どういう経緯でニナが生まれることになったのか一切教えてくれなかった。ニナも熱心に尋ねたりはしなかったのだけど、それを今になって後悔していた。知りたくなったらまた聞けばいいと思っていて、それができなくなるなんて考えもしなかった。
 シイナとニナ。わざと似た名前を付けたらしい。
 血が近い方が魔法が強固になるから。ニナに手伝わせた理由をエヌはそう説明した。そのおかげで彼を占いやすくなった。
 やはりエヌが何か仕組んでいるんだろうか。
「ラルゴにリーン様が出した手紙は、エヌの指示かな。――ティサト宛てのエヌの手紙みたいに」
「どうだろう。俺がリーン様をいつ探しに来るかを、エヌが予測できたとは思えん。シイナかリーン様が考えた、手紙が他人の手に渡る可能性を考えての安全策じゃないか? 俺の面相をエヌに教えておいて、俺以外には占わないでくれと頼んでおいたとか」
 ラルゴは、額から右目にかけての傷を指差す。
 それはありそうだ、とニナはうなずいた。
「それじゃ、どうして今になって探しに来たの?」
「うーん、そうだなぁ。……まず、陛下の政敵がほとんどいなくなって、リーン様の危険が減ったこと。それから、まぁこれは俺の考えなんだが……陛下のためにも、リーン様に戻っていただいた方がいいんじゃないかって」
 ニナがあまり理解していないのを見て取ったのか、ラルゴは苦笑した。
「俺は、近衛第一隊所属……陛下の護衛なんだ」
「でも、リーン様が主人なんでしょ」
「そうだ。ずっとリーン様の護衛だった」
 ラルゴは目を伏せる。その様子に、「ずっと」という時間の重さが見える。
「ラルゴも、リーン様に帰ってきてほしいんだね」
 ニナが言うと、ラルゴは破顔した。
「ははは。そうだな。帰ってきてほしい。幸せで暮らしているならそれだけでいいと思っているが、できれば目の届くところにいていただきたい。シイナだってそうだ。二人の幸せを、俺に守らせてほしい」
「駆け落ちってことは、お城に戻ったら引き離されちゃうんじゃない?」
 心配になって聞くと、ラルゴは首を振った。
「いいや、大丈夫だ。表だって結婚はできないが、引き離されはしないだろう。……それに、シイナの翼を消した魔法の持続性はどのくらいなんだ?」
「本人が翼を使おうとしたり、解除魔法をかけられたりしなければ、……五年は余裕だと思う」
「じゃあ、五年経ったらまたかけてやってくれ。翼があるとタウダーラーだとわかってしまうから表舞台に出られないが、翼がないならどうにでもなる。適当な経歴を作って、リーン様と正式に結婚することも不可能じゃない」
「そうなんだ? それなら良かった」
 気付くと、外はもうすっかり明るくなっていた。他の宿泊客がドアを開け閉めする音が頻繁に聞こえる。
「朝飯を食べたら、出発するか」
 ラルゴはそう言って立ち上がる。その足元を見て、ニナは魔法陣がそのままだったのを思い出した。それから、もう一つ。
「村を出たら、もう一度魔法を使いたいんだ。召喚魔法なんだけど……」
「ああ、人目につかない場所でか? わかった、考えておく」
 ラルゴはアケミを呼び出したときのことを覚えていてくれたのか、詳しいことを聞かずに察してくれた。
1996.08.07 19:45(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 5.白磁の葉(2)

 夜も遅くなってから、ニナはやっとオークルウダルー村の宿に戻って来れた。アマネの言った通り、遺跡から村までオレンジ色の花で道が出来ていた。助かったには助かったけれど、地形を考えずにひたすら真っ直ぐに村を目指してくれたようで、ニナはへとへとだった。
 宿の一階は普通の食堂として営業していて、中に入るとティサトとラルゴが待っていた。
「ニナっ!」
 駆け寄って来たティサトに抱きしめられ、ニナは面食らう。
「どこまで行ってたの? 心配したんだから」
「え?」
「追いかけて、あの屋敷まで行ったのに、ニナったらいないんだもの」
「あそこに行ったの? どうして? 私、ちゃんと戻ってくるつもりだったのに」
 ニナがそう言うと、ティサトはニナを体から離した。なんだか難しい顔をしている。
「とにかく座ったらどうだ? 寒いだろう。何か食べるか?」
 ラルゴが横から言い、ニナはとまどいながらもうなずいた。朝食べてから何も食べていない。思い出すと途端に腹が鳴った。
 ラルゴは笑って、一度ニナの肩を叩いてから、奥のカウンターに注文に行ってくれた。
 ティサトはニナの手を引いて椅子に座らせてから、隣に自分も座る。ニナの手を包み、温めるようにさする。
「ニナがいろいろ一人で出来るのは知ってるわ。でもね、私たちだってニナのためにいろいろしてあげられるのよ。連れ去られたってわかったら、探して助けに行くわよ。だから、ちょっとは信じて、私たちを頼りなさい。心配させないで」
 いつも綺麗に塗られているティサトの瞼の色が少し落ちかけている。しかし、真剣な瞳はニナの目を捕らえて離さない。
 ティサトに気おされたニナは、
「でも、エヌはいつも全然、そんなの……」
「エヌだって心配してたわよ。アケミをニナの側にやって、何かあればいつでもわかるようにしてたから、気にしてないふりが出来ただけよ」
「え……?」
 ニナは動揺した。そんなこと考えたこともなかった。
「私たちに相談しないまま、一人でどこかに行ったりしないで」
 ――エヌみたいに。
 ティサトが言わなかったことがニナにはわかる。
「いいわね?」
 ぎゅっと力を込めて手を握られ、念を押される。
「うん」
 ニナは素直にうなずいた。
「ごめんなさい」
 謝ると、後ろからラルゴの手が頭に伸びる。
「違うだろう? こういうときは」
 大きな手で頭を掴まれ、ニナは首をすくめた。
「ありがとう」
 ラルゴは笑って手を離し、ティサトはもう一度ニナを抱きしめた。
「本当にね、心配したのよ。時の魔女が探さなくていいって言わなかったら、森の中まで追いかけてたわ」
 ティサトがしみじみ言う。
「先生に会ったの?」
「通信鏡でね。エヌじゃないってわかったから帰してくれるって言ってたんでしょ? どうして大人しく待ってなかったの?」
「だって……。あのサクシマっていう男の人にも会った? あの人、なんか胡散臭いんだもん」
 ニナが言い訳すると、ティサトとラルゴは吹き出した。そして、二人とも否定の言葉は言わない。
 そこで料理が運ばれてきた。
 野菜がいっぱい入ったシチューとパン。それは三人分あった。
「食べないで待っててくれたの? ごめんなさい」
「心配で食べてる場合じゃなかったのよ」
「ごめんなさい」
「いいから、さっさと食べろ。まともな料理は久しぶりだろ」
 そう言うラルゴにうなずく。モニエビッケ村を出てから、ラルゴの持っていた保存食しか食べていない。
 そこで、こうやって誰かと食卓を囲むのは、エヌが亡くなって以来だと気付いた。エヌがいなくなってからは、食材だけは村の代表が定期的に持って来てくれていたけれど、ニナはそれを一人で料理して一人で食べていた。
 少し泣きそうになって、ニナは下を向いてシチューをかき混ぜるふりをしてごまかす。
「森を通って来たんだけど、途中で迷っちゃって……」
 ニナが言い訳すると、ティサトはニナの髪に顔を寄せた。
「そういえば、あなた、何か甘い匂いがするわね」
「ああ、確かに」
「えっと……迷ったときに魔法を使ったら、花が咲いて……その匂いだと思う」
 アマネのことは、ニナの父親に繋がるから、秘密にしておいたほうがいいかもしれない。ニナは適当にごまかした。
 アマネの道案内の花は、逆に辿れば村から遺跡に行けてしまうのでは、と心配になったのだけど、村に着いてから振り返ったら跡形もなく消えていた。それどころかニナが歩いてきた足跡も消えていた。――徹底している。だから、遺跡の話もできない。
「エヌも言っていたけど、ニナは、自然の中の魔物と相性がいいのね」
 ティサトが感心したように言うと、ラルゴはなぜか首をひねっていた。
「花が咲くのは、魔法を使うときにはよくあるのか?」
「私は初めてだったけど……」
 ニナが言ってティサトを見ると、彼女は後を続けてくれた。
「そうねぇ。そもそも、花が咲いているときに魔法を使うことの方が多いから、よくあるって言ってしまっていいかどうかわからないけれど……、魔法を使ったときに花が咲くのは不思議じゃないわ」
「そうか……」
 腕を組んで考え込むラルゴに、ニナは聞く。
「どうかしたの?」
「いや、前に嗅いだ事がある気がするんだが……何の匂いだったかな。……魔法で咲いたって、どんな花だったんだ?」
「オレンジ色の小さい花。草じゃなくて木の花なんだけど……」
 葉が白かったとは言わずにおく。
「うーん、やっぱりわからん。……悪かったな、気にしないでくれ」
 そう言われてしまうと、ニナに言えることはなかった。
 今度はニナがティサトに聞く。
「そういえば、先生、何か言ってた? どうしてエヌを探してるか、とか」
 ティサトとラルゴは顔を見合わせた。そして、ティサトが口を開く。
「教えてもらったんだけど、ニナには言わないようにって口止めされたの」
「えー!」
「悪いけど、私も先生の恨みは買いたくないから。ごめんね」
「すまんな」
 ティサトとラルゴを順に見て、ニナはため息をついた。
「わかった。時の魔女が相手なら仕方ないよね」
 ティサトが顔をしかめる。
「先生、楽しそうだったわ」
「それ聞きたくない」
 時の魔女が楽しんでやることなんて、碌なことじゃない。
 何を考えてるんだろう。
 ニナの目的地にいるって言っていたけれど、当面の目的地は、リーンのいる場所だ。時の魔女の居場所を占ったらリーンに行きつくだろうか。そう単純なことではないのか。
「私は、明日、モニエビッケ村に向けて発つわ」
 ティサトの言葉に、ニナは食事の手を止める。
「え? どうして?」
「エヌの手紙にあった『私の最後の魔法をあなたに』――エヌの家に行って確かめてみようと思うの」
 静かに決意を秘めた声で、ティサトは言った。
1996.08.07 19:44(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 5.白磁の葉(1)

 時の魔女との通信が切れてすぐ、ニナは窓から逃げた。帰すようにと黒髪の少年が指示していたけれど、あの青年――サクシマだろうか――が従うのか不安だった。
 幸い、部屋は一階だったし、窓の開口部も意外と狭くなかったから、簡単だった。コートがなかったから、少し迷って、ソファの背に掛けられていた織物を失敬した。時の魔女にはおそらく会うことになるから、彼女に返してもらえばいいだろう。
 窓は庭に面していた。枝を綺麗に整えた木や、今は冬だから花はないが、薔薇のアーチや花壇が作られ、散策できる小道が巡っている。庭の向こうは木々が生い茂っていて、森のようだった。
 ニナは姿勢を低くして、建物から離れた。
 木の影に入り振り返ると、出てきた建物はかなり大きな屋敷だった。領主の館か、貴族の別荘か。ニナがいる庭の反対側が正面玄関のようで、なんだか騒がしい。オークルウダルー村の物見の塔らしきものが遠くに見える。
 ニナは庭を突っ切って森に入り、屋敷の敷地を迂回して、塔を目印に進むことにした。
「また森か……」
 せっかくモニエビッケ村の森を出てきたのに……と、ニナはため息をつく。
 森は嫌いではないのだけれど、できればもっと、今までとは違う景色を見たい。
 この森は、エヌの家の周りよりは落葉樹が多いせいか、多少は明るく感じられた。しかし、ぱっと見たところ、知っている草木がほとんどだ。もし薬草を見付けたら採っておこう。自分で使わなくても、売れば旅費が稼げるかもしれない。
 早くも日は傾きかけていたが、ニナはあまり気にせず、どんどん森を進んでいった。

 一時間も歩いただろうか。途中に崖があって降りられるところを探していたら、思ったよりも森の奥に入ってしまった。段差が自分の背丈くらいになった場所でぶら下がるようにして飛び降り、ニナは座り込んで休む。
「さっさと魔法使って降りれば良かった……」
 ちょうど崖の上に薬草が生えていて、それを採るのに夢中になっていたというのもある。
「でも、おかげで旅費ができそう」
 木から蔓性の植物を引きはがし、それを使って束にして腰に吊るす。
 森に入ってしまうと木が邪魔をして、オークルウダルー村の塔は見えなくなった。今はまだ太陽があるからだいたいの方角がわかる。日が沈むまでどれくらいだろう。最悪の場合、このまま森で野宿しなくてはならないかもしれない。
 とりあえず、行けるところまで行こうと決め、ニナは歩き出す。
 違和感に気付いたのはその少し先だった。
 ごつごつとした大きい岩とアカマツが並んでいた。その間を通ったとき、蜘蛛の糸を手で切ったような、軽い手応えがした。
 注意して見れば、その岩とアカマツはとても綺麗に配置されていた。誰かがそうしたのだ。
 すっと空気が変わり、あっという間に霧が出てくる。けれども、それほど濃くはないため、近くの景色はよく見えた。
「遺跡……?」
 そこには、今まではなかったものがあった。
 切り出した石でできた舞台。その四隅に同じく石の柱が立っている。柱は崩れかけていて、舞台の上にも割れた石が山になっている。元々は屋根だったのかもしれない。
 ニナは一歩踏み出す。感触の違いに驚き、足元を見たら、地面も石敷きだった。
 森の中は、木肌も地面もあちこち苔だらけで、ところどころに雪が残っていた。しかし、この空間は壊れてはいるものの苔は生えていないし、石も乾いている。気温は、春か秋のようで、とにかく冬のものではない。
 ここだけ時間が止まっているのでは、とニナは思った。
 見える範囲に生えている植物は一本の木だけだった。
 しかし、正しい『植物』なのかどうか。
 ゆっくりと近づいたニナは呆然とつぶやいた。
「葉が白い……」
 石舞台のちょうど正面。一段高く作ってあり、いかにも特別な木だとわかる。建物や広場の規模にはそぐわない小ささで、ニナの背丈より少し高いくらい。根元から段々と枝分かれして、幹の太さの割に樹冠が大きかった。
 そして、不思議なことに、茂っている葉はどれも真っ白だった。
 石でできているようには見えない。枯れているわけでもない。同じ白でも、薔薇や百合の花弁とは違う。確かに葉だ。
 ニナはそっと左手を伸ばして葉に触れた。
「あ!」
 葉が一瞬きらりと光った。
 そして、胸元が温かい。
 ニナは自分の馬鹿さに呆れる。
 隠されていた遺跡にある白い葉を持つ木。これに魔力がないわけがない。
 それから、エヌの家の焼け跡から出てきた磁器のかけら。葉か羽のような細長い形と、この葉の形はとても似ている。そして、どちらも白い。
 きっと繋がっている。
 首にかけていた紐をひっぱって服の中から出すと、磁器のかけらは熱を発していた。ニナはそれを一度、両手で握りしめた。
「エヌ……お願い、教えて。ここに何があるの?」
 ニナは、こんなときのためにいつも持っているチョークを、ズボンのポケットから取り出し、敷石に魔法陣を描く。
 場所は、舞台と木との間にした。ニナとエヌの模様を織り込んだ、魔物を召喚する魔法陣。相手がわからないから汎用的なものだ。それに、石と木と白と葉……と目についた要素を記号化して加える。
 魔法陣の真ん中に立つと、右手で磁器のかけらを掴んだ。ニナを勇気づけるように、温かい。
 霧が濃くなり、ニナと木だけを囲むように視界が狭まる。
 ニナは木を真っ直ぐ見つめた。左手をかざして、木を指差す。自分から木まで繋がる線を想像する。場のせいか、これだけで、空気が重くなった。
 ニナの指先から、血が一滴落ちた。そこから一陣の風が巻き上がり、魔法陣が光を帯びる。反応がありすぎて、少し怖い。
 突然、甘い匂いが辺りを包み込む。息ができないほどだ。
 その匂いは、木に咲いたオレンジ色の花のせいだった。ひとつひとつはとても小さいけれど、塊になって、枝を覆うほどに咲いている。今や木は白ではなくオレンジ色に輝いて見える。
「私は、魔女ニナ! 魔女エヌの娘。白磁の葉を受け継いだ者」
 ニナがそう言うと、雨が降ってきた。細かい雨粒は、魔力を帯びて光るニナの髪を、水晶の粉を振りかけたように飾る。冷たくはあるのだけれど、凍えるほどの寒さは感じない。そもそも雨を気にしている余裕もなかった。
「森に守られた石の城の、白い葉の木。滑らかで艶やかなとろりとした力。オレンジ色の、甘い星の花。あなたは私とつながっているはず。私がここに入れたことには意味があるんじゃないの? 私の前に出てきて、白いひと」
 ニナは声を張り上げた。
 木はニナに応えて、葉を揺らした。花がぱらぱらといくらか散る。
「昔に捨てた神殿から呼ばれるとは思ってもみなかったな」
 薄い金属を弾くような高い澄んだ声が聞こえ、五歳ほどの少女が目の前に現れた。宙に浮いている。装飾のない簡素な麻のドレス。その裾よりも長い、足首まで届く髪は白い。時の魔女の透き通ったような白髪と違い、この魔物の髪は濃厚なミルクのような、高価な磁器のような――ニナの首にかかっている白磁の葉と同じ――、不透明な白だった。
「さて」
 雨の中なのに濡れていない髪を、さらりと軽く後ろに払って、魔物はニナと目の高さを合わせる。
「呼んだのはお前か?」
「私は、魔女ニナ。来てくれてありがとう」
 魔物は首を傾げた。
「お前に翼はないのだな」
「翼? タウダーラーのこと?」
「そうだ」
 白い髪の魔物はドレスの裾を翻し、木の根元を囲む石に腰かけた。ニナと話をしてくれるつもりらしいとわかり、ニナはほっと息をつく。魔物によっては人と交流したがらないものもいるのに、彼女は人とのやりとりに慣れているようだった。
 白い魔物は、ニナを上から下まで眺め、胸の白磁の葉を見付けると、瞬きをした。
「ふむ。魔女エヌの娘だと言ったか? その飾りは見たことがある。私のことはエヌから聞いたのか? それにしては私の名前を知らないようだが」
「ううん、偶然ここに行きついて。……えっと、あなたはエヌと関係があるの?」
「エヌとは、特に因縁はない。ま、一度呼ばれたくらいだな。それよりも、タウダーラーと関係が深い」
 一度言葉を切り、もう一度ニナの全身を眺める。
「お前もタウダーラーと関係があるな?」
 それは、質問というよりは確認だった。ニナはうなずく。
「私の父親はタウダーラーだから」
 エヌが亡くなる前年の夏、タウダーラーの青年がエヌを訪ねてきた。魔法の依頼だったのだけど、彼が帰ったあと、ニナは初めて父親のことを聞かされた。彼がニナの異母兄だったからだ。
 タウダーラーは背中に大きな白い翼を持っている。空を飛べる以外は普通の人間と変わらない。魔女がその魔力で爪にしるしを持つように、タウダーラーは魔力が翼になっている。ニナは魔女として生まれたため、翼は持っていないのだ。――そうエヌから教わった。
 ニナにとってはエヌが母親であることだけが重要で、父親が誰であるかなどどうでもいいことだった。自分からエヌに尋ねたこともなかった。
 父親のことを聞かされてからも、ニナはまるで実感がなかった。聞かされただけで会ったわけではないのだから当たり前とも言えるが。
 顔を合わせた異母兄も、戸惑いはあっても、親しみは湧いてこない。彼が帰るまでニナはそんなことは知らなかったし、彼だってそれらしき態度をとったりはしなかった。ニナのことは知らない可能性もある。
 それが、こんなところで繋がるとは思ってもみなかった。
 第三者である魔物に指摘されたことで、初めて事実として突きつけられた気がする。今まではエヌだけの娘だったのに、それが半減してしまったようで寂しい。
「タウダーラーの血を引く魔女か」
 白い魔物は微笑んだ。見た目の年齢にそぐわない、落ち着いた笑みだった。それから声音を変え、
「私は、タウダーラーの守護をしている」
 ニナは姿勢を正すと、黙ってうなずいた。
「お前は私が守るべき者なのかどうか、迷うところだな。さあ、どうしようか?」
 試すようなセリフとは違い、穏やかな微笑みは変わらないままだった。その表情に好意を見て取って、ニナも笑った。彼女は迷ってはいないのだ。何か条件を満たせば、契約が成立する。
 ニナは魔物の目を見る。
「あなたの名前を当てられたら、というのは?」
「いいだろう」
 魔物がふふっと声に出して笑うと、花の芳香が強くなった。
「甘い……」
 つぶやくニナに目配せをして、魔物は空を指差した。雨粒が大きくなる。
「空……、天? 雨? 甘い雨……」
 白い木の葉が、キンっと澄んだ音を立てる。金属でできた楽器のような響きは、魔物の声に似ている。多少の高低差を持ってリズミカルに鳴る音は、心地よくニナを包む。
「雨の、音? そうか……アマネ、だ」
 ニナはにっこりと笑う。
「雨音」
 名前を呼ぶと、白い魔物――アマネは大きくうなずいた。ぴたりと雨が止み、葉が奏でる音楽も止まる。
「正解だ」
 かなりヒントを出してもらったのだけど、とニナは苦笑する。
 アマネは立ち上がると、歩いてニナに近付いた。アマネが魔法陣の中に入ると、光が収まっていた線が白く輝く。
 アマネがニナの顔に手を伸ばしたから、ニナは屈んだ。両手で頬を包まれると、ぞくりと震える。アマネの体温はとても低かった。
「魔女ニナ、お前を特別に私の守護下に加える。お前が呼べばいつでもどこでも応えてやろう。……そうだな、お前は魔女だから、魔法陣で呼ぶのがいい」
 ニナはうなずく。タウダーラーなら違う方法があるのだろうか。
「……しるしを付けておくか」
 アマネは少し考えてから、ニナの胸に下がっている白磁の葉に触れる。すると、小さなオレンジ色の模様がひとつ刻まれた。花弁が四つの星のような花。木の花と同じだ。
「かわいい……」
「気に入ったか?」
「うん」
「そうか、良かったな」
 満足そうにうなずいて、アマネは周囲を見渡す。霧が少し晴れていて、石舞台までは見渡せるようになっていた。
「ここは昔タウダーラーの集落があったところだ。戦に負けて追われるとき、神殿の跡だけ隠したのだ。私もここに呼ばれたのは二百年ぶりか」
「もしかして、私、結界を壊しちゃった?」
「いや、あれは資格ある者だけは通過できるようになっている。壊れてはいない」
 そこで、アマネは首を傾げる。彼女の肩を流れた白い髪の毛先が濡れた地面に付くのが気になって、ニナは手で掬う。さらさらと絹糸のような手触りだ。
「つまり、ここに入れた時点で、お前には私の守護を受ける資格があることになるのか。……そんな仕掛けは、すっかり忘れていた。すまなかったな」
「別にいいよ。かなり助けてもらったんだし」
 アマネは魔物にしては妙に真面目だ。アケミはもっとずっといい加減だった、と思い出す。
 ニナの感傷に気付かず、アマネは振り返って白い葉の木を指差した。
「出口は、あの木の真っ直ぐ向こうだが……。そもそも、お前はなぜこんな森の奥にいるのだ?」
「うーん、えっと……」
 ニナはどこから説明したものかと考えながら、
「一言で言えば、迷ったっていうか……」
「そうか。それなら森の出口まで案内してやろう」
「本当に? いいの?」
「ああ、そのくらいはな。……それで、どちら側に出たいのだ?」
「オークルウダルー村だけど、……南西の方かなぁ」
 ニナはそちらだと思う方角に目を向けるが、今だにこの遺跡の外は霧に囲まれているからよくわからない。
 アマネはニナの視線を辿って、さらに遠くを見るように目を眇める。
「物見の塔のある村か?」
「うん、そう」
 ニナがうなずくと、アマネは木に手をかざした。勢いをつけて下から上に払うと、風が起こる。オレンジ色の花が一斉に空に舞い上がって飛んでいった。
「これでよし」
 ニナが目で尋ねると、アマネは微笑んだ。
「花を目印にするといい。それじゃあな」
 別れの言葉を簡単に付け加えて、そのまますっと消えてしまった。
「あ、ありがとう!」
 ニナは慌ててお礼を言った。一度だけ白い葉が高い音を響かせたから、おそらく届いたのだろう。
 見ると、さっきの風で木に咲いていた花はもうひとつもなかった。地面も、石舞台――アマネは神殿と言っていた――も、ニナの髪も服も乾いていて、雨が降ったとは思えない。魔法陣の光は消えて、チョークの線だけが残っている。
 ほとんど全てが、魔法を使う前の状態に戻っていた。
 違うのは、依然として漂う甘い匂いと、ニナの胸にある白磁の葉にオレンジの星が刻まれていることだった。
1996.08.07 19:43(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |

金の葉の魔女 - 4.稲妻のしるし(3)

 敷地の外に止めた馬車にティサトを残して偵察に行っていたラルゴは、難しい顔をして戻って来た。
「どうだったの? ニナは? ここにいたでしょ?」
 ティサトが聞くと、ラルゴは馬車に乗りながら、
「俺が知っている人物がいた」
「え? どういうこと?」
「ニナを攫った、というより、エヌを捕らえようとしている理由が、俺と同じなのかどうかわからないんだが……」
 ラルゴは一度頭を振ってから、馬を進ませた。
「忍び込んでニナを探すより、正面から話した方が早そうだ」
「私にはよくわからないんだけど、その辺はお任せするわ。ニナが無事に帰ってくるなら何でもいいわよ」
 宿に戻ってきたラルゴに起こされるまで、ティサトは気を失っていた。二時間は経っていなかった。エヌに間違えられてニナが攫われたのは、眠りに落ちる寸前のティサトの耳にも届いていた。だから、ティサトは目が覚めるなり、慌ててニナを探した。宿で荷馬車を借り、目撃証言とニナにかけた自分の魔法を手掛かりにすれば、ニナが連れ去られた屋敷に辿りつくまでそれほど時間はかからなかった。
 ニナに何かあったらエヌに申し訳が立たない。ティサトは両手を握りしめる。コートの内側や襟巻の隠しポケットには、攻撃に使えそうな魔法陣を描いた布をあるだけ仕込んできた。
 ラルゴは、ここまで当たり前のように一緒にニナを探してくれていた。彼がどれだけ信頼できるのか、ティサトはよくわからない。良い人だとは思うけれど、ニナと出会ってまだ数日のはずで、知り合いだという犯人の方に協力しないとも限らない。最悪の場合、一人でニナを助け出すつもりで、ティサトは屋敷を見つめた。
 屋敷の玄関を入ると、計ったように、奥から初老の男が出てきた。身なりからすると執事だ。宿に押し込んできた男たちとは違う。
 執事が何か言う前に、ラルゴが言った。
「シャルトムール公爵サクシマ様にお会いしたい」
 それを聞きながら、ティサトは顔色を変えないように努力した。シャルトムール公爵といえば先代国王の弟で、エヌと因縁があったはずだ。どこで知り合ったとか詳しいいきさつは知らないのだけど、王子時代の先王と公爵が同時にエヌを愛妾にしようとしたとかしないとか。
 いや、公爵も代替わりしたのだったか。ティサトは記憶を探る。先王の弟はスグラスという名前だった。サクシマは息子だろう。
 ティサトは斜め前に立つラルゴの顔を盗み見た。彼は何者なんだろうか。埃っぽい旅装のままなのに、堂々とした態度のせいで貴族の館にいても違和感がない。
「あいにく、そのような方はこの屋敷にはおられません。何かお間違えではないでしょうか」
 執事は無表情で言ったが、ラルゴは取り合わなかった。
「私はラルゴ・エットゥール。名前を出せばわかっていただけるだろう」
「いえ、ですから」
「そして、こちらのレディは……魔女でいらっしゃる。お名前はここでは出せないが、サクシマ様はもしかしたらご存じかもしれないな」
 ラルゴは、もったいぶってティサトを紹介した。エヌと誤解させたいのだろう。ティサトはもちろん、エヌだって、身分のある貴婦人ではない。毛皮は身に着けているものの、いかにも庶民の服装で、しかも荷馬車で乗り付けておいて、レディもない。
 執事が目を向けたので、ティサトは精一杯上品に笑ってみせた。
「サクシマ様は魔女を一人この屋敷にお召しになったはずだ。だから、きっとこちらの魔女殿にも会ってくださるに違いない」
 執事は今度は何も言わなかった。
「それなら、サクシマ様が本当にいらっしゃらないのか、こちらの屋敷のご当主にもう一度確認してもらえるだろうか」
 ラルゴが声の調子を変えると、執事は表情を動かさないままで、お待ちくださいと一礼して去って行った。
「あなた、何者なの?」
 二人きりになったのを確認して、ティサトはラルゴに聞いた。
「ああ……ニナにも説明しようと思ってたんだが、結局機会がないままだったな」
 ラルゴは苦笑した。
「貴族なの?」
「いや、近衛第一隊の所属だ」
「は?」
 簡単な自己紹介に、ティサトは大声を出しそうになるくらい驚いた。
「近衛第一隊って国王陛下の護衛じゃない!」
「そうだな」
「え、待って。あなたが探しているのリーン様って言ったわよね? それ、もしかして……」
「現国王メラエール二世の姉君だ」
「やっぱり」
「悪いが、この話は秘密にしておいてほしい。リーン様は病気静養中ということになっているんだ」
「それは構わないけど。それにしても、王姉殿下ねぇ……。はぁ……」
 ティサトはため息をつく。
「エヌのお客は昔っから貴族が多かったけれど……」
「いや、俺はエヌじゃなくニナの客だ」
 そう言うラルゴを見上げると、彼は誠実そうな笑顔を浮かべていた。ニナが彼を信頼していたのもわかる気がする。エヌはいい男ばっかり捕まえて……と思っていたのだけど。
「ニナもやるわね。血かしら?」
 小さく笑ったとき、
「あ」
 突然、ふっとニナにかけた魔法の気配が消えた。
「ニナの魔法が解けたみたい」
 怪訝な顔でこちらを見ていたラルゴに説明する。
「何かあったのか?」
「どうかしら。そろそろ解ける時間だったとも言えるけど……」
 何かわからないかと、玄関ホールの奥にある階段や、吹き抜けの天井に視線をさまよわせる。ラルゴはそれ以上聞かずに、じっと黙っていた。
 その後しばらく経って、奥から黒髪の青年が一人出てきた。品のいい暗色でまとめた服装に、優雅な足取り。シャルトムール公爵が彼だろう。
「やあ、ラルゴ、久しぶりだね」
「サクシマ様……」
 笑顔の青年に、ラルゴは呆れたように返す。ラルゴが口を開きかけるのを遮って、サクシマはティサトに笑顔を向けた。
「あなたが魔女エヌですか?」
「いいえ。違いますわ」
「そうでしょうね」
 サクシマはティサトが言い終わる前にあっさり翻す。こんなときエヌなら睨み付けただろうと思いながら、ティサトはにっこりと微笑んだ。
「あなたが攫ってきた魔女もエヌではありません」
「……へぇ、なるほど……」
 サクシマは軽く目を瞠った。それがティサトには意外だった。ニナの魔法が解けたのはサクシマの前ではないのだ。
 ティサトは眉をひそめる。
「彼女に会わせていただけません?」
「ええ、もちろん。皆で、お茶でも飲みながらお話しましょう」
 サクシマは笑みを深める。
「魔女エヌについて」
1996.08.07 19:41(Wed)| カテゴリー:金の葉の魔女 | 個別表示 |
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